March 28, 2009
ブログってなんだ、何のために書くんだ。ブロガーというカテゴリは誰のことなんだろう?と思ってたのですが、今週見かけた記事で一番気になったことは間違いないです。
書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか インターネット-最新ニュース:IT-PLUS
例えば、政治やビジネスの言及だったにせよ「書く動機」は人それぞれいろいろで、そこで言う「質の高さ」と「書く動機」の軸が違っていたら、本人の文章力が高ければ高いほど、余計に「ブログ言論の質の高さ」という考え方にとってはマイナスに働くだけのように思えます。
情報を発信することでお金をいただくメディアにおいては、「質の高さ」の担保は「人に事実を伝える」「社会の意見を代弁する」というあたりがあるかと思います。職業人として名前を出している以上、その人の社会的地位、業界的地位の向上をインセンティブと文脈として、高いクオリティを実現したいという行動原理は無視できないでしょう。
平たく言うと「仕事」ということです。
ポジショントークという言葉をたまにネットでは見かけますが、その意味は、wikipediaによると以下のような内容らしいです。
ポジショントークとは、株式・為替・金利先物市場において、買い持ちや売り持ちのポジションを保有している著名な市場関係者が、自分のポジションに有利な方向に相場が動くように、市場心理を揺さぶる発言をマスメディア・媒体などを通して行うことを指す。
「この人はポジショントークをしている」という表現は、ネットでは、「バイアスのかかった意見」とネガティブな意味で使われる。
これは一見、悪いこととも取れるが、メディアの発信する情報というのは、ポジショントーク的なところを前提としてなされているのではないだろうか?そして、その立場があるからこそ、一定の発言のクオリティが実現されるのではないだろうか?
・新聞社の伝統的な立場からの発言
・テレビ局のマスメディアからの視点
・企業のトップの発言
・政治家の発言
・芸能人の発言
・評論家の発言
マスメディアで発言する人は、タレントを除くとオピニオンリーダーや専門家ですよね。当然、制作側から期待されている文脈、役割、品質要求はあってしかるべきですが、それってポジショントーク以外の何物でもないですよね?
これって、この用語の拡大解釈または間違った解釈をしていますか?
このblogの記事はlivedoorニュースの一部のコーナーにも転載していただいているのですが、たまにlivedoorニュースの読者のネガティブ方面の琴線に触れた場合に、以下のような典型的な批判が帰ってくることがあります。
・なにこれ、ただの日記じゃん(正しい!)
・何故、こんな記事がlivedoorニュースに載るの?
・livedoorの人はチェックしてないのでしょうか?
こういうのを見て、「へー、livedoorニューススゴイねぇ」と思うわけです。
よくテレビ番組の発言に、一々クレームをつける視聴者という構図がTV放送やネット掲示板などから見え隠れしますが、裏返すと、そのメディアに対する期待の高さ、信頼感というのが、批判圧力、権威付けに繋がっていて、その結果、品質の高さに繋がるという図はあるように思えます。
その制約があまりにも大きくなったのが、今のテレビ番組がつまらなくなった理由とも言われていますが、それにしても質の高さを追求することが、広告を得やすくなるなど、ビジネスの拡大と一致するのであれば、そこにコストをかけて質を高めていくことは必然的に行われるわけです。
ブログは低コストに情報発信できるツールです。
記事をアップするだけであれば、人に見られることを期待されていないシステムです。RSS、トラックバックやping、他人のblogへのコメント、セルクマ、ツイッターに投げるなどの認知手段を講じて、数少ない購読者や購読候補者に投げかけることはできます。
何もしなければ、書いた側が世界の誰かに勝手に見られることを期待しているのがブログでありホームページです。
更にブログに記事を書く動機が一定のインセンティブモデルに乗ってはいません。
ブログを書く理由例:
・ニュースや政治家の批判をしたい
・テレビ番組や好きなアイドルについて一言書きたい
・今日食べた物を書き綴りたい。
・調べた技術のメモを書きたい
・今日思ったことについて書きつづりたい
・アフィリエイトやadsense収入を得たい
他にもいろんな動機があると思いますが、情報発信のコストが低いのと連動して、情報発信の目的も一定していません。
発信コストが低いということは得られるリターンも低いわけですから、集合体としての質が高くなるわけはないし、ほのぼの系ブログサービスであればあるほど、ブログを書く人のインセンティブが、広告に繋がるアクセス数である必要はないので、ブログ事業者は記事を利用したマネタイズに苦労するわけです。
「Web2.0の次」というのを想像することがちょっと増えてきました。「Web2.0」とはオライリーさんが定めたトレンド仕様(年末の流行語大賞みたいなもの)のことなので、オライリーさんが「Web3.0」を語り出すまで「3.0」とは絶対に言いたくないので、あえて「Web2.0の先」と表現しますが、そこでの僕のイメージとしては、なんにせよ「Web2.0サービスを踏み台にした何か」であることは間違いないのです。
