November 06, 2012
最近はHuluやiTunesストアで映画を見られるわけだが、特にHuluは固定料金で見放題にもかかわらず、コンテンツ一覧ページをいったり来たりして、じっくり吟味してしまう自分がいる。
もしかしたらこんなことに躊躇してるのは僕だけかもしれない。
とりあえず見れば良いじゃん、と思うのだが、固定料金は固定料金で、今度は、クリックして再生して、やっぱりつまらないねと判断を下すまでの、クリックや時間のコストを天秤として、やっぱりコンテンツを吟味している自分がいるのだ。
もちろん見放題なのだから失敗しても問題ないのだが、やっぱり吟味してしまい、結局見るのは、「名前の知ってるコンテンツ」だったりする。(しかも、散々洋画タイトルを眺めて、最後は「極妻」だったり。哀川翔と竹内力見たいよ)
その一方で「放送」というのは非常に強力で、多分、Huluにあっても絶対クリックしないようなハリウッドの洋画も、テレビで流れていると、結構面白く2時間見てしまったりする。
「自分で選ぶ」という行為の文脈と、「テレビで流れている」という受動的な文脈には、明確に差があり、例えコンテンツが同じだったとしても、蓋を開けて中身にアクセスするための障壁が全然違う、というのは一体何なのだろうと自分でも思っている。
文字通り「売り方」ってことだろうなぁと思うけど、もしかしたら、選択肢の数の問題なのかもしれない。飛行機の中で流れてる映画をつい見てしまうが、決して普段見ることはないというのもそのあたりだろう。インターネットにおいては選択肢は無限に存在するので、おそらくネットコンテンツだろうが、アプリだろうがゲームだろうが同じ文脈の中で、多くの人が勝負していることだろう。
ソーシャルコマースが狙っているのは、この「テレビ」の存在が、「友達」に置き換わって消費が動くことを期待しているのだと思う。
その時の鍵は、テレビの放送局が必ずしも適切なコンテンツのキュレーションができていると思っているわけではないが、テレビが暇つぶしや現実逃避の材料として位置しているとするならば、ソーシャルコマースにおいては、ソーシャルメディア上の友達が、友達以上の存在になっていることが大事なのだろう。友達以上の存在というのは、つまりリスペクトの関係、とでも言えるだろうし、TVでちらっと見て気になってたことを思い出させてくれる気の利く秘書みたいな存在なのかもしれない。
僕は、Facebook上で社長の人たちが紹介している本をそのまま買うことがままある。別にネット上じゃなくても、人から直接、勧められたビジネス系の本は大体、必ず買うようにしている。それは今買わないと、その機会が一期一会だと思っているし、そもそも忘れてしまうから、買っておく(どこかにブックマークしてもその行為自体を忘れる)という流れだ。
ただ、そこにあるメンタリティは、おそらくリスペクトから来ている。つまりこの人が読んでいる本は、自分も読んでおくべきだ、という考え方。はてなブックマークが出てきた頃から、基本的に他人依存でネット社会を生きている。
おそらくスマホがブームになるのも、有名アプリが沢山ダウンロードされるのも、この連鎖が無視できない、人は、自分が持っている小さなネットワークの中で、小さな小さなキュレーションをしていて、それが友達の間で連鎖されているということだろう。
NAVERまとめやtogetterのような大きなキュレーションのコンテツサービスとは別に、こういう小さなローカルネットワークにおけるキュレーションを小さく連鎖させて全体が大きなPVを稼ぐというのが、おそらく今の成功パターンなのだと思う。
こういうサイトでは集合知みたいな全体ランキングをつけたらダメだと思っている。全体ランキングをつけた瞬間に情報の序列は、インターネット的な上下関係になる。そういうところではローカルキュレーションは成立しないと思う。Twitterがおかしくなったのはフォロワー数での序列が出来てしまったことだし、Facebookがイケているのは他人の友達の数に誰も興味がないからだと思う。
そしてそれは情報設計でカバーできる範疇。
(モバツイでもいくばくかの反省を思い出しながら)
と話が大分散漫になってしまったので、タイトルに「駄文」とつけさせてもらった。論点が何個か思いついてしまって、あれこれ書いている。
最後に、どんな時代になっても「つい開いてしまう」「つい買ってしまう」ブランドというのは偉大過ぎると思うし、HuluはHulu TVとして番組配信を是非始めて欲しいと思う今日この頃である。
やることは単純で、スケジュールに沿って既存のコンテンツを自動配信してくれればそれでいい。要するにケーブルテレビやスカパーのチャンネルみたいなものになる。運営コストは間にCMを入れて賄ってください。
Hulu player apiがあればそれを作りたいと思ったりしたわけ。