June 19, 2009
梅田さんの話が、良い感じにまとめられてた。
日本のネットで本当に残念なこと 「梅田発言」の波紋 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS
昔、毎日死ぬほどアクセスしてたサンデーネットというパソコン通信の草の根ネットがあって、僕がそこに通いはじめるもっと昔に、今は亡き筑紫哲也氏が、そこに特設掲示板を作って、ネットについて対話を求めたことがあった。
僕はリアルタイムに見ていたわけじゃなくて、何か経由で拾ったログを読んだ。
いつぐらいだろう。多分、もう15年以上前(w (ジジくさ)
あまり覚えてないんだけど、趣旨として梅田さんがはてなに求めたような若い人との対話に近いものを感じた。
ただしパソコン通信は、インターネットと違って誰でも見られるわけじゃないから、本に出版すると言う展開に。
当時のパソコン通信というのは、アングラ的な知的階層みたいな人が多かったので、社会的権威となるマスコミに、パソコン通信での対話が出ることは本位ではない、あたりで反論。
コメントの著作権から、原稿料の配分云々、とどうでも良い屁理屈を対立軸に、ややこしい文章と、ややこしい言い回しを背景に、今で言う炎上状態となった。(と僕は読んだ)
結局、話は進まず、筑紫氏は撤退。
かくして、「インターネットは便所の落書き」と評した下地は、パソコン通信の時代に既に培われていたというわけ。
どうしても梅田さんをめぐる周辺の状況と、筑紫さんのあの頃の展開が、重なって見えて仕方がない。
筑紫さんの件は、ネットで調べると、筑紫さんの方が一方的にネットで書き逃げした的なニュアンスで終わってる話が見つかるけど、もうちょっと話は深いと思う。(あまり記憶にないのだけど)
きっと、それもまた双方向、の結果なんじゃないかな。多分(w
といいつつ、あまり覚えてないので、もし当時のログ持ってる人がいたら、是非、お送りいただきたいです。
f-shin[at]milkstand.net まで。
僕もパソコン通信、インターネットとツールは変わっても、高校一年の頃に、こんな鉄の箱から、真夜中に、自分の部屋から知らない人とチャットできるなんて感動すぐる!と、思って、はや、20年ぐらい経ってしまってるわけなんですが、
人なんて道具が変わっても、人間そのものは、そんないきなり進化しないので、一連の流れも、
「そういうこともあるよねー人間だもの」
という印象でしかないのだけど、そういう意味で、あー歴史は繰り返すのかー、と。
とちょっと達観モード入ってて申し訳ないけど、思ったりしています。
ただ、とりあえず残念な事は、昔も今もそうなんだけど、1:Nの戦いになってるじゃないですか。そうすると圧倒的な物量の元で、「梅田さんが残念」という形で終わってしまうことなんだよね。
サンデーネットでの一件も、筑紫さんが書き込みをやめてしまって「残念」なまま終わってるわけですよ。
これをリライトしていくには、梅田さん自身が発言していくことでしか解決しない。
そこが大変なんだよね。
だから、「ネットは弱肉強食」といわれる所以で、そうやって去っていった人は、2ちゃんねるの匿名の人たちを含めて、五万と知れず。
そこは、本当に今も昔も変わってない。
それは残念。
でも、まぁ残念なんだけど、本当に残念なのかは正直言うとよくわかりません。それもまたリテラシーなのかなぁとは思ってたりして、でも、それは慣れすぎてしまっただけなのか、とか。
##「無駄無駄無駄無駄無駄無駄~」と叫び去っていった人もいた。
らせん状に進化するのかもしれませんね~。