August 13, 2009
それは「情報を見るだけ」の人と、「情報を発信する」人の2種類だ。
学生時代、同じクラスに、当時自分の周りでは珍しかったパソコン通信を初めて、ニフティ(当時はNifty Serve)にアクセスを始めたという人がいて、意気揚々とネットコミュニティの話をしてみたら話が合わなくて、よくよく聞いてみると、彼はパソコン通信にネットコミュニケーションを求めているのではなく、ソフトのダウンロードや情報を見る、ということだけに価値を感じていることがわかった。
なるほど、そういうものか、ということをその時に知ったわけだが、それはそれとしても、ネットをしゃぶりつくすのであれば、できれば情報は発信した方が良いのではないかと思っている方だ。
コミュニティの内容や質は、時代の変遷と共に変わってきた。
・昔のパソコン通信から続く実名、半実名の掲示板&チャットコミュニティ
・インターネット普及期のメーリングリスト、チャットコミュニティ
・2ちゃんねるに代表される匿名掲示板
・自分の城であるブログ
・クローズドで友達と実名で繋がるSNS
・興味ベースで繋がるソーシャルブックマークや、tumblr
・Q&Aベースで繋がる質問掲示板
・イラストやフィギュアなど趣味で繋がるSNS
・知識や書き込みのリソースを提供することで繋がるwikiサイト
・つぶやき単位で人と繋がるtwitter
など、他にもオンラインゲームやアバターコミュニティなど、いろいろあると思うが、インターネットが日常生活にとけ込んでくるに従って、コミュニティへのコミット度が低くても楽しめるコミュニティが増えてきたように思う。
ある意味twitterがその究極系で、情報を発信する敷居、そのコミュニティに属し続けるための敷居はかなり下がったのではないかと思う。
パソコン通信の草の根掲示板にいた自分であるが、昔のニフティサーブが苦手だったのが、
「とりあえず一ヶ月ROMってから発言すべし」
等という敷居の高さだった。結局、当時のネットワーカーの神経質、厳密さを重視する理系的な性格にも依存するが、それ以上に、今になって見ると、情報の閲覧性の悪さが常連の邪魔になるが故に、邪魔な新人が排除されるという情報設計の問題が大きいのだが、いずれにせよ、積極的にコミュニティに参加するのに、こちら側のコミットメントが必要だった、というのはあるだろう。
社会人になってから、オンラインゲームやチャットのように時間のコミットメントを求められる場にはいかなくなった。理由は、人間関係が面倒くさいから。まぁそれなりにパソコン通信時代にいろいろ経験してきたので、どこか達観してしまった、というのは否めない。結婚もしたし。
しばらく居心地が良かったのは、2ちゃんねるの匿名掲示板だったが、結局、常連の側になれない2ちゃんねらは、anonymousの一人でしかなく、そこが物足りなくなってきて、徐々に、発言に責任を持てるblogに移行していった。
2ちゃんねるの掲示板は特定の文脈を共有している割に、スレが変わると、同じような話題が何度も繰り返されるのに疲れたというのが理由だ。結局、繰り返される方向性も含めて、2ちゃんねるにアクセスするマジョリティの性格に依存するということがわかったので、そこがちょっと合わなかった。そもそも長文erなので相性が合わなかった。僕にとっての2ちゃんねるは、むしろ「情報(意見)を見るだけの人」である方が良いようだ。
そして、今はblogを書きつつ、twitterにハマっている。blogとtwitterの特徴は、自分の発言の文脈は維持されたまま、絶妙に他人と話題を共有する仕組みがあるということだろう。
twitterの良さは、twitter上の特定の文脈を一切共有しないところだ。
つまり「スレの流れ」などというものは、フォローしている人たちの「ざわつき感」以外には存在しない。それは気になるかもしれないが、気にしなければ、読まなければあなたになんら影響を与えるものではない。
各人それぞれのtwitter以外の文脈を持っていて、その文脈の断片が140文字のつぶやきとしてアウトプットされて並列化される。その文字に書かれた内容から、都合の良いところだけが他人とmixしたり、しなかったりする。
ある種、リアル社会の投影とも言える。僕はパーティ会場での会話と比喩するが、パーティ会場に沢山の人が介していて、たまたま目の前にいる人と話をしたり、次の人と話をしたり、その中で有益な情報を得ることもあれば、ただただ楽しいこともあったり、というあたりの魅力をtwitterに見出している。
(セミッター、sportaaa、tweeetbubblesとハッシュタグは、同一画面に文脈を共有するので敷居が高くなる要素を持っている。wikiばなで、tsudaってるよしおかさんと同じハッシュタグをつけて良いものか悩んだのは内緒。もちろん同じタグつけましたけどね。ちょっとした情報構造の違いでヒトを躊躇させる要因になったりするのです。)
