June 24, 2009
例えば、大卒の人が高卒の人に向かって、切々と大学に行くべきだということを語ってはいけない。
(別にステータス自体は、院卒が大卒に、博士課程が院卒に、一部上場企業の人が中小企業に、シリコンバレーな人がドメスティックな人に、○○人が△△人に・・・でも比較対象はなんでも良い。)
これは相手を見下すとかそういうことではなく、経験してない人には理解しえないところが必ずあるから。そして、取り戻せない過ぎ去った時間は、解決ができないから。
こういう言い方はフラットな構造のブログのような場で語るのはオススメしない。
もしその良さを語るのであれば、一般化するのではなく、あくまでも主観であることを前提に書く。個々の経験のスコープに留める。
そこを誤って、まるでそれが世界の常識のように書いてしまうと反感を買い、いわゆる「炎上」してしまう。
こういうケースでつく反論は、大体、書いた本人にとっては、おおよそ「望まない反論」「正しくない反論」であることが多い。そもそも共有しえない擦れ違いが原因なのだから、そこで出る反感というのは、単純な感情論もあれば、弁の立つ人であれば、感情論をベースとした屁理屈であることも少なくない。
最近の梅田さんの件について、彼が慶応幼稚舎出身であることへの指摘があった。
梅田さん本人にとっては、よかれと思っていた発言が、自分の学歴をベースに批判を浴びてしまう。
それはおおよそ本人にとっては嬉しくない指摘だろう。
自分の意見に対して、自分の履歴にツッコミが入るのは「野暮」「大きなお世話」も良いところで、そこをベースに批判を浴びても、全然嬉しくもないし、前にも進めない。
梅田さんの学歴や、場合によっては家庭環境が、彼の意見のツッコミ所と理解されてしまうのであれば、もう、それはもはや対話しえないところまで来てしまっている。
「正しい反論」というのは、そういうことではない。
誰も、自分が考えた意見が、100%正しいことだ、なんて誰も思っていないだろう。
「正しい反論」をしてくれれば対話を通じて前に進むきっかけになる。
単純にPVを上げたいのであれば、その反論が正しかろうが正しくなかろうが、ツッコミ所を与えて炎上させれば良い。というより、ツッコミ所をあえて用意して、意図したところに、適切なツッコミをさせて良くも悪くも共感を得るというのが、本当に賢い人のやることだ。
しかし、「正しい反論」を期待するのであれば、不要なツッコミ所のない文章を書いた上で、自分の意見に見合う反論をしてくれる人にだけレスをしてもらえるようにする必要がある。
「正しい反論」という言葉は、この半年、仕事で使い続けた言葉だ。
仕事で担当しているサービスが、4月から料金体系を変更した。
それまでの固定料金制から、売り上げに応じた連動課金型にビジネスモデルを転換させた。
これは単純に儲かるとかそういう話ではなく、お客様と共に育っていく、努力することへの覚悟を伴ったビジネスモデルである。
しかし、ある層のお客様には値引きになり、ある層のお客様には値上げになる。料金の値上げなど単純に考えて受け入れていただくのは難しい。
大前提として、単純にビジネス条件が折り合わなくて去っていかれるお客様がいることは不可避なわけなので、全てのお客様に賛同していただくのはそもそも無理だと考えた。
ただし、その変わり、この変化に対して、「正しい反論」「正しい判断」をしていただくための努力をしよう。
脊髄反射的に「値上げ要因」に対して、その実現する内容とは無関係に、感情的に反論されたり、恐怖心を持たれてしまうことを徹底的に避けるためのコミュニケーションを取り続けた。
そもそもメール主体のネットコミュニケーションを中心に商売をしている関係上、メールやWebサイトでのコミュニケーションという、そもそも伝達が難しい間接的な手法の中での最大限の努力である。
スタッフブログを書いて誤解されたらどうしようと、blogを書いていて初めて手が震えた。
結果的には、全体的にはうまく行った。トータルではお客様の数は増えた。
当然、至らないところはあるし、個別ではうまくないケースも多少はあるが、それもまた100%は不可避な話であり、想定の範囲だった。
今後頑張って挽回していくための下地は十分に得られたと思う。
どうしても立場やお互いのスコープが違う以上、全てのことを共有するのは難しい。
だからこそ発言が、どう理解されるか?どう見られるか?については最大限配慮する。
本当は、もっと都合の良い、耳障りの良い営業トークも言えたら良いなと思わなくもない。聞くところ、実現性のコミットもないのに、大きなことを言って営業してる会社も世の中には存在していると思うが、残念ながら我々はそういうタイプではないので、特に既存のお客様については、誠実に、じっくり時間をかけて、現時点で確実にコミットできる部分と、その先に目指す思いを語り、共感をしていただく、というのがとりうる手段だった。
よく「正しくない反論」のケースとして、Googleやマイクロソフト、楽天などに対する得も知れぬ恐怖感からくる批判が挙げられる。
自分自身もそういうエントリーを書いてしまったことがあるが、会社が大きくなり影響力が大きくなると、大体「正しくない反論」に偏りがちだ。
結局は、「誰が」というのはとても大事なことで、それはブランドなどと言われる「信頼感」に紐づいている。
ライブドアニュース経由で、このblogの記事が炎上したことがある。
その時の言い分は決まっていて、「ライブドアニュースにふさわしくない記事」という表現なのだ。別にこっちは専属記者の記事ではないのだから、冷静に見て、筋違いの指摘だった。
つまりライブドア「ニュース」という信頼あるメディアに、納得のいかない主観的な話が書いてあったから、炎上したということだろう。
その時、URLはブランドを示していた。
