July 27, 2011
先日、タイに出張に行っていて、どうしても気になっていることがある。
Dr.Houseという僕の好きなアメリカのドラマがあるのだが、日本では今、シーズン6が始まった頃だと思う。
しかし、タイではシーズン7をやっていた。
字幕のコストがかかるのはどっちも同じだ。
その気になればシーズン7が流せるということを知って、なんか悔しくなった。
タイは現状、日本の約1/3ぐらいの貨幣価値で、相対的には後進国に分類されるらしい。
しかし、そこでの生活は何不自由なかった。あるとするならば貧富の差か何かに起因して、政情不安や社会システムがまだ成熟していないということであろう。
そこにある人々のエネルギーは、震災自粛ムード前の日本でも全く見られない光景がある。強いて言えば、ワールドカップ直後の渋谷みたいな活気がある。それまで、お土産屋ぐらいしか売る物がなかったかもしれないところに、コピー品や、他国のIT製品を武器に、パワフルな商売をしている。そういえば僕が子どもの頃の秋葉ってそんなところじゃなかったっけか。
生活面では、お金さえあれば、日本と比べてショッピングセンターで何一つ不自由することはない。Dr.Houseしかり、スタバやマックしかり、寿司だってラーメンだってウナギだってある。割と今の生活とあまり変わらない環境は得られるようだ。
今の日本はお金がなくてもあまり不自由しない国である、とも言える。そして、全国的に満遍なく、一定の利便性がいきわたっている。
それはハッピーな国なのだろうか。非常にハッピーな国なのだろう。
原発という行きすぎたものがあるので、議論の余地はあるが、社会システムが遅れている国だったら、被災地の方々はもっともっと苦労されていただろうし。
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しかし、Dr.Houseは何故、日本ではまだシーズン6なのだろうか。
誰かがお金を儲けるための仕掛けか、意思決定の問題か。
これは妄想だから間違ってるかもしれないが、何が違うのか?と想像するに、日本では吹き替えでのマネタイズを狙ってるからじゃないかと思う。最初字幕で放映して、あたりをつけてから吹き替えを放映する。それが終わるまでは次のシーズンに行かないので、その分遅れることになる。
成熟した社会は、お金の流れも成熟してるだろうから、その最大化を狙うことは当然だろう。その分、ソーシャルゲームでものすごいお金が動くとか、DVDが高く売れるとか、特にコンテンツ産業は、モラル意識の高い先進国と呼ばれる国の方がマネタイズは有利だ。Dr.Houseにしても、ローカライズしても元が取れるからこそ、コストをかけるというのはあるように思える。
しかし、日本が日本だけで閉じているうちは良かったんだろうが、インターネットで検索すればDr.Houseがもっと先に行っていることはすぐにわかる。英語字幕で楽しめるなら、当然、アマゾンからDVDを購入する。
つまり、この時間の差を支えているのは、ローカライズしたらより売れるという、ある種の「ガラパゴス化」ではないのか、とも思う。
今後、AndroidやiPhoneが人々の生活の入口になっていく中で、タイにDr.Houseが遅れている、という差は、あれ、これで良かったんだっけ?と、漠然とした不安感を感じさせられる。
既存の新興企業が巨大になって変化を遮ってしまう、何かに目を捕らわれている間に、後進国だと思って手を伸ばしてなかった国に、先行を許してしまうのではないだろうか。何が、それに該当するのかはよくわからないが。
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タイの携帯電話にしろ白物家電にせよ、韓国企業に埋め尽くされている。Androidにしても、GalaxyやOptimusは普通に売ってるが、どこにもMediusだのレグザなんてものは見当たらない。見かけたのは、せいぜい海外企業であるXperiaだけだ。
高付加価値で行かなくてはと家電メーカーの経営者が揃って叫んでいた日本の製品は存在しなくて、iPhoneという誰もが認める超高付加価値製品はその立ち位置をしっかり確保していた。ちなみにiPhoneの本体価格は日本と変わらない。基本は現地以外の人が買うんだろうが、現地でも持ってる人はいる。僕が子供の頃に売ってたMacみたいなものだろう。
あれ?日本って、これでよかったんだっけ?
短期滞在で見えてるものは少ないが、一点だけ実感したのは思考が日本で閉じてるとヤバイなと思った。確かにコンテンツプロバイダーなどは、これからi-modeの成功体験を輸出できる時代が来るのは間違いないと思ったが、発想としては、ただ転用するようなタイムマシン経営ではないとは思うところ。
世界との足並みが取れてない日本は、今後、土台となる国自体が凋落していきそうな部分と、最先端を突っ走ってきた成功体験との折り合いで葛藤は続きそうだ。