May 04, 2011
先日の震災の時に、非公式RTによる収集のつかない情報伝達が起き始めたので、DG社のtwinaviやtwjアカウントのつぶやきが公式RTの推奨をはじめ、モバツイもデフォルトで公式RTを推奨するUIに変更になった。
以前からツイッターのタイムラインを見ていると、公式RT派(正確には非公式RT嫌悪派)と、そうでない人というのがいて、比較的長い間、静かな戦いが繰り広げられていたりするのだが、どうも本格的な論争になったのを見た事があるわけではない。
■そもそもRTとはどんなものか?
そもそもRTとはどんなものか?を整理すると、リツイート(retweet)と呼ばれるこの機能、別に元々、twitterに存在していた機能ではない。アメリカの方から、他人のつぶやきを引用するためのフォーマットとして出てきて、これをサードパーティのツイッタークライアントが機能として取り入れて広まった。確か賢い情報アーキテクトの人が提案していたような記憶がある。RT何やらという文法で、人の興味に即したツイートが引用、再配信されることで、それまで非常に寿命が短かった、発言の寿命がRTされる数だけ長くなり、当初は特にツイートによる有名人を排出するきっかけになった素晴らしい機能だ。
しかし、アメリカでどういう問題が起きていたのか知らないが、ツイッター社は何かをきっかけとして、Retweetを公式機能として取り入れた。ただし、多くの日本人が期待したコメントをつけるようなものではなく、元つぶやきを紹介する機能、として実装された。
その代わり便利機能も追加されて、
・そもそもそれがRTであることがわかる(apiで捕捉できる)
・何件RTされたかがわかる
・RTをした場合、RTした人のグローバルなつぶやきとして送信される(リプライ(mention)ではできない)
・ただし、他のフォロー者が送信済みのRTと同じであれば、もうその人のタイムラインには二度目以降は表示されない。
・元の発言を消せば、全てのRTが削除される。
・自分のRT、自分の発言のRT、フォローしてる人のRTなどを抽出するapiが用意されている。
・・・とかだったと思う。機能が変わったりするので、間違ってたら教えてください。
基本思想としては、引用というよりは、つぶやき主を主体すると発言の伝染機能としてリリースされた。
これは140文字の「英文」ではコメントをつける余地などないことから、妥当な機能だと思う。ただし、言語的に工夫が可能な日本語を使う日本人には満足できる機能ではなかったことから、既存のRTは、そのまま生き残っている状況である。
ツイッター社によって新たに上書きされた新しい公式のRT機能を、「公式RT」、それまでのRTを「非公式RT」などと呼んで区別することとなった。(すべて俗称です)
なお、via @○○や、QTなどは、これら引用機能の派生である。
viaは、当初から存在していた引用行為の文法提案の一つで、RTは、公式RTが出てきた頃に、だったらQTに変えた方が良くね?と言った人たちによる方言みたいなものである。
QTは、tumblrあたりで使われていた、まさしくQuote(引用)の意味だそうだ。
主にサードパーティのクライアントのユーザー文化や作者の意向で、選択され取り入れられている状況だが、面白いのは、tweetieを買収したためtwitterの公式クライアントにQTが実装されているという状況(今は消えた?)もあり、単純に公式RTにすれば良いものではない、という複雑な状況が反映されている。
■それまでのRT(非公式RT)の功罪、その1
余談だがモバツイでは、RTという文法が出てくる以前に引用機能を実装しようとしたことがあったが、直で引用するのはやめた。理由は非公式RT嫌悪派の主張と全く同じ事を予測したので、一クライアントとして問題を起こすのを避けたという経緯がある。
古くからのモバツイユーザーであれば、ツイートにメモボタンがついていたのを知っている人もいるかもしれない。メモの先には、メモの編集機能と、ツイッターへの送信ボタンがある。つまり1ステップ置く事で非公式RTと同じ事が可能だ。これは問題になるのを逃げた。そうしたらRTという文法が出てきて、各クライアント作者がキャッチーに取り入れていたので、これは悪魔の封印が解けたと思ったので、これ幸いとメモボタンをなくしてRTに変更した。(UIには限りがありますので優先順位を変えたという意味です。)
リツイートは文章の長さに制限のあるツイッターでは破壊的な行為だったと思う。しかし、それは同時に、制約の中で、悪魔的な魅力をも発っすることとなる。
それは世間的な有名人がツイッター内で台頭するにあたって活用された。
有名人はフォロワーは多いが、更に加速度的にフォロワーを増やすにはリツイートでフォローしていない人へ伝染することはとても重要なこととなる。
忘れなければ後で書くと思うが、公式RTの機能は、これらの有名人の発言の伝達をどううまくやるか?を目的として実装された機能だと思う。つまり、ツイッターがツイッターとして大きくなることを前提とした機能として磨かれたということであって、特に日本人のユーザーニーズと一致していなかったのは、そこにあるのだと思う。
