July 17, 2012
(ちょっと炎上したら嫌だなぁと思っているネタですが、認識が間違っていたら指摘してもらっても良いかなと思ったので書いています。)
今日、大規模な原発反対のデモがあったそうだ。何か動かない事には先に進まないという閉塞感から起きた事態なので、それはそれで大事なことなのだろう。
ただ、日本特有のややこしい、本音とタテマエが跋扈する世界になって、やるべきことができない世界にならないことを祈ります。
第一原発、廃炉は30~40年後…工程表を決定というニュースが昨年末にあった。
今まで地震直後に出された工程表が、工程表ありきのタテマエのものだったと言う指摘があったが、この計画はどのぐらいの精度なのだろう。
ただ、いずれにせよ30年後に、福島原発の収束作業を担う技術者と作業員がなにがしか存在する必要があるということがわかった。
30〜40年ということは、今新入社員の大学か大学院卒の優秀な学生がいたとすると、彼らは、ほぼ定年直前になっている、ということです。
下手すると就職して、この仕事だけやって定年を迎える、という人もいるかもしれないし、中途半端な時期から関わったが故に、微妙な年齢のところで、はいお疲れさん、となる人生のリスクを内包していそうです。
責任としては東京電力が担うと思いますが、それって実際に成り手がいるものでしょうか?
まだ現場の作業を担う人ならまだしも、若い優秀な技術者がこういう仕事をやるものなのでしょうか?
若いエンジニアにとって一番最悪なのは、社会からも白い目で見られる仕事かつ、50歳そこそこで自分の仕事がなくなる可能性があるということだと思います。
きっと幾人かは、今の事態を解決するために人生を捧ぐ人がいてもおかしくないとは思うのですが、今、40代、50代、、今トップを張ってる人は、大体全員事故の収束を見る前に、自分の寿命が尽きている可能性が高い。30代の人も定年になっている可能性があります。
福島原発の収束のクロージングを担うのは今、10代か20代の学生である可能性があるわけですよね。
自分の年齢に30歳足してみてびっくりしました。僕が生きている間に福島原発の後片付けが終わるかどうかもわからない。
日本全体の視点として「起きてしまった事故を収束させないといけないから」という受け身の視点では、人材が先細りしていくことが明らかに目に見えています。
そうではなく、原爆に続いて、原発事故を背負ってしまった日本、原子力問題を社会構造的に抱え込まざるを得ない(そしてタテマエ上は核兵器を持たない国)という環境先進国としての立て付けで、日本は新しい原子力に対するビジョンを作って行かないといけないのではないでしょうか?
即刻、原発停止を実現すれば日本は平穏だという状態は、残念ながら311の段階で終わっていたというのが現実ではないでしょうか。むしろ原子力技術の先進国として福島を守っていかないといけないのではないでしょうか?
311以前から、中国から黄砂に乗って、放射性セシウムが日本に降り注いでいた問題はご存じでしょうか?これはWebで探しても資料は出てくるのですが、元々、そういう問題はあったんです。ただ皆さんが関心を持てなかっただけで。
更に中国のエネルギー問題を前提として、日本の近隣諸国の原発の歩みを止めることはできません。中国でも原発事故が起きるかもしれない。
今、ぐぐってみたら、中国は地震の多い国だそうです。13年ぐらい前に天津に行きましたが、当時、経済発展の途中で外国企業を誘致する特区ができており、高層ビルがすごい勢いで建設されていた頃ですが、作業用の足場が竹だか木で作られており、建設中のビルに住み込みで働いている風景を見て、てっきり地震のない国だから、ビルの建築がざっくり感満載なのかなぁと思っていました。今とその頃は全然違うかもしれませんが、同じ地震大国なのであれば、原発事故は中国でも起きることもありうるでしょう。
そういった予測を考えると、今の福島の状況から何か学び新たな技術ができる可能性はないのだろうか?また、そこから世界への環境先進国として、原子力とうまくつき合って行く道筋は作れないのだろうか。個人としてもサステナブルな何かの未来や希望が見えていなければ30年後に高い専門性、技術力を担う人材がいないという可能性はないのでしょうか?
原発を止めりゃ済むという視点で今のデモは行われていると思いますが、私の認識が間違っていなければ、原発で原子炉の中で一度核反応させてしまったものって、発電を止めていても別に核反応が止まってるわけじゃないですよね。軽水炉については水が安全に流れていれば、水による冷却と核反応によるエネルギーが均衡していて水が蒸発してなくならない状態を「停止状態」と呼ぶんでしたよね?
大飯原発の再稼働についても、制御棒を使って発電のために核反応を促進させていなかっただけで、原子炉の中の核反応をやめていたわけではないので、そもそも止められないものだという認識でおります。
ただ、それをおおっぴらに言うと「冷温停止」「緊急停止」という言葉に真実味がなくなるので、電力会社側もそういうことは言わない。冷温停止は安全だと主張する。
いずれにせよタテマエ論でしか話が進んでいない、というい認識でいます。
要するに車で言うと、エンジンが止まっていない状態でギアを抜いてブレーキを踏んだ状態が「停止状態」、だけどエンジンは止められないのでエネルギーは発生し続けている、というのが原発の仕組みだと思っています。で、ガソリンがなくなるのに30年以上かかる。
故に、もし今後、原発廃止が何かの政治的理由でタテマエ前提で進められたと仮定して、一番怖いのは原子力なき後の電力不足がきっかけで、残った原発(や使用済み核燃料)の「冷温停止状態」の均衡が崩れてしまった時ではないでしょうか?
だって別に核反応止まってないんで。
そもそも原発批判がNGワードになったのは、批判をうまくかわす方法としてネガティブはスルーするというタテマエ論に走ったからですよね。
同様に、大飯原発の再稼働をデモで阻止することにもあまり意味を感じず(要するに動かすも止めるも今更もう遅いから)、こういうのは30年以上のスパンでの長期的視点に基づいて正直ベースで代替エネルギーと廃炉を同時に考えて行くしか手は無いのではないかと思っていますが、いかがでしょうか?
ものすごく悲観的に考えると割と絶望レベルなのですが、絶望しても仕方ないという視点で、技術力で前に進む事はできないものなのでしょうか?iPodをゼロから作るような問題そのものを作るのは日本人は苦手ですが、目の前にある問題を解決する力は世界一だと思いますし。
p.s.原発って、ハードスイッチがないソフトウエアだけのパソコンみたいなものですよね。biosレベルで熱暴走すると止められないという意味では同じ。パソコンは電源ケーブル抜けば止まりますけど、原発は、ものすごい性善説的前提の上で成立する技術。それが最悪な方向に触れたとか、ほんと夢であって欲しい話。ただ、もう後戻りできない川を渡った後。
参考:
冷温停止のリスク