August 11, 2013
お馬鹿な写真をアップして問題になる件だが、はまちちゃんが書いていた、「Twitterがグループチャットに見える」というのは、その通りだと思ったが、かと言って、全く「うちら」の外側、見知らぬ人への流出を期待していないかというと、やっぱりそれだけでもないような気はする。
見知らぬ人に対して情報流通することで、アクセス数を稼げるのは、楽しくて仕方ないというネットの魅力は知っている上で、それ以上に実生活に負の影響が起こることまでは意識できていなかったという部分ではないかと思う。自分にとって不都合な行動をする人たちにまで広がると思っていなかったという、リスクに対する予見不足ではなかっただろうか。
ブロガーはブログシステム上で煽り文句や極論を書くことでアクセスを集められるのに対して、YoutubeやTwitterでお馬鹿を晒してしまう人は、コンテンツ生産手段が、リアルの生活の場で生み出すしかないから、というのはあるだろう。
その中で、人と興味を共有するための記号が、バイト先のコンビニというブランドであったり遊園地であったりということになるんだと思う。それこそがメシウマの種にもなることにも気が付かず。。。
芸能人のように何かを食べただの、人と会っただのでアクセスを集められる人と違って、「ふつうの人」にはアクセスを集めるネタは、そんなに多くはない。
ラーメンを食べたということをツイートしたところで、興味を持ってくれるのは家族や近しい友だちだけで、沢山のリツイートや動画再生回数を得るためには、「極論的動画」や「極論としての写真」にならざるをえない。
Youtubeでドライブレコーダーの映像を検索すると結構面白くて、「むかつくドライバー」を晒す場になっている。彼らは、少なくとも僕が知ってるネットユーザーとは違うモチベーションがあって、それはツイキャスを活用する女子高生にもあるのだが、全員に共通しているのは、何かを表現してアクセス数を集めるのは楽しい、と思っていること。
僕は、極論を書いてアクセスを集めるブロガーと、お馬鹿写真をアップしてしまう人は、メンタリティはそんなに違わないと思っていて、ネットの人は、他人に罵倒されようがなんだろうが、自分さえ我慢できれば、実生活に影響が出ないのに対して(仕事に機会損失は産まれるかもしれない)、バイト先のコンビニでお馬鹿写真を撮って公開してしまうと、コンビニもろともあぼーんされてしまうのが、今の状況というのが大きな違いなのだと思う。
ここで問題となる構造として、「突っ込みどころのあるバカを晒す」→「ネットで話題になり、会社に批判が殺到し、メシウマ」という炎上メカニズムであり、さらに、今はここからテレビに話題が取り上げられてしまうという、ネットを通じた、炎上パブリッシングシステムの存在である
昔のパソコン通信は、少々バカなことをネットに書いたり、法律違反的な話題を書いた所で、少なくとも住所がさらされることはなく、普通にネット上で怒られて、自分さえ受け入れられるなら、オトナになるための教育効果があったわけだが、今は、縁もゆかりも興味もない人達によって「メシウマの種」に仕立てられてしまうという構造に問題はある。
ただ、何故そういうのが成立しなくなったか?!というと、昔は、パソコン通信という共同体がある種のムラ社会であり、特別なものだったからだ。部活に近いレベルのコミュニティがあったからだと思う。
○○は悪い、○○は正しい、という善悪の価値観が、多くの人の発言で、その場のコンセンサスに収斂されていく。
と行っても、それほど理想郷でもないし、そんな単純な話ではなく、新しい価値観の人がやってきては、定期的に炎上騒ぎは起きていわけだが、その場の考え方に、全くそぐわない人は、闘争の結果、別のネットワークに去るということで対処されてきた。その場のコンセンサスに納得できない人は、何も変わることなく、ただ「見えなくなった」だけだ。
これを「ネットは弱肉強食」と言っている人がいた。
Webはコモディティ化し、Twitterなどの情報伝達手段が、コミュニティの性格を表すことはなくなり、情報伝達のインフラとしての「ツール」に絞られたことで、サービス自体は巨大になり、他のサービスでは代替できないものになっていく。ここで多くの人が共存していくためには、人は人、自分は自分として割り切らざるをえないし、コンセンサスを示すものはサービスの上にはどこにもない。せいぜい140文字しか書けないのと、嫌ならフォローしない/させない、という自由がある、ということぐらいだ。
しかし、そこで起きる軋轢の構図が、togetterやNAVERまとめには毎日のようにアップされているではないか。まとめサイトが、特定のコンセンサス要求における、晒し者の場、賛同者を集める武器になっていることは否めない。
と、いろいろ書いてきたが、人たるもの、少々、法律に違反することもあるし、少々モラルに反することをすることもある。そこで若い子が、法律から外れたことをやったからと言って、ネットを通じて社会的にあぼーんされるなんてのは、やっぱりおかしい話だし、その根底には、様々な負の感情やメシウマとしての意図が渦巻いているので、そういう流れにオトナである企業やマスメディアが乗ってしまうのは、とても健全な流れとは思えない。
そうではなく、少々人間関係や場が殺伐としても、法律違反を犯さないよう教育される方がよっぽど健全なのだが、書いていて「最近は町で怒ってくれるオヤジがいなくなった」と同じ話にしか見えなかったので、結論としては、これは情報発信側が意識して、ネットユーザーにツッコミどころを与えない、ということでしか、解決法がないなぁとは思っている。
ふぐの毒も、それで死んだ人たちが沢山いるから食べ方が確立したのだろうから、今は過渡的な現象で、マスメディアを含めた、多くの人がインターネットの遊び方(=リテラシー)を身につけてくれることを期待するだけ、ということか。