一つ大きなものは、「インターネットからスター選手が出るパスが構築される」ということかもしれませんし、「Web2.0サービスを踏み台にした新しいビジネスモデルが生まれる」とかそういうの。例えば、
「一流大学を卒業したら良い会社に就職できる」
「高校野球を頑張るとプロからお呼びがかかる」
というものに対して、
「ネットで自分を晒して、ソーシャルメディアを活用することで、メシが食っていける」
とかもあると思うし、
「ブログを書いている人が記者になる」
「書いてるブログでお金がいただける」
というのもあるでしょう。
そういうムーブメントが、個人が元々持っているキャリアパスや学歴に依存することなく、ネットのサービスで実現できるというのが「Web2.0の先」にあって欲しいと思っています。
ビジネスになるということは、ネットのアテンションを踏み台としたものに、お金を出す価値が生まれるということですから、決して簡単なことじゃないのです。
だから「Web2.0の先」
もちろんそれは、そういう道にパーミッションした人だけがやればいいのであって、現状のブログ同様、ごくごく個人的な主観や、極端なことを言えば、クダ巻いて低俗だったり、ネガティブなことを書いているシーンというのは継続して構わないのです。
冒頭の引用で言うなら、例えば「ブロガー」という枠組みでは広すぎると思っています。
昔は「ネットワーカー」という言葉がありました。ネットワークに繋ぐことそのものが特定の趣味だった時代の言葉です。
インターネットに繋ぐことがコモディティ化した以上、「携帯でメールするだけのお母さん」も「ネットワーカー」です。だから「ネットワーカー」という言葉で、今のインターネットの何かを語ることはできません。
それと似たような話で、特定のキャリアを目指した「○○系ブロガー」「○○系」などと言ったカテゴリーが新たに生まれているハズで、そこにおいての「ブロガー」だとか「ついったらー」や「はてなー」みたいなものは、インフラの一つにしかなりえません。
そもそも「ブロガー」とは「ブログツールを使う人全般」なのですから、ブログを書く人がもっと少なかった頃ならともかく、もはや、そこに意味はないと思うんですよね。
私が所属するチームでもJUGEMをCMSとして使った商品紹介記事の「物欲刺激アイテム」を仕事として書いています。毎日続けることで、徐々にPVが増えてきて、今では結構な数になり、ここを経由して商品が売れる機会も増えています。
ここではカラメルの理念だけを共有してチームのメンバーに書いてもらっています。うちのディレクターがコントロールをしているので、信頼して特に僕が何かを言うことはありません。(が故に見てなさ過ぎなんだけど)
しかし、最初は「僕等ができることから始めよう」というところからスタートしたものです。やりながら、このオペレーションが継続的に回せそうだということが見えてきたので、カラメルのリニューアルの時に、カラメルそのもののコンセプトを、赤いロゴがトップランナーであるショッピングモールというレッドオーシャン的考え方から、ショッピングガイドというメディア方面にコンセプトを切り替えて、その中心的役割に、「物欲刺激アイテム」を据えたわけです。
仮に「ブログには高いクオリティが必要だ」という考え方があったら、この企画はスタートしてないでしょう。「プロのライターじゃないとダメ」と思う時点で、「まだそこにコストはかけられない」という判断になっていたでしょう。
そういう意味ではブログというツールを使うことで、スタッフにとっても非常に精神的障壁が低い状態でスタートがしやすかったわけです。高い目標を掲げつつ、スモールスタートを切るには素晴らしい環境と言えるでしょう。
故に「ブロガーの言論の質が低い」と言われれば、「そりゃそうだよねぇ」という答えにしかなりません。
だってゼロ円で誰でも使えて、利益を求めなくてもアウトプットできるところにメリットがあるんですから。
できることと言えば、質の低い発言と言われる文章の裏側にある行動原理や感情を汲み取って、その人の意見は何故、そう発言しているのか?まで推し量らないことには参考にはなりえません。(めっちゃパーソナライズ的です。集合知には向きません。あれ集合知理論って、無意味にネガティブな人をノイズとして扱えるんですか?)
そうではなくて、
「ジャーナリストを目指すブロガーの質が低い」
というのであれば意味がわかります。
そこには、
「マスか否かに関わらず、一定のクオリティで対価としてのお金をいただくことを目的としている」
という定義が付くのかもしれません。
いずれにせよブログツールの社会的意義という意味で、明確にイケるかなと思っているのは、「素人とプロの境界線」に存在するものであるという位置づけだけは今後も変わらなくて良いのではないでしょうか?
故に変わるべきは、そのカテゴライズの考え方かなぁと思っています。
当然、そこにはカテゴライズ方法と、インセンティブとしてのビジネスやキャリアパス。そして生存競争の考え方が伴うべきでしょう。