で、ここまで長々と書いて、ようやく冒頭の話にリンクするのだが、よくtwitterの良さを語る話を見ていて思うのだが、
「やれピザを頼んだだの、くだらない話を書いてる人もいるけど、そういう人は無視して、有益なことを書いている人だけフォローすれば良い」
みたいな話を見かけるのだが、これは大きな間違いだ。
それは冒頭で書いた、「情報を見るだけ」の人の論理だと思うが、それならtwitterなんてやらないで、まとめサイトや、最近出始めた情報のアグリゲーションサイトだけを見れば十分だ。
何故かというと「有益な情報を発信している人が、くだらない話も書いている人も少なくない」からだ。
「くだらない話も書ける」ことにこそ価値がある。
人は何の理由もなく自分の知識をアウトプットするのは難しい。ホームページやblogに求められてもないことを書くのは、かなり難しいことで、鶏が先か卵か先かと言う意味でも、「あなたがわからないことを教えましょう」と、教えたい相手が目の前にいることは重要だ。
「情報を見るだけの人」は、このプロセスがネットに存在することに興味を持たない。与えられることに慣れすぎているからなのかは知らないが、適切な情報は、誰かが勝手に教えてくれるものだと思いこんでいるのだろうか。答えだけにしか興味を持たない。
いずれにせよ、プラモデルを組み立てようとせず完成品だけを求めるのが「情報を見るだけの人」だ。こういう人を増やすことがキャズムを超えるという意味だとしたら、ビジネスには有意義だが、インターネットの目指す道としては、それだけでは明るい未来があるものではない。iPhoneみたいにお金が動けばその限りではないかもしれないが。
twitterやブログにおいては、自分が発言をすることで、より有利な情報に近づくきっかけを作るものでもある。自分の無知にツッコミが入ればしめたものだ。自分が知らないことを相手から教えてもらえるなら、これは「知のショートカット」である。
もちろん、そんな肩ひじはらず、思ったことを思ったように書ける場でもある。「くだらないつぶやき」には大体、その人の趣味趣向性格が反映される。そういうのも意外性を醸し出して楽しいし新しいつながりのきっかけになりうる。
最近、twitterをやり続けていると、blogなどの書き込みがトリガーになって普段フォローしあってない人と意見を取り交わすこともできるので、なかなか楽しいものである。メールを送るよりも、blogにコメントを書くよりも連絡しやすく、はてブよりも多くのことが言える。何より双方向だ。
mixiみたいに昔パソコン通信で会った人、とかリアル知り合いと再会するなどと言ったことはまだないが、最近だと有名な経営者(自社の会長とか)や国会議員の人やタレントの人と1hopでつぶやきを主体にやりとりができるというのは、なかなか違った意味で面白いものだと思う。
ネットワーカー歴は長いが、こういう経験は、さすがに初めてだ↓
(これ以外の広瀬さんはtwitterにいる他の広瀬さんです。)
## 頼むから議員さんが、「友達と会ってるなう」なんて書いてるのを見て、twitterは期待ハズレだ!なんて言わないでね。放送局でも雑誌メディアでもないんで。
ぼんやり私が考えていたことが表現されているって感じでしたので引用記事を書きました
個人的には完成されたものを一方的に提供するスタンスでしたが、これからはやわらかい情報の関係性を求めていくべきなのかと感じ始めています
はじめまして。ペパボつながり?で時折拝見しています。
情報を見るだけの「人」と情報を発信する「人」の2種類というか、見るだけでいい「情報」と発信したい(するべき)「情報」の2種類あって、それは、ネットや(特に)ネット以外のコミュニティとの関係や「場」の状況から、人ぞれぞれ取捨選択されるもの… ということではないかなと思います。
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「情報を見るだけの人」は、このプロセスがネットに存在することに興味を持たない。与えられることに慣れすぎているからなのかは知らないが、適切な情報は、誰かが勝手に教えてくれるものだと思いこんでいるのだろうか。答えだけにしか興味を持たない。
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基本的に発信される情報は様々な質があります。「答え」もあると同時に「考えるきっかけ」となる情報もあります。藤川さんの枠組で言うと、ぼくは基本的に「情報を見るだけの人」に近いですが、この後者の情報を見つけ、思索する機会が多いです。「くだらない話」が有用なのは、例えば「会議」よりも「飲み会」の方がクリエイティブな議論ができたりもするし、相手の事をリアルに感じたりする。この辺りの文脈が1つの理由なのかなと…。
