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藤川真一について


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November 28, 2010

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WebSig一日学校に行ってきた。
最近、何かが枯渇しつつ感があったので、エネルギーをもらいに慌てて金曜日に申し込んだ。

会場は、デジハリ大学の八王子制作スタジオ。廃校になった小学校跡地らしく、体育館、教室で授業を受けて来た。面白い場所である。

学校で授業を受けるというメタファを使って、自分達は今後のWebにどう向かっていくか?を考える一日だった。

今回、橘川幸夫さんの授業が僕の中の一番の目玉だった。

以前、ペパボの時に取材させていただいた久米繊維の久米社長や、WebSig代表の和田さんからそれぞれお名前をお伺いしていて、密かにツイッターでフォローしていた方だ。

ロッキングオンを創刊されたメンバーの一人で、今回は、情報化社会、メディアとは?という話が随所に見られた。特に、読者参加型のメディアとはなんぞや?という指摘は、目からうろこが落ちるようなお話で、

「参加型メディアは、参加したいという意思が大事。意思が集まって場ができる。ロックが聴きたくない人が集まって暴れても仕方がない。ロックが聴きたい人を集めるからメディアになる。参加させられているメディア(CGMなどの)では意味がない。」

これはソーシャルメディアとはなんぞや?という基本的な考え方となる。

「電子掲示板「好きなことをしゃべる場所」、、、何もないところでしゃべるのは難しい。そんなことができるのは変な奴、、、芸術家だけ。参加型メディアは普通の人のメディアでなければならない。何かに対する意見を言ってください、ならできる。」

「投稿雑誌は創刊号がない。投稿がないと作れないから。ネットワークというのは、知っている人を繋げる。組織できる人を繋げる。」

-・-

まだまだ続く。

「参加型ネットワークの本質は「オリジナル」ではない。必ず何かについての意見になる」

「インターネットは発信者負担。従来のメディアは受信者負担。表現したい人が通信料を払って表現している。」

「芸術のように成果を見せびらかす表現。人の内側から伝えたい表現を集めるのが参加型メディア」


Web2.0、Web進化論で大騒ぎだった時、ブログで自己表現ができる時代になり、ニュータイプがニュータイプとして楽しく生きていける時代の変化に、人の革新を夢見た。

確かに、ブログによるの情報流通によって、一部のアルファブロガー、アルファブロガーに準ずる人には、人生が変わった人も少なくない。多分、僕も。

ここで橘川さんのお話にもあった大事な言葉である

「自己満足」

という言葉があった。これは、エンジニアクラスの川崎さんやヨシオリさんのプレゼンにも同様の要素があったように思える。アウトプットは、ある種の自己満足性がないとできないものだ。ヨシオリさんが言っていた、

「勉強中だからまだ公開できません⇒「じゃぁ、あなたが完成するのはいつ?」やらない理由を考えるのではなく、どんどんアウトプットしよう。」

これができない人というのは、自己満足性が極端に低いのかもしれない。エンジニアは特に自己評価が異常に低い人が多いし。

これ、乱暴に言うと、現代の芸術家としてのありかたなのかもしれない。かつては情報発信が特権だった時代は「知的労働者」だったが、今は形容の一つに「ギーク」という言葉があるのかもしれないし「デザイナー」「クリエイター」なのかもしれない。

-・-

Web2.0の理想が、一億総表現化社会のような「外向きの自己満足」だったとしたら、mixiやFacebook、Gree、モバゲーへの集約の時代の今、ソーシャルゲームに数百億円が動くという現象は、ある種の「内向きの自己満足」なのではないかと思う。

人は内向きの何かに対してはお金を払う。共有物にお金を払うのは難しいが、「自分が使うモノ」を特権的、独占的に手に入れようとする時にお金を払う。レンタルサーバーが、インフラ&ツールサービス提供者として有償サービスでビジネスをしているわけだが、ブログ無料時代に、個人でレンタルサーバーによる情報発信にお金を支払っている人が沢山いるという事実は、「情弱」みたいな合理性を示す言葉で説明できる話ではない。きっと、これはソーシャルゲームも同じなのではないだろうか。(残念ながらそこを語れる経験がない。)

前職のペパボは「個人の情報発信を支援する」という「外向きの自己満足」を志向する人のためという言葉を使っていたが、ソーシャルゲームにせよ、ツールにせよ「自己満足」という考え方は大事だと思う。

通常「自己満足」というとネガティブな印象があるかもしれない。「利己満足」と表現するのが正しいのかもしれないが、そもそも集合知の概念が、ツールを使う利己満足の集合体に価値があるのではないか?という考え方だったわけなので、決して、自己満足はネガティブな行動ではない。

そもそも人は利己的な存在である、という考え方を受け入れた上で、集合知を作りだし、どうみんなで幸せになるか?という考え方が、あまりお金にならなかったというのが、Web2.0がビジネス的に負けたという結果であろう。まぁ金儲けのための集合知はそんな簡単に行かないよという話だろう。

