November 29, 2009
「セカンドライフは成功だったのか、失敗だったのか。」
よく流行りものサービスが出てきた時に「セカンドライフみたいで云々」と言われることがあります。
ここでの「セカンドライフ的」というのは、
・日本を代表する広告代理店が踊ったけど目立った成果を残せなかった。
・一般企業が、こぞって参加した
・そして、希望する集客が得られなかった
というあたりを示していて、保守的で実績重視な日本人社会の中で、珍しくチャレンジングに動いて見事にうまくいかなかった現象を「セカンドライフ的」と言うんだと僕は思っています。
まさにtwitterもそのような言われ方をする状況とも言えます。
確かに、twitterがオープン戦略で参入障壁が低いため、セカンドライフと同様に、さまざまな企業や取り組みが集中している状況として、「セカンドライフ的」と表現したくなる気持ちは、まぁわからなくもないです。
そして、今後、期待するほどの収益や集客を出せるかどうかもわからない。
理由は簡単で、ネットって、TVに比べたら、まだまだニッチだから。
マスの変わりになるかならないかは、まだ見えてない。そんな状況だから、頑張らないと、うまくいかない可能性の方が圧倒的に高い。だから頑張る。
もしマスになってたら、もっと参入障壁が高いだろうし、もっと利権的だろうし、やりにくい世界だと思うし。そうねi-modeの世界なんかはそうなのかもしれないね。
ドコモ担当者と如何に仲良くなって、最新情報を得るかが携帯向け企業の強みだ、なんてPRも聞いたことあるし。それどこの中国かよ、みたいな。
ただ、
じゃぁ、「セカンドライフは失敗した」と安易に言いきってしまう価値観には、私は結構疑問があります。
その失敗の定義は、往々に以下のことを示してるように思います。
・お金を使ったが、費用対効果が得られなかった。
・投資したが、リターンが得られていない。
まるで上司か、投資家のノリです。
費用対効果については、失敗したのは、目標設定も含めて、お金を出した張本人達の都合であって、周りの人が評価する場合は、正しくは「セカンドライフ施策は無駄遣いに終わった」という個別の評価であるべきだと思います。媒体となるサービスを批判する前に、自分たちの判断力や企画力を反省せよって話です。
もし、投資家であれば、期待する期間の間にリターンが得られていないのであれば、投資は失敗だったのでしょう。
しかし、投資もしてない一般庶民にとっては、実に無関係な話です。別に恩恵も損もないのですから。
ユーザーであれば、「セカンドライフをやってもつまらなかった」というのが、正しい表現かもしれません。
話によると、今もセカンドライフを楽しんでいる人たちもいるそうですから、その人たちにとっては、「セカンドライフは楽しい」という評価なんだと思います。
僕は、「セカンドライフは酔うから無理」・・・です。
でも、確かにセカンドライフは、「そこにいる人たち」に感動したし、わくわくしたのは間違いないです。(参考:F's Garage:セカンドライフのポテンシャルについて。)
ただ、若干、僕には継続利用する要素に弱かったというのはありそうです。リアルタイム性がリアルタイム過ぎたので。そんなにその世界にコミットできません。(これはオンラインゲームも同じ)
そこら辺はニコニコ動画もtwitterも疑似ライブになるように、よく考えられています。
しかしながら、セカンドライフというサービスが維持している限りは、「失敗した」という定義は僕には断言できません。
何が言いたいかというと、世の中の人が安易に「このサービスは失敗した」「成功した」という風に言ってしまうのは、ネットの情報が投資家視点で書かれている情報が多いために、それに影響されて、
「その気になって評論しているだけ」
ということなのかなと思います。
野球ファンが、監督目線であの選手はダメだとか言ってるのと同じなのかな。
