May 16, 2009
「これはひどい」をつけざるを得ない話。けど単純にキヤノンがひどい、で済むような話ではなく、「日本やばくね?」という話です。
キヤノンの一眼レフで不良事故が多発する理由、製造請負依存の死角(上)(1) | 企業戦略 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン
1.キヤノンのハイエンド向け一眼レフで不良が起きまくってる。
2.不具合の要因は、製造工程の不備によるものらしい。
3.製造工程を担っているのはキヤノンの社員ではなく、請負の会社
4.ただし彼らは派遣契約ではなく、あくまでも請負会社の社員なのでキヤノンの生産管理が直接作業担当に指導することはできない。
5.何故なら直接指導すると、派遣契約と言う扱いになって3年後には社員にしなくてはいけないから。(キヤノンは製造現場で派遣労働者を使っていないことになってる)
6.つまり工場内オフショアであり、生産に必要な環境を貸して、外注として作ってもらってる状態になっている。
さて誰が悪いのでしょうか?
考えられる役者は何人かいます。
1.この生産体制の中で、高い品質を上げられないキヤノンの生産管理
2.指示されたことができてない請負会社
3.3年働いたら社員にすべし、というお達しを作り、この遠隔操作のような生産体制に追い込んだ政府
4.こんなバカな体制を作り出したキヤノンの経営者
5.ここまでして利益を出さないと維持できない状態を迫る株主
この記事には、まだ後半の回があるそうで、もうちょっと何かあるかも知れないので、とりあえずはそれを待つとしても、
なんとなく思うんですけどね。
会社がビジネスを進める際には、いくばくかの社員が、それまでの経験から「そりゃ無茶だよ」と思っても、頑張って進めていかねばならないことというのは必ずあります。
このロジックは必要ですが、危険もあります。当然楽な仕事ではありません。
ここでのリスクの読みは重要です。
なので製品不良の件は置いておいても、結果論からの単純な批判はできないところですが、本件に関して言うと中国で作った方が全然マシじゃね?と思わざるを得ない状態に追い込まれるのは、果たして、日本に未来はあるのか?とは思わざるを得ないところではあります。
とりあえず請負業者は、キヤノンの製品を必要以上に高品質に保つ必要がない人たちです。だってキヤノンじゃないし。
あるとすれば彼らの利害は契約を続けられるか?というところであって、その時点で、すでに目的がずれています。そこをうまくやれる根拠としては、キヤノンの生産管理の指示通りに作りさえすれば、高い品質が出るという考え方に基づいていることでしょう。
しかし実際は、細かい調整をしていく作業なくしては、想定したマニュアル通りのことはできないというのはあるハズで、そしてそれは往々にして無視されがちです。
生産活動においてマニュアル化などで属人性の排除を目的にするのは、そもそも属人性のある状態を好まないからですし。完成された生産フローを上司、経営者に説明する際には属人性など存在ないことになってる可能性もあります。(あれ、そんな会社だったっけ?)
しかし、もし交換可能な人材であるならば、派遣契約にしてしまって3年経つ前に一度やめてもらえば良いと思うのですが、現実にはそこまでは交換可能なことはなく、現場に言わせれば、やはり習熟度は重要というのであれば、そもそも派遣にお願いすることに矛盾をはらんでいるのではないでしょうか?
また、やっぱり同じ志を共有させられる社員か否かってのは大きくて、そもそも高品質を実現することに対してwin-winの関係になってない直接的に利害があわない請負会社(だって、キヤノンがいくら儲かっても、この会社は儲からんし)を、キヤノンの社員がうまくコントロールしさえすれば、今までと変わらぬ高品質が出せるはずだ、という都合の良い解釈は、このプロセスにおいては幻想に過ぎなかった、ということだけは経験論としてあるのかもしれません。(他の製品は成功してるのかもしれないのでなんとも言えません。難易度の問題かもしれませんし。)
この部分はビジネスの推進を抑制させる話なので、こういうのって経営者に説得力ないんですよね。そもそも何故、そんなことをしなくてはいけないのか?という理由はちゃんとあるわけだし。
故にダメダメ言うのは簡単なことですが、理論的には「社員が頑張れば成功するハズ」でもあります。でも、どうも失敗したらしい、と。この辺は、もうちょっと偉い経済関係や行動経済学の人が「イノベーションのジレンマ」のような言葉を作り出すように分析して、判断のための道具をもうちょっと彼らに渡して欲しいところ。
しかしー、これオフショアも同じ構造ですよね。ブリッジSEと、その前後にいる人たちは頑張ってオフショア成功させてますか?
とは言え、オフショアについてもそうですが、誰もやりたくないのにやらなきゃいけないという状態に陥るところはあるようで、結局、そういうのって都合の良い精神論に落ちるんだよね。誰も、それしか言えなくなっちゃってるわけで。
とはいえ、一度やると決めたことを、やりもしないで撤退をするなんて選択肢もやっぱりないので、結局、犠牲者の元で経験則を作っていくしかないというのは否定できません。
最悪のケースは、この国ではものつくりの競争力が保てないので海外生産に切り替えましょう、ということだと思いますが、既に戦争は始まってるような気がする。
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地方に済む人の親が、自分の子供が都会に出ることは寂しいという基本的な考え方を含めて、子供に公務員になることを希望するロジックというのは、昨今のニュースを見るとなんとなくわからんでもないが、雇用調整ができない国では、この情勢下でものつくりなんて怖くてやっとられん、というのもどこまで言えるのか言えないのか。
ひょっとしたら制度としての雇用の流動化は免れないんですかね。(要はクビにしやすくなるってこと。)
でも、いきなり雇用流動化の競争社会になったら草食系ビジネスマンである日本の多くのサラリーマンは厳しいよなぁ。
##まどろっこしい文章になってごめんなさい。どっちの何が悪いと言いきれるほどの意見がまとまってないので軸がぶれてる感は否めませんが、その部分もひっくるめての「今」なのかなと勝手に解釈をしています。
個人的には、キャノンやF通のような、単純工場労働の
請負を積極的に使っている企業ってどうよ、という印象を
持っていますが、〈この記事には、まだ後半の回があるそう〉
ですので、続き(とコメント)を期待してます。