February 05, 2011
独立したのがきっかけで、いろんな人としゃべったり、飲みに行くことが増えたが、いろんな会社の社長さんのサクセスストーリーを聞いたりしていて、常々、
「ネットで成功した人は、何がしか無茶をやってきた人が多い」
ということを思っていたが、今日の朝まで生テレビの堀江さんを見ていて、この言葉をまさに思い出したので、朝方にも関わらずブログを書いている。
いろんな会社さんの無茶パターンで言うと、例えば、
・起業時期が無茶をしている
・お金の使い方が無茶
・ビジネス自体が無茶
などなど。他にも上場の仕方が無茶とか、提携や買収の仕方が無茶、とか。
ベンチャーというのは、そもそも無茶をするもんだと言ってしまえばそれまでだが、無茶をするというのは、つまるところヒトモノカネという会社のリソースのバランスを崩して、何かを成し遂げるということなので、言うほど簡単に実現できるものではない。
まして、自爆せずに成功したという尊敬すべき経営者は、ただ単に、インターネットという伸びる世界にいただけで波に乗ったかというと決してそんなことはないし、無茶な活動の結果として、インターネットの成長を作り市場そのものを切り開いている。そこにグローバルもローカルも関係ない。ラスト1クリックの人の心を動かすアプローチの違いに過ぎないのではないだろうか。
頭が良くて計算してやってる人もいるかもしれないが、ある種の素で行動した結果、波に乗ったというのもあって、人によって違うが、どちらかというと後者の人の方が多いんじゃないか、と思っている。
そもそも、不確実性の高いタイミングだからこそ成長すると考えれば、まっとうな判断をすると「まだ様子見」になる時期に何かをするのがベンチャーだからと考えれば、頭の良い人が、本当に頭が良いのか悪いのかは謎である。少なくとも大企業で生き残るような頭の良さとは違うと思う。(それであれば大企業で活躍している人も多いだろう)
勝てば官軍という言葉もあるとおり、成功体験を通じて成長するのであれば、やったもん勝ちというのは基本的には正しい。
何故無茶が必要かというと、「適切なリソース配分」は、いろんな意味で状況が安定してしまうので、何かを変え続けるために外乱を作らなくてはならない。安定は、変化に対する抵抗値が大きくなる。軌道に乗れば既得権益が大きくなっていく。変化に対して腰が重くなる。
ある種の無茶ぶりこそが新しい何かを生み出す糊しろになると考えれば、あえてヒトモノカネを費やして糊しろを作り、そこに当てはまる収益を生んで行くというプロセスで成長していく、ということになる。
そのフットワークの軽さが企業の力となる。今日の朝生で、日本で長く勤め続けた方が出世できるという日本の成功モデルは崩さなくてはなららないという話があった。高度成長期で作られた素敵な成功モデルに乗り、守るだけでは生き残れない時代になっているが、みんながそれに気がついて、一気に雇用の流動性が高くなると国が不安定になるので、自分で何かができる人からうまくやっていく、というのが今の状況と言えよう。
そう言われて何年になる、という話はあるが、数十年の成功モデルがそう簡単に崩れるほどしょぼい国ではない。そこがガラパゴスの素敵なところ。しかし、着実に、ゆでがえるに向かっている現状でもあるのだろう。残念ながら堀江さんが逮捕されてしまったことで国内で乱暴な革命を起こすのは難しいことがよくわかったが、いずれ中国企業に日本企業が買われて行くタイミングで、多くの人が日常で実感していくことになるのだろう。(あーソフトバンクの30年ビジョンの本もらってたんだ。そこら辺にもクレバーな人たちの考えてることのヒントがありそう。)
話がそれたが、大企業の場合は、新しいものを生む糊しろは研究所などが当てはまるのだろうが、既存事業の既得権益が故にシナジーを生かせないのであれば、経営者が存在意義を理解できない技術は、その会社にとってはオーバースペックであり、経営者がハンドリングできる程度の技術革新こそが、既存事業の成長を支えるきっかけになるというのはあると思う。
自分の場合は、元来、エンジニアということもあり、基本的には「至極まっとうな判断をしてしまう人間」だと思っているので、自分の思考原理を逆手にとって、意図的に無茶をしようとしているというのは結構ある。雨降って地固まる的な。
不確実性のない会社は成長しないと考えれば、如何に不確実性を作り続けるか、ということなのかもしれない。そういう意味では胃が痛くなるような日々こそが日常となる。それが、「新しいことにチャレンジする」というよくある言葉の正体なのだろうか。(残念ながら、僕はまだ胃は痛くなってないのだが。)