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「やれピザを頼んだだの、くだらない話を書いてる人もいるけど、そういう人は無視して、有益なことを書いている人だけフォローすれば良い」
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これはつまり、上記の「飲み会」の席で見ず知らずの隣りの人がしゃべっていることを、いちいちフォローしないよね?…ということをおっしゃっているようにぼくは解釈します。隣りに有名人がいたら聞き耳を立てるかもしれません。加えて、効率的に情報が収集できるネットの場ではなおさら、ということかなと。
少々極端な考察かな…と思ってしまったので、書かせていただきました。もちろんぼくも、ネットの中でも「くだらない話」は大切だと思っています。
>takitaさん
以下に書いてることはポエムですw
twitterの楽しさの指標が、キャズムが超えるころにはねじ曲がってきます。後からtwitterを始める人が求めるものは、
・芸能人や政治家がいること
・読んでるとタメになること
の可能性が高くなってきます。
それは確かに認知の浸透液としては最高に有益です。
しかし、これはtwitterというアーキテクチャの結果であって、別にtwitter社のブランディングの成果ではない・・・と思うんですね。
アメブロのように芸能人集めてブログ放送局を作るのであれば、それはそれでアリだったと思います。ブログという場を借りた広告媒体ですね。
でも、twitterは別にそういうことをしてるわけじゃない。アメリカの成長の影響は大きいですが自然発生的に今がある面は否めない(と思ってます)。
であれば、それを目指してくるユーザーも、twitterのアーキテクチャに則る形で楽しめないと損だよ、ということが言いたいんでしょうな。自分は。
RSSが一定層より広がらなかったのは、それが最適化された興味の上にしか活用できないからだと思います。つまりそれだけを見ていくのは、情報そのものに興味がある頭の良い人のツールなんです。(RSS自体は、透過的なI/Fとして自然に活用されていくものです。)
ところが、何故か自分が登録したRSSリーダーにはワクワク感を感じない。自分が求める文脈だけを登録してるからでしょうかね。
エロサイトに行って、自分の知らない新しい作品を見つけるようなワクワク感みたいなのってありません?だから、はてなブックマークの人気のエントリーの方が楽しかったんです。一時期は。
twitterにおいては、受動的に有益だと思う少ない人数をフォローするだけよりも、もっと沢山の人をフォローして、「くだらないつぶやき」のシャワーを浴びるのも悪くない。
twitterにおいては、別に全部を読む必要はないんです。自分がtwitterにアクセスしたときの一期一会が一番大事。
と、こういう流れになっていくことがtwitterジャンキーになる第一歩かと(笑)
twitterは、情報発信の敷居を明らか下げてくれました。ブログなどで素性をさらしたり意見を述べたりするのは、あまり得意ではないのですが、twitterだと本当に軽い気持ちで書けるので投稿が進みます。日常生活の口頭発言レベルの責任感でいいって感じがありますよね。私も同業者ですので、よりよいサービスを創ることで情報発信をしていきたいと思っています。
えぇっとですね。それは「情報を見るだけ」の人も享受できる事象ですよね。たくさんの人をフォローすることも、エロサイトに行ってわくわくすることも、登録したRSSにあきあきするのも。「情報を見るだけ」でも「つぶやき」の魅力は享受できる。つまり、f-shinさんのおっしゃる「つぶやき」の価値に気付いていない、あるいは重視しない思考は「『情報を見るだけ』だから」、という問題じゃないんじゃないかなぁ、と思ったのです。
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「やれピザを頼んだだの、くだらない話を書いてる人もいるけど、そういう人は無視して、有益なことを書いている人だけフォローすれば良い」
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と言う人は、むしろ「情報を発信する」人に多い気がします。笑
RSSが浸透しなかったのは、インターフェースの問題と、高いリテラシーを要求するからで。説明するのさえ難しいですよね。あきあきするのはその情報に「慣れ」るからでしょう。慣れない仕組みを作るのと適度なノイズを介入させる仕組みは近しいかもしれませんね。エロサイトでわくわくするのは、エロいから、でしょうね。笑 アダルトサイトは、性欲以外のノイズは限りなく捨象されています。
おっしゃりたいことは、よく分かってますので!
てすと
testあああ