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藤川真一について


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February 08, 2011

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朝、埼玉からの通勤電車に乗っていると見かける、東京あたりの私立小学校や中学校に電車で通ってる子供達は、エゴ丸出しの満員電車を経験することは、本人に成長過程にとって、はたして良いことなのか?と思っていた。

ネットで人間のエゴが見えるトラブルのパターンとして、

「ルール vs ルール」

ということがある。

よくある地雷パターンが、ネチケットという、もう20年来存在している言葉があって、いわゆる「ネットのエチケット」という言葉。つまり、

「あなたはネチケットに反しているから○○しないでください」

という理由で攻撃して、本人にとって困った事態を、どうにかしようとするケース。

ネチケットの難しいところは、何がエチケットに抵触するのか?という部分にコンセンサスは一切存在せず、更に、極めて主観的な運用が可能だということ。

特に、この言葉を使う人が主観的な主張をしてしまうことが多いようで、余計に突っ込みどころになって炎上してしまうこととなる。


また、そこに対して責める側も、いただけなくて、つまるところ「馬鹿なことを言ってる不快なやつ」だという感情面を、インターネットのルールや、サービスのルールを持ち出して正当化してしまうところがある。

ツイッターであれば、「それが嫌なら、アカウントをプライベートにしろ」などというケース。
blogの無断リンクの話でも同様のことが言われていた。

確かに恣意的にルールを捻じ曲げられることは、ある種の不安を感じてしまい、過剰反応してしまうことはある。

ただ、掲示板サイトのように同一の場所を共有していた時代においては、他人のルールの違反は、自分の不利益に直結してしまうので、どうしても必要な場合もあったのに対して、blog以降のWebは、関わらなければ絶対にその人の存在に見ないことが可能だ。しかし、いったん勝負になってしまうと徹底的に攻撃して、極端なケースでは、その存在そのものをなくそうとする。

インターネットにアクセスしている人には、こういう考え方が圧倒的に正当化されていて、まかり通っている。

それ自体は、正論なので、何が悪いと言われればそれまでのように見えつつ、人間対人間のやりとりとしては、もう少しどうにかならないものかと思うところがある。

よくありがちな理屈で、「インターネットは公だから、見たければ見られるので云々」という話。しかし、事実としては、論理的にアクセス可能な状況と、誰かが好んで見に来る状況が生まれるか?というのは別問題であって、興味を持たれなければ、ほとんど存在しないに等しいと考えれば、相手にしないでください、ということで、解決可能な問題もたくさんある。

インターネットは論理の世界というよりは興味の世界である。

誰も注目しないページにbasic認証をかけようがかけまいが、リンクさえ貼られてなければ誰にもアクセスはされない。つまり、グローバルに公開されていても、存在していないのと同じであり、お互いの興味の範囲外になってしまえば、これと同じことは可能なので、何もあなたの平和は侵されないという状況を作り出すことが可能なはずだ。


世の中、生きていると理屈ではまかり通らないことが沢山あって、もっと曖昧な状態で両者が共存していることは多いと思うが、インターネットを論理で捉えるケースでは、曖昧な状況が許されないことが多い。

我々は、感情を前面に出すのは愚かな行為だと、どこかで思ってるところがある。

しかし、一番愚かな行為は、感情を理屈で正当化する行為である。

嫌なものは嫌だ、という解決できない感情を、決して隠さず、お互いを不快にしないように伝えあうことで、少なくとも、お互い気持よく、配慮しあうことは可能だと思う。


戦略としても、ネットに多い高学歴+理系の人は、理屈を理屈で返すのは非常に得意なので、ネットユーザーに真正面の理屈で攻撃をするのは、そもそも勧められることではないというのもある。不毛といわれる議論は、死ぬほど見てきたし、自分でもやってきたので所謂、老婆心とか言うやつだ。


犬を見ていて、人間がもっと感情を表に出せたら平和になるなぁと思うことがある。相手に好意を抱いたらしっぽがブンブン動き、相手に委縮したら尻尾が丸まり、怒っていたら毛が逆立っているという感情が可視化されていれば、それに対する対応もやりやすい。

ネットコミュニケーションは、あまり感情をすべて見せないようにし、顔も見えない中で、文字で何かを伝えようとすることになる。そのため、そこで全てを理解しあおうとするのは無理があるということは知っておくと楽になれるかもしれない。

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