October 01, 2012
ネットが生んだ妙なコンセンサスの一つに「ブラック企業」という言葉がある。過剰な労働を強制する会社や、デスマーチを生む企業文化や企業構造の中でこれまた過剰労働になって辛き目にあう会社のこと。一言で言うと、人を犠牲にし続けて潰れない会社。
先日、カンブリア宮殿で海洋堂の話が出ていたが、それに呼応して以下のような記事を見かけた。
「自分が本当にやりたい仕事をやっている」人にとっては、どんなキツイ労働条件でも「ブラック」じゃないのかな、と感じたり、そんな「オタクの純真」を利用し尽くして商売をやるっていうのは、ちょっとズルいよな、と思ってみたり、「仕事」っていうのは、「客観的な評価」が難しいものだなあ、とあれこれ考えさせられた番組でした。
むしろ、はてなブックマークのコメントの方に反応しちゃってるんだけど、
本人達がやりたいとポジティブな気持ちを持ってやっている仕事と、そうでない仕事は、1時間の負担が全然違う。
故に、8時間の負担も違うので、8時間で終業することを守ることに意味があるのかな?!
法律はありとあらゆる仕事でも適用されなくてはいけないので、マジで事故が起こりかねない炎天下の肉体労働の人にも適用されねばならないので、法律上は8時間ラインで考えざるを得ないのだけど、杓子定規に全ての仕事に8時間ってのは本当はおかしいと思ってる人は多い筈。
そして、海洋堂がこうしてフィギュアの「社会的な地位」を向上させてきたおかげで、「海洋堂で働きたい」と思う人は増えていくのでしょう。でも、「社会的な地位が上がったあとの海洋堂」に憧れて入ってきたスタッフには、いまの原型師たちの「オーラ」というか「執念」みたいなものは、身につけることができないのではないか、という気がするのです。
会社が大きくなれば、「企業としての福利厚生」みたいなものも要求されるようになるでしょう。
海洋堂がどこを目指すか、でしょうね。
職人構造なのに上場をするとかだとヤバい。
現実には、あのクオリティを担える人間が持つ「ただ好きなだけじゃできない」部分を、企業の人材育成だけでまかなうのは不可能なので、上場向きじゃない。
海洋堂が、売り上げ目標なんて持たないで、自分たちがやれることを精一杯やるという視点で仲間を増やすのだったら大丈夫じゃないのかなぁ。
売り上げはあるようだけど、もし上場して、株主の期待に答えるために成長を続ける、、、なんてことになったら、こういう会社が成長するために必要なのは、「職人志望の母数がゲームやアニメ、サッカー選手のように多い事」、、、ということとなるでしょう。
おそらくマイノリティの職人が支えてる一品一様の世界という構造と根本的に矛盾するんじゃないかと。
人材についても「良い人材がうまく育てばラッキー」と言う選択しかないと思うので、後から入ってきた人達も大丈夫じゃないのかな、という理由になる。後任がいなくなったら、会社が良いものを作れなくなって過去の資産で食って行く規模に縮小するか、変な借金抱えてたら潰れてしまうだけ。
そこを勘違いして、何か途方も無い目標に向かって会社が走り出したら、彼らキツくなっちゃうかもしれないね。
彼らをアーティストとして見るか、社会人として見るかで変わってくる。
ソフトウエアの話にずらすと、やっぱり、ソフトウエアも良いものを作る人は高いモチベーションが必要なハズなんだけど、同じパソコン、コンパイラを使うソースコードなのに、何故か「生産」という視点でものを見ざるを得なくなった時点で、同じ8時間の質が変わってくるというか、生きて行くために必要な「仕事」になって、しかも、その業務をうまくハンドリングできない組織の事を「ブラック」と言うようなので、その差は、気持ちの問題だったりしますね。
労働だろうが、休み時間だろうが、家でTV見てようが、1時間は1時間で、そこに賃金が発生するか否かってのは、実はあんまり本質的ではない。ネットのサーバーや不動産や発電所の上でお金が動いてれば、その時間、社員の大多数が休んでたってお給料の原資は発生してるわけで、高給が得られる会社というのは、そういう会社のことを言う。それとちょっとだけ似たような話で、自分の気持ちが労働に対して、異常に前向きであるならば、1時間の労働の価値は、そうでない人に比べて全然違うんじゃないか、というのがこの話の肝。つまり1時間の価値が平等じゃないから、労働基準法の8時間と単純に照らし合わせてブラックってのはちょっと違うよねって話。
#念のため、そうは言ってもカンブリア宮殿も広告商品だなんて話があるようなので、こんなことを書いてて、華々しく上場して成功したらごめんなさいね。その場合は、コナミみたいになれるかって話だと思いますので、その場合の詳しい状況はゲームに詳しい人にバトンタッチします。