May 20, 2009
Vistaは残念ながらハードスペックとのバランスも含めてイマイチさんだったので、次のWindows 7が生きる人って誰だろうって考えてみる。
なんとMicrosoftが「Vista飛ばし」を推奨 Vista厨の立場はどうなるのか:アルファルファモザイク
32bit版のXPは、スペック上は4GBで、現実にはメモリを増設しても3.5GBぐらいまでしか認識できないので、多数のアプリを常駐しながら作業させ、電源をつけっぱなしにして運用したい人は限界が訪れている。32bit版のVistaも最大4GB。
3.2GBや3.0GBまでしか認識してくれないマシンもある模様。
Adobeプロダクトを仕事で使う人は、3.5GBでは結構辛い人も多かろう。
この辺の人たちは、Mac OSとも親和性が高く、Mac OSが64bit OS(追記:徐々に64bitに移行しているOSというのが正しいのかな。⇒参考)で、4GBや8GBを当然のように搭載できるのと比べるとどうにも心もとない。と言ってもMacはMacの癖があるので仕事でいきなりMacにスイッチしても仕事の生産性が下がってしまう人というのはいるだろう。(僕は仕事でMacのGUIはキツイ人)
こういう人はWindows 7の64bit版というのは無視してはいけない。
残念ながらWindows 7は32bit版も作っていて、ローエンドモデルは32bit版になるんだろうが、どうせだったらMac OSのように全部64bitに移行してしまって、そこに集中してくれた方がわかりやすかったし、ローエンドモデルの底上げになるし、何よりベンダーが楽だと思うのだが、そこができないことがイノベーションのジレンマよろしく足かせになってるような気はする。
32bitラインはXPが完成版と定義し、XPを延命させておいて競争力のある間に、Windows 7は64bitの質を高めて移行させれば良いんじゃないかと思うのだが、32bit版にもリソースを割くというのはどういうことなのだろう。
現状、ユーザーはスペックがしょぼいが小さくて安いネットブックに目を向けていてXPで満足しているのだから、考えようによっては、これ幸いという状況ではないかと思うのだが、こういうのは日本だけの事情なのだろうか。(きっと、MSが見るのはそこじゃなくて企業向けライセンスあたりの事情なのだろうか。subscriptionライセンスはアップグレードが順調に進むことが前提だよね。確か。)
8bitが16bitに移行したとき、16bitから、フル32bit(486SXとかじゃなくて、486DXやPentiumなど)に移行したときと比べて、64bitが実現する世界は、そんなに32bitと変わるわけではない。
しかし昔と比べてハードウエアの価格が安くなっていて、8GB分のメモリを買っても1万円かからないので、64bitネイティブCPUのIteniumが失敗し、Vistaが停滞している間に市場はすっかり64bit readyになってると思うのだが。
Windows7には、買収したVirtual PCを使って「仮想XP」なる環境が追加されるとのこと。おそらくWindows 7の上に、富豪的にXPを動作させて、うまい具合にシームレスに見せるということだろうから、4GBじゃメモリが足りないハズだ。
故に放っておいてもWindows 7の主戦場は64bitだろうから、心配することではないとは思うのだが、それでもやっぱり32bit版製品があるのならローエンドモデルが32bit版になってしまい、その層の顧客が進化する機会を得られないというのは可哀想だ。
XPは2GBあれば、十分電源を入れっぱなしでも快適に使えます(たまに調子悪くなるので再起動は必要です。)。なんのためにWindows 7にするのかがわからないぐらいXPはWindows OSの中で完成した感はあるわけですが、それを覆してくれる世界は見せてくれるのでしょうか。
個人的にはOSの解像度と、実際の画面解像度が分離して表示してくれるモードができれば、例えば、Vaio type Pで、あんなにOS上の文字が小さくて辛いという状況が改善される上に、高品位なフォントで快適にマシンを使えるので、本当の次世代Windowsはそこを成功させたときかなと思うのだが、Vistaのブレーキで、それどころじゃない感じなのでしょうか。
(以前は、このスケーリング表示について語られていたことがあったが、最近はどうなのだろう。)
追記:
ということで、VAIO typeZの64bit Windows 7 + 8GBを購入しました!
