July 19, 2012
今まで何度か警察の人と話して、こういうニュアンスの対応を何度か見たことがある。
「世の中そんなに悪い奴はいないので、もっと酷いことがあったら相談に来なさい」
という感じだった。おそらくストーカー殺人なんかも、こんなノリで問題を軽視したんじゃないかと邪推する。
いじめの自殺の件でも、どうも現場の学校の見て見ぬ振り感というのが伝わってくるが、もしかしたら、本当に見て見ぬ振りだったのかもしれないが、もっとありそうなのが、「子供のやることだから、そんなに酷い事は起きない」という不感症状態に陥ってはいなかっただろうか。
おそらく警察官にせよ、先生にせよ、細かい事件や大きい事件を含めて、山のような問題をさばいてきたのだろう。
そもそも彼らには言う程、他人のプライバシーに立ち入る権利はないので、一定以上の問題は、明らかな問題にならない限り手をつけられないという制約がある。いじめている子にせよ犯人にせよ、その限界をわきまえているので、実にうまく振る舞う。
そういう日常の結果として、全ての事案に100%の力で関わるのは不可能だという「残念なプロ意識」ができていく。
きっと一言、声をかけるだけで、いじめや人間関係の軋轢を解決できた実績も沢山あるだろう。多分、そういうケースの方が圧倒的に多いと思う。
しかし、その逆に、被害妄想的にいじめられていると訴える子も沢山いるのだろう。もしいじめる側に勘違いで責めてしまったら、今度は先生が親から非難されることだろう。
その場合、もしかしたら、自分の立ち位置を失うところまで行ってしまうかもしれない。保身と言われればそれまでだが、先生の間違いが許されないのが今の日本の状況でもあるので、できれば何も起きない方が良いに決まっている。
その結果、深いところまで足を踏み込まずに、他の部署に丸投げしてしまったり、被害者を追い返してしまったりして、自然に自分にとってはなかったことにする方向に現実を曲げてしまう。
ところが適切なコミュニケーションが取れていなければ、事態はいじめられた本人が訴えるよりも、もっと酷い状態だったり。その結果、非常に稀な確率で自殺という大きな問題が起きてしまうのかもしれない。
一言で言うと「先生側に見る目が無い」ということになるのだが、その要因としての日常があるとすると、これはプロが陥りやすいジレンマということになるのかもしれない。
パトレイバーの映画で、熱血でウザい警察官代表の太田と、優秀そうな新人警察官の間にでこのようなやりとりがある。
新人警官:あの、何故マニュアルで操作を。FCSを使用してロックオンすれば98パーセントの命中率と聞いておりますが?
太田:そのFCSが、故障したらどうする
新人警官:はあ? でもレイバーによる警備活動はペアーが原則ですし
太田:その僚機が、行動不能だったら
新人警官:いやしかし、そんなケースは万に一つの
太田:その万に一つに備えるのが俺達の仕事だろうが、このボケ!
この映画では太田は、ウザい警官としての立ち位置になっている。おそらく、これは現実の投影だろう。
単なる優等生はウザい人にはなれない。そういえば金八先生も数学の先生からはかなりウザがられていたし、数々の先生ドラマはヤンキーだったりヤクザだったり、ウザい人種が主人公に描かれている。
つまり先生はウザいことが求められるということか。教員課程に行く優秀な大学生にそんなウザい人はいないよ。
今のいじめの話は、もう何十年も変わっていない。自分が学生時代だったころから、同じような話を聞いているような気がする。多分、今のまま変わらなければ、この先も続くのだろう。
単純に学校に丸投げして解決するような問題ではなく、日本の社会そのものが醸し出す空気、なのだろう。
そもそも先生についても、優秀な大学の教員課程に通って、教員資格を取って教師になるプロセスに「いじめの解決法」を専門で学ぶ機会は存在しないだろう。
結局、先生にとっても、いじめという犯罪に対する精神的対処は「専門外の話」であって、そういうプラスαのスキルが兼ね備わっていないと、人と人との軋轢の問題は解決しないだろう。
いつまで、この問題を、必ずしも適切とは言いがたい人達に丸投げし続けるのだろう。
「子供の社会だから先生が解決しろ」
「先生は、この事を適切に解決する技術を持っているわけではない」
…では、そりゃ解決しないよね。
p.s.この記事…「大津市長「裏切られた…教育委員会制度は不要」…上は徹底的に保身だよね。彼らは白旗上げることは許されないのかなぁ。自分たちでは、この問題対処できませんって言わないと外からだと改革しにくいじゃない。責任を持ってやりますって言ってる人がやるやる詐欺の結果、問題を認めずなかったことにするって一番最悪のパターンだよね。あれ、これ、原発で見た光景?!日本終わってるなー。
この記事は、blogの記事にインスパイアされて書きました。
暴力の現場を見かけたら、その場で一個人が即警察に通報するというのは、ごく当たり前のことだが、学校という場においては、なぜかそれをしてはいけないことになっていて、そういうことは教職員に任せることになっている。なぜなのかと改めて問われると、なぜなのかわからない。この「なぜかそれをしてはいけない気がする」というのは、私たちに植え付けられた「洗脳」と言える。