April 16, 2010
「素直になれなくて」というツイッターを使ったドラマをやってた。
中身は、ケータイ小説を忠実に映像化した感じ。
モラトリアムな若者が、自分の理想と、社会の現実に向き合いながら、今後ネットワークの繋がりに場を求めて行きそうなあたりは、かつてのドラマ「愛と言う名のもとに」を思い出しつつ、誰か一人ぐらい首つって死ぬのかなぁなんて予想をTL上で冗談交じりにしていたら、展開がケータイ小説的で、自殺しないまでもレイプの一つや二つは出て来そうですね。
ストーリーは別にツイッターを使わなくても良かったところに、ツイッターをぶつけたところが鍵なのか。
スポンサーを取りたいからツイッターを踏み台にしたのか、かつての「ユー・ガット・メール」のようにインフラとしてのツイッターを見いだしてるのかは大きな違い。
でもあれですね。
とりあえずグループ宛メッセージみたいなのがpush配信されてたですね。
それtwitterでは、できないから。
でも、今後の大事な方向性の一つですね。
若干、古参的感想書いて良い?
2007年に、携帯でツイッターやってみて、こりゃ面白いやとモバツイを本格的に作り始めて、道を歩きながら面白がってたことを思い出すと、こんなtwitterという名前を使いつつ、携帯やiPhoneを中心に、何やら違う方向の人達に喜んでもらいたいドラマが出てきてる状況を見ると、随分遠くまできたもんだ、という感じ。
そんなことをtwitterに書いてたら、千葉麗子さんに、「えふしんさんも生みの親ですよ」と言ってもらって、あぁそうか、と、ちょっと俯瞰して見れるようになったけど、それでも、どうしても「ツイッターが消費されてる」感は否めない。
とはいえ、ツイッターが全世界で1億人突破とか、tweetie 2の買収によるiPhoneアプリのパワーバランスの変化とか(割と、あからさまにモバツイライクな機能を実装している公式日本語版モバイルとか)、いわゆるビジネスの論理が大きくなってきて、ピュアに個人がapiでちょちょっと面白いものを作ってみましたー、わー!みたいな世界からは離れてくるんだろうなぁ、と。
そんな自分もモラトリアム状態で、この流れに若干ついていけてない部分は正直ある。
多分、企業参入が相次ぐセカンドライフを横目に見ていた、既存のネイティブなセカンドライフの住人達はそんな感じだったんじゃないかなぁ。もしかしたらアメリカ大陸のインディアンみたいなものなのかもしれない。
ツイッターの出資者の人が「Twitterのスタートアップは、穴を埋めてばかりいないでキラーアプリを作れ」って言ってるんだけど、優秀なツイッターのサードパーティのサービスは、ツイッターの穴を埋める結果に見えるのは当たり前だと思うんだよな。
だって、それがツイッターの穴として認識されたのは、そのサービスがユーザーから支持されたからでしょうに。
そういうの結果論って言うんだよなぁ・・・、で、穴として認識できたら自分達で実装するんでしょ?
これを勝負として捉えてしまったら分のない戦いになる。それがプラットフォームとサードパーティの関係。
でも、僕らツイッターのサードパーティ開発者が作りたいのは、ツイッター社があっと驚くキラーアプリじゃなくて、ツイッターにアクセスするユーザーがハッピーになるアプリだと思うんだよなぁ。その時代は、もう終わった、とおっしゃられている?
一体支離滅裂に何の話やら、という感じですが自分の中では割と繋がっている話なのです。
#ツイッターとサードパーティはapiで繋がっていて、サードパーティはapiの制約に依存している。何を意味するかというと、例えば、どのツイッターサービスにも新規ユーザーの増加に寄与する要素がゼロなのは、そういうapiと施策が用意されていないからだ(例えばアフィリエイトとか)。だからツイッター社は口でコントロールしようとせずに、(今までやってきたのと同じように)apiの設計や施策でサードパーティをコントロールすれば良いと思う。
私もドラマを見ました。これは“今”見ているからTwitterのドラマとして見てしまうわけで、これを例えば10年後に見たらどう感じるのだろうかと考えました。
もし、Twitterが今の電子メールのようなコミュニケーションプラットフォームになったとしたら、今回のドラマは単なる恋愛ドラマになります。出会った男女がメールをするシーンは今では普通ですが、「ユー・ガット・メール」の時代はメールを使うことに斬新さがありました。見た時代の環境で何に注目してしまうかが変わるのだと思います。
個人的には、Twitterは電話と同じくらい使われるコミュニケーションインフラになると思っているのですが、民間企業1社がそのようなインフラを提供していいのだろうかと少し疑問を感じています。
ポケベルが鳴らなくてを思い出しました(笑)
数年単位で展開されるブームの1つとしてメディアが食いついてきた結果なんでしょうけれども、こうやってメディアが食いついてきたブームで後に生き残ったものというのはケータイ位な気がします。
twitterも同じ様に消費される運命にあるように見えるので、外部アプリにしろ本家にしろ、ユーザーにしろ停滞せずに「進化し続けられるかどうか」がこれからの肝であり、更に新しく面白いものが出てきたときには、始めにくらいついていたフロンティアスピリッツの高いユーザー達は、こぞってその新しく面白いものを求めて大移動していく様な気がしますね。