問題はそれに気がつかずに、真面目な顔をして「セカンドライフは失敗しただろ!」って言ってることだと思います。
何故、失敗と言い切れないかというと、
僕はセカンドライフを運営しているリンデンラボの実態は全然知りませんが、もし、彼らのリソースの範囲で、毎日、精いっぱい頑張っていられて、ちゃんとお給料がもらえて、楽しく仕事をする状況が続いているなら、少なくとも従業員にとっては、
「ビジネスとして成功している」
かもしれないからです。
成功や失敗の定義は、一義には決まらないハズです。
なのに成功や失敗の基準を持たない外部の人間が、「セカンドライフは失敗した」というのは、おかしいことです。
もし、マニフェストとして「2009年12月までに世界を征服する目的」があったのなら、確かに「失敗」してそうです。
でも、そんなの見たことも聞いたこともありません。
失敗とするならば、何をもって失敗したのか、というのは大事なことで、そこの定義や自分の立ち位置を曖昧にしたまま「失敗した」というのは、あまり説得力を感じないので、やめて欲しいなと思っています。別に強制できないから、「見たくない」というのが正しい表現か。
僕自身は、投資家ではなく踊る側の人間ですから、ネットで何かを作っていく行為はもっとチャレンジ精神にあふれていて、わくわくして、楽しいものであって欲しいと思っています。
そこに対して、まるで投資家視点の話を持ってこられても噛み合うわけはありません。別に金儲けだけが成功だと思ってないし。
まぁ、いろんな企業が、新しい仕組みに対して、自社の強みを生かせず、自分の収入に反映されるところ以外でお金が動いて、なんだお前らの金の使い方は、ばーかばーか、と言いたい気持ちは、とてもわかりますが、その辺のことを指して「セカンドライフ的」だとする空気は十分に読んでますが、残念ながら、そういうこともやってかなきゃいけないので、それ自身は大人的ではないですね。
時間は有限ですから、そりゃ失敗の一つや二つしますよ。イチローだって打率3~4割。後は打ててないわけで。
みんなそうやって頑張ってるんだから。結果が出せなくてお給料が下がるのは、株主じゃないのなら、企業内の人事評価の範囲だけで良いじゃないですか。
趣味でやるなら、その意見で問題無いですが、投資してもらってまわっている会社で、その意見は、子供すぎます。社会人のとしての常識を身に付けて下さい。あなたの意見がまかり通ると、社会が破綻します。
ネットゲームの運営をやっています。たまにプレイヤーさんも似たような心配をしてくれます。事業的な失敗は、ネトゲのサービス終了に繋がるので、ゲーム世界の維持を願うあまり、運営企業の業績も気になるのですね。
でも、完全に外野の立場の人々がとやこう言うことに関しては、本文に同意です。「リリースした以上、社会全般に対して責任を負え」というよくわからない正義感紛いの屁理屈を振りかざされているような、不快感をおぼえます。
しおにくさんへ
メーカーだったら、
製品を「リリースした以上、社会全般に対して責任を負」うのは当たり前なんだけど。
この場合の責任には、
「ある程度社会に普及した製品を、後継機や代替案も用意せずに販売中止にするようなことはしない」というものも含みます。
最初の名無しさんへ。
もうちょっと詳しく具体的に教えてもらえませんか?
何がどう子供過ぎるのか、というあたり。
何を意図しておっしゃってるのか、よくわからないので。
でも、
セカンドライフは失敗ですよね。
だって流行らなかったもん。
セカンドライフがことさらに話題にされるのは、
ブログ主さんもおっしゃれているように、
広告代理店や一般企業が引っ張ろうとしたのに、
一般ユーザがついてこなかったから。
「やわらか戦車」と同じでしょ。
広告代理店さんでも、
うまく流行を創れないことがあるんだっていうのが、
透けて見えちゃったから。
セカンドライフは、
広告代理店や一般企業がダメにしたのかもしれませんね。
まぁ、
失敗から何か学べればいいじゃないの?
