February 12, 2013
この文章が面白かった。
qlog » Blog Archive » スタッフに説教する際に言うの忘れたこと
あぁあまたFacebookがネタ元で時間を費やしてしまった。しかもブログまで書いてるし。ちょっと文章の内容とは違うところに反応してるかもしれないけど、
20代でも、30代でも、もしかしたら40代以降でも、無理していろいろ決めちゃわないで、ジタバタしていれば良いのだと思う。 ジタバタさえしていれば、いきなり死んだとき、「あー楽しかった」って言えるに違いないのだ。 それが一番大事なことだとわかっているのに、それをちゃんと彼に伝えることができなかったし、私も忘れてたし、なんか、自分を決めつけてしまって自由じゃない人がたくさんいるから、こんなふうにここで書いてみた。
よく見かけるんだけど、意識高い系若者および、若者の成功者が一様に抱く「年食ったら多分、自分のやりたいことは、できないし」は、大体、間違ってる。
成功した人がやる気がなくなるのはお金を持ってしまったからであって、年を取ったからじゃない。
それに何より、そういうこと言ってる奴は、自分の10年後に自分がどう考えるかを理解できる人はいない。
じゃ、どうなるか?!答えを先に書くと、
「基本的には、10年後も、あなたは何も変わらない。」
これが正解だと思う。多分、10年前もあなたの本質、、、何に興味を持ち、何に恐怖するか?!ということは、そんなに変わってないと思う。
なのに年齢の話が出てくるか?!というと、例えばプログラマー35歳定年説なんてのもあったが、それは単純に偉くなったのと、自分なり組織なりが、他に興味があることが出てきてプログラムに興味がなくなったからだけだ。
つまり、自分が適応できなくなった理由を全部年齢のせいにしている。
大体、LL言語やライブラリ共有化で若い人に知の高速道路ができたので、いろいろできるようになったって言ってるけど、その分書かなきゃいけないコード量は減ってるんだから、年取った奴だって恩恵は受けてるんだよ。
年齢で衰えるのはプロ野球選手やサッカー選手、相撲の選手などのスポーツ選手だけだと思う。まがいなりにも知的労働と言われる仕事はそんなに体力使ってないし、そもそも最初から体力だけで勝負してない。体力使う仕事は体重が減るハズなんだよ。
スポーツジムにあるランニングマシンに、心拍数が書いてある。どうやら年齢によってこれ以上上げてはいけない上限値というのがあるようだ。20代で160、30代で150、40代で140ぐらい。
ってことは、心拍140以下で頑張れるなら何歳でも関係ないってことだ。(これは極論である)
ま、何が言いたいかって言うと、大体、みんな10年後の自分を恐れるけど、意外と何も変わらないし、頑張れた時が人生のMAXだしってことで。あとはあなたの気持ち次第ってことが書きたいだけなんだけどね。
でも、ただ一つ。年が変わると、周りからの目が変わるというか、世代論で括られるから、そこだけは大事にしないとね。特にネット系は、今はあまり知られてないけどって人では、絶対に僕より若い人しか、もうこの先、成功して偉くなる人は出てこないだろう。チャレンジしてる人の数が違うから。こういう世界では常に若い世代から評価される自分でなくてはいけないのは間違いない。
今度は、逆の話だけど、20代で起業して失敗しても良いじゃんとあるけど、これは年取った人だから言える話で、20代でも今が大事だろと思ってる人には伝わらない。ポスドクの件の話だって、結局20代の時間の使い方なわけだ。そういう部分で、余裕が無い人はずっと余裕はない。10代だって人生のレバレッジに効いてくるイベント満載だしね。
が、余裕がある人は何歳になってもチャレンジする。ただ、世の中にどう評価されるかってのは割と意識した方がいい。これは大人としては大事なことだと思う。
大体、世の中で成功してる人、みんなしたたかだから、自分なりの選択肢の中では、うまくやった方がいいとは思うね。それがレールに乗る乗らないとか、やらないリスクを取るのか、やるリスクを取るのかってのは、人それぞれお好みで。
最後ごちゃごちゃしちゃった書き方になっちゃったけど、自分は何でもよくても、他者と自分は違う中での折り合いは必要だったりするねって話。ただ立派でも良い子でも社会的成功を収めている必要も全然ないと思う。
忙しいので、ツイートレベルで書きなぐった。文章めちゃくちゃでごめんね。
参考:
Stay hungry, stay foolish. [和訳] スティーブ・ジョブズ スタンフォード大学卒業式でのスピーチ - stayfoolish
#まぁ子供ができて損益分岐点が上がってやりたいことができなくなるってのは仕方ない話だ。ゼロリセットできないストックを持つ選択をしたんだから、それを前提にリスクを勘案して動くべきなのは、いつどんな状況でもありうること。それが大人の責任というものだろう。