F's Garage:VAIO typeZで仕事作業をMacからWindowsにスイッチ
追記:
MSとしては、Windows 7が互換性維持を目標としているとのこと。
「互換性確保の最終手段にしてほしい」---マイクロソフトがXP Modeの位置付けを説明:ITpro
ざっくり「OS X + Parallels + XP」みたいに、Windows 7 + Virtual PC + XP VMにした方が確実性も高く、その後の革新もしやすいと思うけど、そんなことは彼ら自信は当然考えて取らなかった選択なのでしょうから、頑張って欲しいものです。吉と出ることを祈ります。
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Windows 7の64bit版だけしか、4G以上無理なんだ?
じゃXPのままでいい。
イノベーションのジレンマでなく、互換性のジレンマですよ。
顧客からは、現状のシステムの改修なしに動くことを求められていることのほうが多いけど、MSとしては今後のことを考えても64bit1本にしたいけど、周りが許してくれないのが現状だと思います。
Macと比較するのもかわいそうだと思いますよ、MSのダメなところもかなりありますが、やはり規模と使用されてる目的の差もあります。
>ローエンドモデルが32bit…
これを選んでいるのは、メーカーでありMSのせいじゃないと思いますよ。32bitも64bitも値段は同じですし。
vistaにも64bit版はあるし、XPにもある。
何もWin7しか4GBの壁を突破できないわけではない
32bitCPUの話で486sxは駄目で486dxは良しとしているけれど、違いはクロックを倍駆動させてるだけで速度的な違いしかない。
Win7にも32bit版が残されているのはXPの32bit版を使っていた人がクリーンインストールすることなくアップグレードをかけられるようにした配慮の部分も大きい。これは本来ならVistaが踏むべきステップだったのだが、市場的に失敗したので、Win7でやらざるを得なくなっただけの話。
他にもまだ指摘したいところがあるけれど、長くなるので割愛。なんていうか記事が支離滅裂になってますよ。
P5時代に登場したネイティブ32bitのRISCプロセッサであるP6は、NT系等の32bitコードの実行は高速でしたが、当時コンシューマ市場で主流だった95/98は16bitコードを使用する部分が大部分であったので、その真価を発揮することはありませんでした。
以降P6はPenⅡでMMXと16bitコードの実行部を実装し1時代を築きます。
一方IA64プロセッサであるIteniumはこのとき世に出ましたが、過去の資産を切り捨てるに等しいこの新技術は、ユーザーに受け入れられず忘れられた存在となりました。
その後IntelがRDRAMで大失敗しPentium4で高発熱低性能に悩むころ、AthlonXPで市場シェアを伸ばしたAMDはAthlon64を世に出します。
X86を64bitに拡張した32bitが高速で動く64bitプロセッサは、ユーザーに歓迎を持って受け入れられました。
しかし、そのユーザーの大多数は高速な32bitプロセッサとして受け入れたPC市場であり、32bit互換64bitCPUとして歓迎したのはサーバー市場であり、Opteronでした。
これの端的な一例はDELLサーバーのOpteron採用です。
今日現在にいたっても、x86-64CPUの浸透に対し64bitOSの普及は進んでいません。使用ユーザーは、大容量のメモリ領域を必要とする一部の業務アプリケーションのユーザーと、安くなったメモリに増設を繰り返した果ての本末転倒であり、リリースされているアプリケーションの64bit化が遅々として進まない現状では、64bitの未来は未だ遠いという状況です。
あと、64bit版Windowsは16bitコード(Win16サブシステム)の実行をサポートしていません(CPUはサポートしている)ので、これらのコードを内在する古いプログラムを実行するためだけに「XPモード」があるといえます。
蛇足でいえば、CPUの多コア化もPCでは活用するアプリケーションの対応が進まない現状では無駄の一言に尽きます。意味があるとすればスカラー型スーパーコンピュータに実装する場合で、OpteronのHTLink等それ向きの技術です。汎用CPUメーカーもスパコンにもパソコンにもサーバーにも使える製品を生産することは収益を保障する上で重要なことなので、一般市場の要求とかけ離れた製品も現在のPC市場で見かける要因となっているということです。