その、
時間があるなら。
セカンドライフの場合はまず
・そのサービスや宣伝を行ったのは広告代理店であって、運営ではないこと。
・その広告代理店は運営からするとただの1ユーザーであること。
という基本的な認識が抜けていると思います。
金を渡した相手は広告代理店という個人であって、セカンドライフの運営者にお金を渡したわけではありません。
セカンドライフの運営からすると、
・ユーザーが勝手に作ったコンテンツの人気がなくて人が来なかった。
・過疎とか言われても、常時最大人数(100人前後)が存在する場所はあるのでユーザーの努力不足。
という認識です。
あの世界は基本的にはコンテンツベースの世界ではなく、コミュニケーションベースの世界なので最初から対話する気がなく、お金で済ませようとする企業はお呼びでなかった部分はあると思います。
そしてここからは1ユーザーとしての認識ですが、企業はどういう存在だったかというと「お金をばら撒くのでその時だけ遊びに行く場所」でした。
企業の場所って言うのはコミュニティもなければ、買い物する場所もなく、かといってクリエイションする場所もない整然と放置された区画なので、遊びに行く場所ではなかったです。
海外においていくつかきちんとやっている企業というのは存在していますが、それらはすべて社員ユーザー達が自分らの作ったものを持ち寄ったりといったコミュニティがあります。
”ちゃんとしている場所”があるのに放置された場所には誰も行かないですよね。
決してセカンドライフが主軸のエントリーでは実はないのですが、もうちょっとそこだけに言及すると、
「ユーザーと協力するCGM」
という手段はまだ存在しない時代でしたね。
「広告代理店」-「専門制作会社」というラインに、セカンドライフで活躍している人たちは、蚊帳の外みたいでした。
WebSigのセカンドライフイベントの時に、セカンドライフで活躍されている方々に話をうかがっていたら、企業の取り組みに対して、ネガティブな感情こそなくても、漠然とした恐怖感や不安感を抱いているのを感じていました。
要は海の向こうの違う世界が勝手に盛り上がってた、とか、本当にセカンドライフを愛してくれているのか、という不安。
じゃぁ、今、そういうユーザー共同型の取り組みが存在してるかというと、twitterの混乱ぶりを見てると、まだまでですよね。
twitterで、うまくやった(ビジネスで成功した、ではなく)と判断されそうなところは、意図してるかしてないかはさておき、スーパー担当者のコミュニケーション能力で、うまくユーザーと対話して、広がりを作れたところか、まったく、そういうのとは無関係にお買い得情報や他では得られない情報を優先的に流すか、のどちらか、なんでしょうし。
>しおにくさん、774さん
この辺はね、さすがにネットでは書いてはいけないあたりのアレもあります。
ありがちなのが、すぐ社長がどうの、経営がどうの、潰れるがどうの、とかね。
(何故書いちゃいけないかというと、きわめて誤解を生みやすいから。)
ネタ要素としては、立場の違い、見えてる世界の違い、あとはサービスレベルか。
>セカンドライフは失敗ですよね。
>だって流行らなかったもん。
この話で想定する意味での「流行る」必要はあったんでしょうかね。
流行って欲しいと思った人にとっては期待外れだったかもしれませんが。(主に利害関係者)
例えば、飲食店がハナコに掲載されることは集客には繋がりますが、以降流行るかどうかはわかりません。
一瞬、お客さんが沢山きて、その後、元の状態に戻った場合は、結果的に何も起きなかったのと同じ状態になります。
そして、お店の営業は続きますし、お客さんも来ることでしょう。
だったら、そもそもハナコに掲載されなければ、別に成功でも失敗ともなかったのでは?ハナコ施策はうまくいかなかったかもしれません。
あと、
クチコミや流行は、仕掛けて作れるものではにない、というのが自然な発想である以上は、うまくいかないのもまた正しい現象と思います。
仕掛けた内容が全部成功したら、どんな国だよって話で、怖いですね。
比喩の用い方からして語るに堕ちた感じがします。
そもそもハナコを見る人たちが総人口の何%なのでしょう?
おなじように、セカンドライフを利用していた人は、総ネット人口(ケータイOnly含め)の何%だったのか、という観点からすれば、(少なくとも日本では)大失敗だったと言わざるをえないのではないでしょうか?
(これが、ミシュランガイドのように、全世界レベルのペーパーメディアに譬えていれば、話は別ですけど)。
皆がみな、投資家目線でセカンドライフに対して、意見しているのではありません。エンドユーザ視線からしたって、使い続けたいと思えなかった、ということです。
なお、私自身、セカンドライフは、見ただけで使ったりすることはありませんでした、はじめから。成功か失敗か、という観点ではなく、無理だな、って思ったから。何が無理なのかというと、いわゆるキラーコンテンツのない仮想世界に対して自分自身が入り込む余裕がないから、利用は無理、ということです(あと、技術的な問題として、寄せ集めの技術で無理矢理サービスを開始した、という印象を受けたのも一因です)。
あと、774さんが言われるように、この失敗から何を学ぶか、ということではないでしょうか?