Web2.0にあった流れが人の革新だとすると、その理想とする世界は、本当の意味でフラットな世界だったと思う。

人同士が素直に繋がることによって、共有される知は最適化される。多分、梅田さんが求めた世界ではないだろうか。

残念ながら、人はそんなに純粋な存在ではなく、野望もあればコンプレックスもある。嫌いな人と繋がるのは嫌だし、何かの格差があれば攻撃をしたくもなる。また逆に、好きな人とは趣味があわなくても楽しくワイワイと時間を費やしたいものだ。

それが結果的に、mixiの考えるソーシャルグラフに繋がっていくのだろう。

-・-

twitterは、その間を行っている。フォローフォロワーシステムというシンプルで絶妙の情報管理システムによって、フラットな情報空間を快適なものにしている絶妙な世界だ。(ただし、ツイッターの書き込みはtwitter,インターネット共に公開されていますので注意。思いもせぬ矢が飛んでくることには変わりありません。)

おそらく、人が理想的に革新をしていくと言うのは、多分無理。それはガンダムの世界で既に描かれている。先人達もまた同じような理想を持ち、そして現実を見て来たのだろう。それが作品に描かれている。一部の意識的特権階級は常にマイノリティであって、ひっくり返すことはできない。

ソーシャルメディア・・・ネットコミュニティは、あらゆる趣味趣向の切り取りである。そのベクトルや表現性が心地よいサービスがヒットする。

集合知は副次的に生まれるもので、成功するビジネスの一つの考え方は、はてなダイアリーと、はてなキーワードの関係なのかもしれない。これからのユーザーとしては、mixiやtwitter、facebookなどでネットで情報発信することに慣れた大人の次の一歩がキーポイントだと思っている。大人と言っても今風で言えば「リア充の大人達」

(そういう意味では、正しくmixiやfacebookが巨大化した先には、グループチューブやOpenPNEのような小さなSNS-ASPの時代がやってくる。ただし、その時にこれらのSNSの形がベストなのかはわからない。ただし、昔の草の根パソコン通信ホストの時代がコモディティ化した形でやってくる。更新情報は本人のメール、ツイッターやfacebookで共有されるが、ソーシャルグラフが個別テーマのSNSにローカルで閉じ、その管理者であるコミュニティリーダーとして賞賛される時代。そこが報酬。)

一時期ささやかれたデジタルネイティブは、基本的な人間に、デジタル発信力がデフォルトで備わっている存在、と捉えるべきだろう。なんとなくどんな年齢でも、空気を読む奴は読むし、読まない奴は読まないし、職人みたいなやつは職人だし、ちゃらんぽらんな奴はちゃらんぽらん。期待する程、インターネットだけでは人間は変わらない。

多くの人との良質な経験を通じて人は成長をするかもしれないが、その志向性はネットに関係なく本人の性格に依存するのではないだろうか。「できる人」(「素直な人」を含む)の才能にレバレッジが生まれるのがネット社会。

-・-

今回のWebSig一日学校への揶揄で、いつからWebSigは自己啓発セミナーになったの?みたいな書き込みがあったそうだ。

別に自己を啓発していたのではなくて、今を俯瞰していた、というのが正しいのかもしれない。あくまでもアプローチの仕方に過ぎない、というのが代表の和田さんの考え方ではないかと思うので、近視眼的な自己啓発が目的ではない。もし参加者の意見だとしたら、意図が伝わらず残念だ。

それはさておき、今回、ワールドカフェで議論してみたら、10年後は、組織から個人の時代になるという意見が多かった。

しかし、組織というのは、個人ではうまくいかないからこそ、組織にレイヤーを取り入れてみたり、同じ時間、同じ場所を共有する存在だと思うので、そうは簡単ではない。

いくらインターネットシステムが発展しても、人自身の身体的、精神的成長がなくては、個人が家で仕事をするというライフスタイルは実現しない。

そこを促すために、さまざまなバズワードによってトレンドを作ろうとするし、実際、そうやって変化していくんだろうが、とはいえ、社会というのは人の限界という制約に依存する。インターネット社会も変わらない。その一つのありようとして、ネットが出てきて生産性があがったハズなのに、僕らは余計に忙しくなっただけではないか。場所や時間の制約がなくなったが、それって幸せなんだっけ?。

(これもおそらく答えもあって、仕事とプライベートを分けない働き方、という考え方も橘川さんのプレゼンにはあった)

その中で、今後どうやって生きて行くか、というのを考えて行きたいところ。

-・-

あんまりオチがないので、最後にワールドカフェで考えたプリミティブな話に触れておくと、

「今後10年のために今やるべき第一歩」というお題があったが、

「仕事の成果などのアウトプットが人の期待よりも一歩先に行けるようにする」

という言葉を思いついた。「期待通り」ではなく「期待よりも一歩先」がポイント。

これが常にできる人や組織は、最終的には同じ場所にいなくても仕事ができる人になる。つまり個人化が進むハズ。それができないからこそ、リスクマネジメントのために、目に届く同じ場所でチームを組むという話になるわけで。その一つ一つの積み重ねが自律した社会を作るきっかけになると思う。

(そういえば攻殻機動隊でもそんなこと言ってたっけ。)

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