January 25, 2013
「あなたは影響力があるから、そんなことを言っちゃいけません」的な話は、「俺より頭の悪い奴らが、お前のいうことを真に受けてアホな奴が増えたら嫌だから、話の出元を潰しておくべき」という不安から来る行為だと思うのですが、実際はそんな簡単には実現しないし、実現したとしたら、成果として認めざるを得ない部分も多々あるでしょう。
そんなことの良し悪しを議論をするのではなく、もしそれが、せっかく出たアイディアなのであれば、どうやったら実現するのか、もしくは改善できるのか?!という前を向ける状態を作る方が望ましいです。
もしくは自分は一切、関わらないとスルーすることを決めるか?!ネット上で注目することは、それが注目されることを手助けするという炎上マーケ手法からすると、揉めることも一つのメリットになることもありますから。ただし、それを当人が望んでいる場合。
こういう時の「あなたは影響力があるから、そんなことを言っちゃいけません」という言葉は、大体、一定の善意に基づいた発言だったりします。
この善意というのが問題なのです。
よく子供向けに「怖いおじさんに騙されないようにしましょう」という絵を描くと、おじさんは、怖い顔をしていたり、裏では黒い色を使っていて悪意が明確に存在することが描かれますが、この平和な日本においては、もっとピュアな「よかれと思った」という善意の方が問題の原因になりやすいです。
そもそも、指摘してる側にとっては「よかれと思ってやっていること」なので、正当化されてしまう。
それが本当に正しいかどうかはわかりません。もちろん正しいかもしれません。でも、正しい、正しくないではなく、指摘された当人にとって好ましいか、好ましくないか、というレベルで判断をしておけば良いことは多々あります。
聞く側が、指摘をありがたく拝聴する流れになっていれば、得られる利益がなんであれwin-winとして丸く収まるのですが、そこを変なパワーバランスや、声が大きいとか、その場限りの説得力で流されると、後で後悔をすることになります。
また、周りもそういう意見に流されて、評価がfixしてしまうのも問題だったりします。
ここで起きることの原因は、年齢差、世代差の問題や、価値観の差異、生活習慣の差異などいろいろあるように思えます。
しかし、いい大人同士、多数の答えが存在して、多数の方向性があって、それを認め、考えが合わない人はお互いにスルーして共存共栄する、という考え方も必要なのではないですかね。
どうせ某翼氏のようなコントロール範囲外の人たちには近づかないのですから。
(なお、これは一つの事象のことを言ってるのではありませんので誤解なきよう)