成功がすべてではありません(Google だって、Apple だって、失敗はしてます)。その失敗経験をどれだけ、血や肉にできるかですよ。
だったら「失敗した」なんていわないで、「僕は使えなかった」で良いんです。
DAKARAさんの表現は正しいですが、残念ながら、自分の主観をサービス全体の成否として決め付けて語る人は沢山います。(そこで思考停止してるし)
そこだけの話ですよ。
問題はセカンドライフ単体の話じゃなくて、twitterの話に波及してくるのがウザイんですよ。
無思慮な「セカンドライフ的」というキーワードが、twitterを語る際の下層構造に構成してしまってる人がいて、ハナからベクトルがずれてる発言をこっちに向けられると、反論するのが、とても面倒くさい。
何がシアワセか?なんてところから書いていかなきゃいけない。
だから書いたというのがあります。
そういう意味では、ホントに大した話じゃないです。的確なアドバイスとしては、スルーすりゃいいじゃんで終わるかもしれないし。あと、朝五時のフラフラな状態で、眠る前につけたタイトルは大げさすぎてミスりました。
SecondLife自体は2009になってやっとピーク(成熟期)になったサービスでまだ続いています。技術的革新の予定もアナウンスされてますしリンデンラボによるサポートも発表も活発に動いておりますし今のところ失敗する兆候はありません。この手のサービスとしては桁違いにユーザーもいますし技術力もあります(ゲームからゲーム要素を取っただけの仮想世界ではないと言うこと…)。さらに言えばリンデンラボはプライベート企業で株は公開されていません。
セカンドライフに絡もうとした電通などの企業が失敗したのは事実ですよね… 電通は最後は詐欺事件を起こした企業に開発を任せ、その会社が事件化後、正式にセカンドライフに絡むのをやめました。電通のセカンドライフを扱ってた社員がどうなっているのかは考えるだけで恐ろしいです。
そう言った企業は実は1プレーヤと同じ立場でリンデンと特に変わった契約をしたわけではない企業ですし、最近起こっている詐欺事件のように先行投資者が仮想の土地を独占するシステムでもないわけでして、そして2007年度代はセカンドライフを動かせるパワーのパソコンの普及規模もあまり無かったわけで(パソコンゲームをしている人達は持っていたが、彼らはゲーム性の低いセカンドライフのような物にはあまり興味がないわけで)新たにパソコンに15万も出してセカンドライフを始めるような人が居ないのは当たり前で、そう考えるとセカンドライフが日本人の10%がやるように流行(メディアで流行ったのは事実で私が始める機会だった…)るなどと考えるのは馬鹿だったわけです。まあ流行るという言葉の定義自体にも問題があります。マイナーなネットゲームよりはプレーヤーもいますしね…(確かに流行ったネットゲームほどのプレーヤーはいません)(セカンドライフはメモリーを消費するアプリケーションなので最低2G以上のメモリーが必要で今の最新のパソコンだとメモリは2G以上積んでいるだろうからメモリー的には合格ですが、グラフィック機能の弱いマシンだと現在の最新のパソコンでも動きません)
私としては定義も無しに流行ったとか失敗とか言う言葉を使う人達は何を目的にしているのか気になる所… 邪推をすれば電通関係者があるいは他の失敗した企業の人達が自分たちの大失敗を消す(隠す)ためにSecondLife自体を失敗にしたがって工作してるように思えますね、そしてまた電通や他の工作員のミスリードに乗ってしまっている○○な人達も居て…
まあどっちにしてもいいかげんな情報に乗せられる人が多いのは事実でしょうw
ここにコメントしている方々や、はてブ登録した人は
多かれ少なかれ、セカンドライフに興味がある(あった)人だと思いますが
この中でどれくらいの人が、実際にプレイしてみたのでしょうか。
セカンドライフをインストールした経験すらないのに、誰かの言葉を借りて語っている人が余りに多いと感じます。
私はセカンドライフが失敗したとは思っていない人間の一人です。
コメント欄にSLプレーヤさんも記していますが、リンデンラボの公開するサービスは技術的にも広報的な意味からも、そして倫理に関する部分でも、大いに注目すべきサービスだと考えています。
また、経営的な視点からもリンデンラボはおそらく健全でしょう。今後数年以内にセカンドライフを終了させるとは思えません。
私はこのタイトルが大袈裟ではないと思いますし、優れたエントリーだと感じました。
ソースを探さず、自ら体験せず
人の噂や印象だけでもの申すのはやめてほしいものです。
確かに噂や印象は、正しい一面もあります。しかし、それはあくまでも“一面”でしかないと思うべきです。