February 18, 2010
デジハリの同窓会なるイベントが、赤坂BLITZで開催された。
そこで、卒業生代表ということで夫婦で舞台に登壇することになった。
うちは2000年の1月入学。今は亡き渋谷ハチ公の交差点前のQFrontの渋谷校一期生。
当時、イチローが大リーグに挑戦するというニュースと、いわゆるネットバブル華やかしき頃の熱気が感じられる時代。
何やらインターネットの世界が盛り上がってるのと同時に、そんなので何故、お金が集まるのか?ということが謎に思ってた頃。
元々、パソコン通信をやっていてネットワークには興味があったが、新卒入社の頃は、まだネット企業なる就職先が存在しない時代に就職していたので、ネットの盛り上がりは否応がなく気になった。
そんな中で、デジハリ渋谷校に行ったのは、何かを変えたい、という動機からだったと思う。
よく2ちゃんねるの専門板で、(専門学校としての)デジハリに行っても高度な知識が得られない、という話を見たことがある。
これはある部分では仕方ないことで、受験がない学校であれば、スキルや知識の平準化ができていないのだから、必然的に甲子園に行く高校の野球教育や、偏差値70以上の秀才が集まっている進学校のような生徒の側が空気読め的な教育はできない。
実は大事なのは、そこではなく、デジハリは「環境」だったということ。
周りに似たような志や、より進んだ考えを持った同級生がいて、彼らとの会話の中から、刺激を受けて、意識が醸造されていく。
今日の同窓会で、知り合いが集まって感じたが、デジハリ卒業後の道それぞれで、デジハリに行っていた人たちが絡んでいるんだなぁと、不思議に思った。
そもそも最初に入ったフロムビッツという会社は、社長の川口さんがデジハリの授業に来た時に声をかけられた入ったのがきっかけ。だから、だから初期の社員たちもデジハリ出身の人が多かった。
そのあとペパボに入るきっかけになったkengochiさん(ペパボ副社長)は、京都校の出身。
うちの奥さんの相方は、デジハリ大阪校出身だし、カラメルのデザイナーも福岡校出身。
渋谷校のプロジェクトに参加した山田さんは、WebSigのセカンドライフイベントがきっかけで、メタバースの業界に転職したと聞くし、
今回のイベントに誘ってもらった安藤さんは、元デジハリの職員で、WebSigのモデレーター。
結局、なんだかんだとデジハリに関係している人が周りにいて、今日の同窓会でも、そんな感じで、僕のネット業界に来てからの各種経歴で関わった人達が、半径5m以内に集まっているという奇妙な状況で、不思議な感じがしました。
その他思ったこと。
・ツイッターのフォロワーについてはまともなコメントができなくなってしまった。確かにオススメユーザーに選ばれたから20万人のフォロワを得たのは事実だが、その後、オススメユーザーの仕様が変わったことで毎日数百人の純減状態だ。つまり、幻想なのだろう。この幻想はどこまで減るのか皆目見当がつかないので、杉山校長の質問にもさえない回答になってしまった。あまりにも事実に即して、いらんことを言ってしまったと思う、反省。
・最後に、そらのさんに挨拶できると思ったら、会場撤収の関係上、スタッフの方に止められてしまった。その前に長々としゃべってた人のせいだ。
・今日一緒に登壇した社会起業家ですっかり有名になった関根さんに、当時言われたことは脳裏に残ってる。僕が受託をやる会社に行くことを決めた時に、
「それは自分が主役になれる仕事じゃないよね」
って話をしてた。でも、僕はスキルが不足していると思ってたから、全然問題なかった。まだ本当の意味で主役になれる仕事をしているわけではないが、10年以上はかかってもアリじゃないかな。
そうやって、やり取りをする何気ない一言が結構、大事なんだよね。
それが「環境」って意味。