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藤川真一について


初代モバツイ開発者
想創社再創業 / KMD博士課程
著書〜100万人から教わったウェブサービスの極意―「モバツイ」開発1268日の知恵と視点 [Kindle版]
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December 08, 2012

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自分の文責を表明した上で、ある物事を伝えたい「ブログ記事」が書いたとする。

これは本と同じく一つの「商品」だ。そこにはタイトルと本文があって、本文に伝えたいことが書いてある。タイトルが商品名で、本文が商品と考えてみる。

ブログ記事を書いただけじゃ誰にも見られない。商品を作っても、プロモーションや買ってもらえる努力をしないと人に伝わらないのと同じく、ブログ記事についても、
どうにかして人に知ってもらえる方法を考えなくてはならない。

今ある手としては、

1.RSSリーダーで能動的に見てくれる人がいる。
2.TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアに投げる
3.検索エンジンからの誘導

あたりが考えられるだろう。

そこから副次的に、はてなブックマークや、TwitterのRTを介して普段より多くの人に閲覧してもらえることがある。僕の場合は、blogosに転載されるのも重要な方法だ。

今もRSSを購読してくれている人たちがいれば、それは、ある種のファンの人と考えられる。同様にTwitterのフォロワーやFacebookの友達についても同様である。

ブログにメール登録機能をつけて、新着記事をメルマガやアプリ通知でプッシュする機能をつけたとしたら、その購読者も同じだ。

このレイヤーを「1次ユーザー」と仮定しよう。この人達は、最低限の情報伝達をすれば一番見てくれる可能性が高い人たちだ。

そして記事の広がりは、この「1次ユーザー」に全てが掛かっている。

次のレイヤーへの記事の広がりは、この「1次ユーザー」の人たちが、

・はてブをする
・「いいね」をする。Facebookにshareをする
・RTをする
・tumblrに登録する

をすることで、これらのソーシャルメディアは「1次ユーザー」に関連する人達に情報が伝達され、「2次ユーザー」「3次ユーザー」が同様に興味を持てば、ネズミ算のように多くの人に情報が伝達されていく可能性が得られる。

だからこそ「はてブしたい程、反響を得る」ことや「知らない人でもRTしたくなるパワーがある」記事こそが、多くの人に見てもらえる記事ということになる。

これらのソーシャルメディアは情報の流通手段である。

ソーシャルメディアが人の興味を可視化し、流通する機能として、情報が伝播していく。

実社会の場合は、物流と言えば、モノをトラックで運んだりする。販売網が確立している本屋の流通や、量販店やスーパーの流通は、ビジネスとして商品を広く運んでいく。

そして物流にあわせて人が買いたくなるように、CMを打ったり店頭POPを置くなどして、商品性をアピールし、購入を後押しする。

これにはコストがかかるので全ての会社がやれるわけではない。

ブログ記事の流通の場合は、拡散をするのにお金はかからないが、拡散が成功するかどうかは、1次ユーザーを筆頭に、何次までのユーザーに関心を持ってもらえるか?という部分で流通量が決まってしまう。

Kloutスコアで計測されているような、誰かのフォロワ数や友だちの数は、流通の視点から言うと「流通可能性」という「ポテンシャル」を表したものになる。

言い方を変えると、その数が多いからって、伝わる保証は全くない。

何故なら、どこまで流通するか?は、ユーザーの読み手の都合でコントロールされるものだからだ。

最初はネットに知り合いが多かったりするので、人間関係上の「いいね」みたいなもので一定の拡散は期待できるが、それは内輪の反応みたいなもので、いいねで拡散された先の人間関係が関係性が薄くなればなるほど、それだけじゃダメということになっていく。

幅広く流通させるためには、ブログタイトルや、本文の書く内容が、広告宣伝ブランディングを兼ねていなくてはならない。

炎上マーケティングも非常に有効で、例えば、はてなブックマークで炎上したとする。300のはてブがついた場合に、そのうちの150がネガティブな反応だったとしよう。しかし、そのネガティブな反応に、仮にコンテンツ提供者側にメリットや生産性が全くなかったとしても、ネガティブな150のブックマークが情報流通の媒介者としなり、より多くの人の目に留まる可能性が増える。

トータルでプラスになればOKという考え方は可能だ。

結果、全く炎上せず書かれた記事よりも、炎上してしまったけど賛否両論あるような記事の方が、より多くの人に見てもらえる可能性が高くなり、ポジティブに受け取る人の数も増える可能性が高くなる。

炎上せずに書いた記事は精度高く伝わるかもしれないが、母数が限られているだけあって、情報伝達の限界が早く訪れる。


気合を入れて書いた記事ほど人に受けなくて、さらっと夜中に書いた記事が多くの人に共感されてはてブの数が多くなるという話をする人は少なくない。

何故なら、情報拡散していくのは、読み手が何らかの形で、共感可能な情報に限られるからだ。それが賛同なのか反対なのか怒りなのかは関係なく。

共感する「のりしろ」がある話題に関しては、記事を書いた人の専門性の範囲というよりは、今起きている時事性だったり話題のことに関する記事であって、当人が書きたいこととは限らなかったが、より反応する人が多かった記事だと言える。

当人の専門知識などを総動員して気合を入れて書けば書くほど「のりしろ」は小さくなり、共感可能性が減っていく可能性が高くなる。

PVを増やしたければ、お客さんたるユーザーに共感してもらえるような話題を中心に書くべし、というのが結論になるのだが、一方で、ブログはそういうものではなくて、自分が書きたいことを書いて、それがネットで共有され、必要だと思う人「だけ」に共感されるからこそ、価値があるという考え方もある。

しかし人に見てもらえなくては、事実上、存在価値が無いと考えることも可能で、誰にも見られないブログ記事は、一人よがりで、自分にとってのストレス発散する程度のものだと自覚しておいても良いのかもしれない。事実、備忘録と言ったり、後から自分が探すための情報だと割り切っている人もいる。それがたまたま誰かの役に立てばラッキーというスタンスだ。

特に技術の話など検索エンジンから検索されやすい記事がある。実際、iPhone開発者の記事は、優れた日本語の記事が沢山あって本当に助かっている。そういう記事は、掲示板じゃなくて人それぞれの問題があけっぴろげに書いてあるからこそ素晴らしい。

しかし、この記事のような感覚的な話の記事は、後から検索エンジンで探すのはまず不可能だ。検索エンジンは検索するキーワードがマッチしなければマッチングしないという根本的な特徴がある。

感覚的な記事については、どうせ後から検索できないのだったら、ブログよりももう少し狭い範囲で、でも確実に伝達しそうな手段の方が適切なのではないかと思う。それが、ソーシャルグラフとセットになっているmixi日記だったり、Facebookの書き込み、そして流通のポテンシャルが決まっているメルマガや、その他の「新しい何か」なのだろう。せめて「1次ユーザー」には伝えたいということ。昔は、weblogのpingやトラックバックが情報流通の機能を内包していたんだけどね。まぁ残念ながら自由すぎたよね。

つまり、広告代理店に広告費を支払えば確実に情報の流通までは担ってくれるってのと同じく、ネットの情報流通にも何がしかのコストを負担しなきゃいけないってことなんだろうなぁ。それが評価経済みたいなものだったとしても方法論が違うだけで、打算的な書き方になっちゃうけど受け手(媒介者)とのエンゲージメント、コミットメントをどう高めていくか?!という部分は変わらない、か。

と2003年〜2006年ぐらいまではさかんに語られてたような話だけど、たまにはいいでしょ?!

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