■それまでのRT(非公式RT)の功罪、その2
さて、非公式RTと呼ばれる引用機能の悪魔的な弊害を書こうと思う。それが非公式RTを嫌悪する人たちの主張と比較的一致してるので、非公式RT導入後の結果論も含めて書いてみる。
・みんな中途半端に人がいいのか、クライアントツールが自動で切ってしまうのか、「RT@アカウント」を維持しようとして、何度もRTされると訳のわからない文章になってしまい美しくない。
・最悪のケースだと文章の意味が変わる。
・更に最悪のケース、RTの仕方が中途半端で、誰が発言したのかが変わってしまう。
・RT元の発言が、うっかりミスやデマだった時に本人が取り消す事ができない。
・RTされた人のメンションに大量の非公式RT履歴が送られてくる。
・クローズドのつぶやきをRTで公開する人がいる。
などだろうか。
RTというフォーマットがあろうがなかろうが、別にコピペ引用して再発信することは誰でもできるので、悪意が云々と、あんまりネガティブ過ぎる話と、そもそもクローズドアカウントのつぶやきにRTボタンをつけているクライアントっていかがなものか?という話はさておき、結局のところ、僕は2つの問題点を感じた。
・多段RTとか文章が切れるとか、RTする人が他人のツイートを扱うことに対して配慮が足りない問題。
・RTされた人のmentionが埋まると言う特性は確かに回避できない。問題は、そのRTが、RT元にとってハッピーな話なのか否かで変わるのではないか?
という問題だった。
結局のところ、配慮の足りないRTが、RTされた側を迷惑にさせている。
ただ究極的には、RTされた側が迷惑なのか否かなのか?というのは、そのRTの形成における文脈に依存するというイメージを持っている。
もっと簡単に言うと、「うざい非公式RTをされると、非常にうざい」だろうし「RTされたことを教えて欲しい場合もある」ということではないか?と思う。
これを機能として一元化するのは難しい。
モバツイでも、公式RTが出てから、非公式RTの扱いをどうするか考えた。
考えて考えて、ユーザーさんの声を聞いて、この問題は、実は公式RTの機能だけではカバーできない、非常に微妙なユーザー心理が影響していることを知る。
そういう過程を経たので、今のところ非公式RTは削除しないでいる。
非公式RTには、ネットコミュニケーションリテラシーの心の機微みたいなところがどうもあり、元のRT問題が配慮不足に集約されるのであれば、RTを使いこなす方法というのがもう少しあっても良いのではないか?と思う。
■非公式RTじゃないとできないこと。公式RTが目指したもの。
公式RTは優れた機能だが公式RTではできないことがあるからこそ、非公式RTが使われている理由になる。
故に、いくら公式RTの機能的な優位性を主張したところで、ユーザーニーズというボタンが掛け違っているのであれば、かみ合う訳がない。
リツイートというツイートの再配信機能には、2つの目的が存在していることに気がついた。
それは、
1.有名人が恩恵を受けるような、また災害情報の伝達など、「情報伝達の方法」
2.コミュニケーションの一つの形
である。
前者は公式RTが目的とするところで、後者は公式RTでは気持ちよくは、できない。
そもそも、ツイッターが何故日本で流行ったのか?というと、140文字という情報量の他に、@や通常つぶやき、フォロー、フォロワーシステムと言った絶妙な情報公開コントロールが、当時のmixi日記と比べて、非常に自然で、コミュニケーションするにあたって心地よかったというのがあるとするならば(僕はそれがあると思っている)、非公式RTと同じことをしたいなら、「公式RTの後につぶやきを書けば良いじゃん」、というわけにはいかない。
(それでみんな良いなら、ツイッターも流行ってないと思う。まさにmixi日記で良いじゃん、と同じになってしまう。)
基本的に人間は、寂しがりやで、1:1のコミュニケーションよりは、微妙に多くの人とコミュニケーションを取りたいものだ。
元々のツイッターの楽しさが、パーティ会場での談話みたいなもの、という表現を僕はしていたが、誰かのつぶやきをきっかけに、いろんなコミュニケーションが生まれては消え、生まれては消え、というのが仲の良い人や、マイミクなどと言う枠に捕われなかったのが、少なくとも、2007年当時のツイッターの楽しさだった。
今はユーザーが増えすぎて、そうも行かないかもしれないが、僕は今でも重視しているので、フォローこそはしないかもしれないが、フォロワーさんやリストに入れてる人からの突然のコミュニケーションは全く持ってウエルカムな姿勢でいる。僕のつぶやきで、例えば、奥さんだったり、社員だったりとのやりとりがほとんどなかったりするのだが、内輪で済むコミュニケーションをネットでするのは好きじゃないというのがある。
(ということで、 @fshin2000 へフォローよろしく!)