そもそも元記事は、このF's Garageにあるものが転載されているだけなのだが、F's Garageでは、そこまで炎上しなかっただろう。
結局は、「誰が」「どこで」「何を発言している」というのは、ネット言論では重要な信頼感を担保する。そうやって名前だけでPVが増えると同時に、裏切ってはいけない足かせも増える。
よく批判の数が一定数あると、「こんなに批判されているのだから」などと言う人がいるが、批判が存在することそのものは大した問題ではない。
というより批判はあって当然。批判のシェアが高すぎることは、何かの失敗を示している可能性があるが、人間いろんな人がいるわけだから、反論がいくばくか存在するのは当然のことと言える。
批判が一つでもあると、気になって眠れない気持ちはわかるが、それを余りにも怖がるあまり、マイノリティの意見(非サイレントマジョリティ)に影響されすぎてはいけない。
例えば、mixiの日記の著作権に関する規約改正の時に、10,000人程度の反論があったと聞いている。
日記の著作権の枠をずらすのは、感情的に難しい問題なので、意見が割れるのは必至だ。
であれば原則、反論は当然出るものとして考えるべきだ。
ただし、mixiの全会員は当時1,000万人はいたと聞いてるから、仮に10,000人が本気で反対をしていても、それは全体の0.1%である。
内容的に0.1%ぐらいは反対する人が出てもおかしくないと思うし、と同時に、まぁ確かに1万人は多いよなぁと思うところもある。
ただ、どこまでその反論をmixiの運営サイドは見込んで、腹を括っていたのかが疑問だった。
割合として見たときに、全体の0.1%程度であれば、ビジネスの遂行上、仕方ないと思うのだが、結果的に規約変更を撤回してしまった。
問題は、反論の内容は明らかに過剰反応だったこと。規約を盾に、ユーザーの記事を強引に出版するようなことはいくらなんでも起こりえないことだ。コミュの書き込みであれば、多少、そういうこともありうるだろうが、その場合は、コミュの管理人や参加者の過半数が問題ないと判断したときに限られるだろう。個人のユーザーの日記を、規約だけを縦に自由に奪うなんてことは、現実的にありえない。
利用規約はそのサービスの法律とも言えるが、「お前はこれをやらないと逮捕するぞ」と、拳銃を突きつけて脅すのと同じ意味であって、それこそ、そんなことをやったら、いくらなんでもユーザーが離れていく。しかし反論の原点は、こういうことをmixi側が行うかもしれない、怖いよね、というところに起因していた。
もし、mixi側が、ユーザの感情論に火をつけることなく、もっと冷静にコミュニケーションをすれば0.1%どころが0.01%以下に抑えることはできたのではないだろうか?
そういう観点で見ると、完全にコミュニケーションの失敗だった。
mixi側から見ると、「残念」極まれるところであろう。
結論:
もし前に進みたいなら、正しい反論をもらうコミュニケーションの方法は徹底的に考えよう!
参考となる本:
光文社
売り上げランキング: 39
読み手によって感じ方は様々でしょうね
編集者特有の…
=「現実社会の人々はほぼバカと暇人」という結論
ネットやブログを利用しても、いまいち人生が盛り上がらない人に
まぁ、ネットがダメというより、ネットはあくまでも社会の投影でしかない、ということをわかってさえ言えば、だから何?って話なんですけどね。
結局、日本で言うなら、「日本人ってこんなもんだよね」というところが、ネットを通じて可視化され、繋がったということではないかと。
僕はその上で、価値あるものが作れないか?ってのを考えるのがWebの何かを作れる人の行動原理だと思いますけどね。
だから別になんとも思わなかったです。若干ピュアかな、って思うことがあった以外は、間違ってること書いてないし。でも、もし、ネットは人生を変えないというのであれば、それはネットのクリエイターが至らない点なので、努力しなきゃ、としか思わないです。
こういうのが「残念」なのであれば、それは確かにあなたが人に期待しすぎだよ、という話になるんだと思います。ただ、そんな批判をするよりも、ネットの可能性を信じ、愚直にポジティブに可能性を追求する人たちの方が僕は好きです。(いや、きっとこの著者はそういう人に違いない)
1:1を前提とする電話という素晴らしい仕組みと比べても、インターネット(TCP/IP)という、N:Nの人たちが、ほぼリアルタイムに繋がることができる通信手段の上で、文脈の提示一つで、あなたも世界を変えられる一人なのですから。
#ちなみに、はてなダイアリー+はてブは、東大礼賛記事みたいのがホットエントリーで賛同されてたりして、不思議な世界だなぁと思ってました。はてブとはてダだけだと、そもそもみんな東大級の履歴の人ばかりなのか、そもそもそれ以外の層にはリーチしないのか、ホットエントリーがニッチメディアとして良い感じにスルーされてるのか、それとも、はてブコメは、コンプレックス的感情でdisるには向いてないインターフェースなんでしょうかね。何より、はてブコメントは、一人一個しかコメントが書けないというあたりが重要かも。そう考えたら、結構いいんじゃね?はてブって。
法律論でも法学部を卒業した人に、剝きになって反論。。。ではなくて難癖付けている高卒の雇われ電装業なんかに捕まると話が硬直しちゃう。根拠のソースを2ちゃんねるに持ってくる辺りは間抜けと言う他ない。
会社の上司に嫌われていることを公言して、自分が100%正しいと騙る自己陶酔型の嫌われ者は本当に厄介。
一カラメル、一カラーミーショップユーザーです。
当初は多くのユーザーさんと同じ考えで、
高いと料金形態を感じておりましたが、
現状の結果として売り上げ増の効果がございました。
貴社を活用させていただいてる受益者として、
長期にわたってメリットを享受できるような
「資質」がユーザーに求められることを
改めて痛感させられました。