October 19, 2010
他人の話だが、ある受託案件の請負側の話で、あるお客さん向けの成果物を、たまたま営業に来た外部の業者に見せたらしく、その結果、
「うちなら半額でできます」
と言う営業をかけて来たという話を聞いた。さらに業者からもっと安くならないの?というおせっかいの連絡まで来たとのこと。
方程式の結果というのは、世の中往々にしてシンプルなもので、答えから見ると、「こんなものか」と思うことがあっても、
その方程式を組み立てて、解くまでのプロセスというものもありまして、結果論で「それいくらでできるよ!」というのは、答えから方程式が簡単そうだということを逆算している時点で、リスクを負っていない分、ルール違反なわけです。
おせっかいの連絡が、その人のピュアな気持ちだったとすれば、きっと営業がその姿勢で動いている会社の現場は苦労してるんだろうなぁ。多分ね。結局、何にお金を出すのか?という世界。なんとなくディレクターのコストは間接費として0円で商売してるんじゃないかなぁ。
そこに欠けている視点は、用語的には「設計」・・・なんだけど、その言葉は他の業界の人には誤解を生む可能性が高くて、もっとアナログなんだよね。Webページは。
「人(会社)の気持ち(ビジネス)を可視化したもの」がトップページ構成でありサイトマップなわけで、設計というともっと論理的に片付いてしまうイメージを抱いてしまう。
例えばコーポレートのWebサイトの構成というのは、割ときまりきった構成があるものの、どこを強調して、どこを載せないか(載せられないか)というのは、結局、企業の強み、弱み、組織体制に依存するので、一品一様になるのは、そのあたりから。
ECのASPを使っていて、商品もないのにカテゴリ名がとりあえず登録してあって、そんなカテゴリをクリックして商品がない棚を見つけたら、普通、その店から、お客が逃げます、みたいな身の丈に合わない構造になったのを放置してるショップがあったりするけど、そういうのを成長フェーズにあわせて最適化してあげるのが一番の仕事だったりするんじゃないですかね。
「一番、そういうのが、めんどうくさい仕事」
そんなことより、結局のところ、「作ってるプロセスがわかりにくい」ことは、制作業者にとっても自衛手段になると考えると、やっぱりFlashなどで「凄そうに見せる」とか、FLAファイルやPSDファイルなどの元データは渡さないなどというのは、大事なのかもしれない、などとさえ思ってしまう。
ユーザーニーズとは裏腹に、とりあえずオープニングページにFlash使っとけ、みたいなものは、「なんか凄そう」と思わせるのに必要な要件なのかもしれない、とか。
例えば、
HTMLでアクセシブルでシンプルに、伝わりやすくエレガント
というのは、答えだけ見ると、やっぱりシンプルなHTMLなわけで、そこまでそぎ落とすプロセスに目がいかない人が見ると、「そんなの、すぐ出来ますわー」と言われるシロモノなのかもしれない。
とはいえ、この話のポイントは、その営業を受けた、お客さんが、ぼったくられてるかもしれないという不安に陥ったことが問題でして、最終的には、お客様との信頼関係が一番大事、という結論になるような気がします。
この人に任せていれば問題ない、と思っていただければ、もう少し回避されただろうし、何にお金を出しているか、って話なのかもしれません。
ちなみに結果思考でしかものを見られないというのは、「素人はわからないから、そういうものだ」という伝家の宝刀的な言葉をあえて無視しますと、ソフトウエア時代に世界に取り残される日本人の特性そのものだと思ったりもしています。やっぱり、「ややこしい技術や操作方法で、なんか凄そう」と言うのが好きな人種なのかもしれません。
どうも日本人には、職人気質の結果思考・・・プロセスは精神論として全て無価値になる、という癖があるような気がしていて、
プロセスに価値を感じることができなければ、その改善でお金を稼ごうと言う気にもならないわけで、結局、プロセス改善型商品である開発ツールや便利ツール(これはソフトウエアだけじゃない。深夜の通販番組みたいな商品も含めて)、その発展としてのOSやPaasなどのプラットフォーム、はたまたクラウドコンピューティングなどがネットワーク社会で強力なお金を生むエンジンがほとんどがアメリカ発というのは、プロセスでお金が稼げる社会というところがポイントなんでしょうか。
人口が多く、多民族で、クラスタ化、レイヤー化された社会だから、効率化によって差益が生まれることがわかりやすいと言うのはあったりするのかな。きっと、そんなことは意識して考えてなかったりするんだろうなぁ。ただ、時間を金で買うと言う思考は大事でしょうね。そもそも社会に、ものすごい無駄があって、無駄ってことは、お金が回りやすいベースがあって、そこに、お金の集まるダムを作ればお金が集まる、というのはあるのかなぁ、とか。ここは完全に和の国での妄想ですけど。
本質論に走り過ぎて「働かざるもの食うべからず」だと流れてるお金の量がいかにも少なそうですよね。それだったらモバゲーにお金を使いつつも、ローンで身分不相応な高級車を買える世界の方が全体ではハッピーなわけで。それができる社会が、景気が良いという意味なんでしょうケド。結局、余力があることは大事ってことでしょうか。
お金という水が流れていてどう汲めば良いのかを考えるのと、ここにどうやって水道を通すかって考えるのであれば、前者の方が簡単ですしね。イノベーションのベースも前者なのか後者なのかでは、全然違うだろうし。
話がそれてますね。またエントリーを2つに分けた方がいいんじゃね?と言われてしまうw