と話がずれた。
■僕が最近こうしているというRTの運用方法
とりあえず現状、であるが、自分の中でのRTの運用方法はこうやっている。
表にするととたんにわかりにくくなるのだが、要するに元つぶやきに対して、どうしたいのか?元のつぶやきはどうなっていたのか?によって使い方を変えている。
基本的な考え方としては、所詮非公式RTは、ただの文法でしかないので、別にRTの文法を守る必要はどこにもない。つまり、@をつける必要もないし、引用元の名前を入れなくて良い時もある。何を尊重するか?で変えたら良いと思っている。
【ケーススタディ1】 誰かがつぶやいているニュースを見て、感想を書く場合
→必ずしもツイート元の名前を引用する必要はないので@を消したり、名前を消したりツイートすることがある。
誰かの意見に触発されたのか、たまたま見かけたのか?で変わります。
ニュースサイトからブックマークレットやツイートボタンでしれっと発言して、普通の発言として送っても良いでしょうし、元の誰かの名前を入れる事が重要なら入れたり、と柔軟に使い分けます。
相手が自分のフォロワーであれば、見てくれることもあるので、わざわざ@で主張するほどのこともないのであれば、ちゃんと感想が伝わって、コミュニケーションできたりしますよ。
【ケーススタディ2】 多段RTになりそうな場合
→多段RTになった結果、もはや関係ない人がいるなら、見なかったことにしてアカウント名を消すこともあります。
そもそも元つぶやきは一つのURLで存在するものなので、別にRTされた経緯を律儀に表現する必要はないと思います。
(その変な遠慮みたいなのは、140文字には馴染まないです)
【ケーススタディ3】 誰かのつぶやきの周知 (誕生日おめでとう!みたいなのを追加)
→こういうのはmentionに入ってくることは、つぶやき主はうれしかったりする可能性が高いので、@をつけて非公式RT
RTの文法によるリプライというのはこの範囲に入ると思う。そこにコミュニケーション性があるや否やで、迷惑か否かは変わる。
有名人に対する非公式RT+コメント付きは自分を知って欲しいという意図がある可能性があるが、そういうのは大体スルーされる。
【ケーススタディ4】 本人や関係者にだけ伝わればよいこと
→普通にリプライを使いましょう。それぞれフォローして関心のある人たちには伝わります。
【ケーススタディ5】 公式RT
→公式RTを非公式RTするのはマナー違反だと思うのでやめましょう。
仕方ないので、あとからつぶやきますが、人によっては、前提となるつぶやきが見えないと思いますので話が噛み合ないこともあります。仕方のないことです。
ニュースであれば、ケーススタディ1と同じ対応もありですね。
公式RTは、それ以上、コミュニケーションが広がらないという面もあるので、考えどころです。
■最後に
この記事、変なマナー教室みたいに見えたらごめんなさい。
意図しては、要するに、元発言をリスペクトして、相手に迷惑がかからないようにしたい、という表現です。
ストリームapiを使ったクライアントを見ていて思うのですが、つぶやきが、まるでツイッターにとっての、にぎやかしのように流れて行くのが実は凄く大嫌いです。何故かというと、一つ一つのつぶやきは、それが例え第三者から見てゴミのように思えても、そこには1人の意思や生活の切り取りがあるからです。ツイートの一つ一つは尊重されなくてはいけないと思っています。
(ガンダムのナレーションにありますね。宇宙のきれいな光の一つ一つに、誰かの死がある、と言ったような。)
そういう中での、RTという制約の中での選択を書いてみました。
これが必ずしも、相手が迷惑に思うか否かはわかりません。@を外したりしてることに対して怒る人もいるかもしれないので。
ただ、非公式RT反対派が主張していて、どうしても解決できないmentionsのことを考えると、余計な@はつけない、というのが適切だと思いますので、僕はこうしています、という一つの例としてblogに書いてみました。
もし参考にして、良いと思った人が採用する、そうでない人は別の考え方をする、という民主的なプロセスでブームが形成されていくことこそが、本来のツイッター流だったハズなので、どうぞご参考まで。
しかし、@やRTで、微妙な文脈表現を表現するというのは、ものすごく難しい話で、面白いです。ツイッター。こんなCUIインターフェースが多くの人に、まかり通ってるってのは、まさに奇跡に他ならないと思います。他のサービスだと、せいぜいイイネぐらいが関の山と言いますか。
日本人としては、末永く生き残って欲しいと思うサービスです。マジで。