February 23, 2009
まぁそもそもあれだけの機構の塊が200万とかで買えること自体がスゴイんだけど、それも数が出てナンボなんで車が売れなくなると破綻するビジネスになっちゃってるとは思いますけど。
六本木あたりに3000万円級の高級車ディーラーのお店が増えていたりするのを見ているとクルマ離れブームで割を食うのは安い車を提供してきた日本車か。
割と思うのは10年ぐらい前から、かつてのトレノ、レビン、MR2、シルビアと言った若者のおもちゃ的な手軽な車が消滅し、販売の主力がミニバンに移行して実用性重視で面白みやワクワク感がなくなった。一部生き残ったスポーツカーはよりニッチでストイックな方向性に進んでしまい新規顧客を育てるというよりは、一部の既存顧客のためだけの製品になった。
そういう世界で育ってきた中高生だった子供が車に興味を持たなくなって、その頃の少年達がオトナになった今、車なんかイラねってなるのは当然。
サッカーや囲碁を広めるのにマンガが影響を及ぼしたというのと同じく、そういうワクワク感の提案を車メーカーは切り捨てたからね。僕の場合は、シャコンタンブギってマンガでトヨタのソアラって車に憧れたクチで、大学生の時に頑張ってソアラの中古(GZ20のツインターボ)を買ったりしたのだけど、何故欲しかったかなんて理屈じゃないし。
アニメオタの人が有り金をDVDやゲームにつぎ込んだり、コミケで徹夜している価値観がある。僕はそれを絶対にやらないし、理屈でそれが如何に無駄かを語ることは可能だ。しかし、僕はそれをやってる人のことを全く否定しない。何故なら僕にとっての車はそれと同じような存在であって、理屈で損得を語るものじゃないと思ってる。
(故に勝間本は苦手)
ただ、モータリゼーションの発展とそれに伴う産業というのが実は日本の経済政策の重要なポイントだったとするならば、車を買わない若者という現象は、その時代の終焉を意味するのかもしれないし、僕みたいに車良いねぇなんて言ってる人は、そのレガシーな経済政策に乗ってる典型的な国民の一人であり、かつ道路族と言われる政治家を支えてる一人なのかも、とは思ったりもしなくもない。
だから否定派の人の言い分もわからんでもない。車なんて、どう考えても高い買い物だし。
must haveとnice to haveとで言えば、実用面で言うと、車をただの移動手段としか見ない場合は、ほとんどのシチュエーションを解決するのは「どうにかなる」わけだから、明らかに「nice to have」である。
僕の場合は、クルマに乗ることに対して精神的価値を見出しているので、かなり「must have」である。
県境を越えるだけで、駐車場代が二倍になるので東京都内に住むのはバカバカしいと思っている方だ。クルマがなければその分家賃が増えても生きていけるわけだから、都内に住んでもっと通勤時間を短くすることだって可能だ。
そう考えると、クルマ否定派から見ると、僕は、クルマというモノに洗脳された哀れな人間という風に見えることだろう。
さていきなり話が変わるが、最近、iPhoneの魅力を再考している。
iPhoneの魅力は、「持ち歩くインターネット」そのものであることだと思う。
携帯によるモバイルインターネットも良いのだが、PCインターネットにはモバイルにはない資産が沢山ある。
例えば友達の家に行ってゲームをやったときに突然知りたくなった「レッキングクルーのゴールデンハンマーの出し方」だ。
google検索+googleのコンテンツ変換を使って携帯でも探せるかもしれないし、PCを借りれば探せるわけだが、誰にも何も頼まずiPhoneでWebサイトをそのまま開いて、ありのままで確認できるiPhoneは、そういうシチュエーションにおいては感動的に便利である。
クルマにせよiPhoneにせよ、代替手段となるものを挙げればいくらでも挙げられるのだが、その一瞬に得たモノというのは、論理的に言えば、「時間が短くなったメリット」だし、精神的に言えば、「今すぐ手に入れられてシアワセ」ということになる。
結局は、それを通じて得られる成果にかかる時間の短縮分とそれを持つのに必要なコストを比べてどっちが自分にとってシアワセか?ということが大事であり、お金の大小で判断するものではないよなぁと、僕個人としては思うところ。(お金が何よりも大事だという人もいるから押しつけるつもりはない。)
あえて言うなら、そこで得た知見や経験を元に、収入を増やすことに成功すれば理屈上は、これらを持つことになんら問題はないわけだが、収入増える希望がなかったり、そもそも生きるコストを減らさなければならない状況に追い込まれたなら、当然、僕もIPhoneもクルマも捨てます。
とか思ってるからか、なんか夢がないなぁというか、クルマイラネって言ってる人って、賢くて堅実な自分カッコイイとか思ってるかもしれないけど、うーん、それをわざわざ主張することが、なんか見ていて寂しさを感じる。だって冒頭に書いたとおり、金持ちは都内に住んでようが、ほとんど車を必要としてなくたって車持ってたりするわけですよ。マセラティとかフェラーリとかベントレーとか。若いにいちゃんがポルシェのカイエンとか乗ってるんだよね。なんじゃそりゃ、と。
結局、何故、それを主張しなくては精神が落ち着かないのか?とかまで邪推すると、そんなことで自己のキモチを正当化してないで、もっと頑張れ、とか思いたくなってしまう、というか。(そこまでは言い過ぎか)
「マーケティング最適化の功罪」なんてキーワードが思いついてみたり。
ジョブスだったら、そこでミニバンシフトなだけで終わらせることはなかっただろう...みたいな。
通過点に過ぎなかったというのは同意です。
違う側面からですが、ご参考まで。
http://www.milkstand.net/fsgarage/archives/001514.html
リンク先の記事、読ませていただきました。
基本的には同意いたしますが、ある年齢層から下は「車離れ」なんではなくて「車に無関心」なんだと思っています。
はなっから、ほしいとも思わないといった感じですね。バイクも同じ状況だと思います。
都心でも車を持つ人というのは、高級マンションに住んで、高級腕時計もつけて、それでいて高級車に乗るというわけでしょうから、文脈が異なるようにも思います。
車の若年層へのマーケティングというと、
Fun To Drive(ライトスポーツ)
↓
特別感(スペシャリティカー)
↓
楽しさの共有(ミニバン・RV)
へと変遷してきたように思いますが(主観です)
「楽しさの共有」なら車じゃなくてもよいし、ジョブスならそこをついてくるようにも思います。
仮に車だとしてもiPhoneのように一部の人に受入れるだけのようにも思いますね。
ちなみに、私はどちらかと言うと、「一部の人」の感性の持ち主です。
http://f.hatena.ne.jp/kiku-chan/20080503014412
産業構造の転換だ、と捕らえるととても怖いですね。
自動車メーカーに依存している各種業界が足元から崩れ去るとか考えると、製造業出身でもWeb受託経験者としても、ちょっと考えたくないことですね。
ただ自動車メーカーはとっくの昔からわかってるハズですよね。今の不況とは全然関係ない話だし。
だから過剰に社員を増やさず、非正規雇用を活用して今までの好景気を作り出してきたんでしょうし。
(とはいえ、想定外の方向から落ち込みが急速にやってきたってのはあるでしょうけど。)
自動車メーカーの次の一手に注目です。
(やっぱりロボットか。。。)
すいません。今朝のコメントを読まずに、トラックバックを送ってしまいました。少々、失礼な内容かと思いますがご了承いただければと思います。
>だから過剰に社員を増やさず、非正規雇用を活用して今までの好景気を作り出してきたんでしょうし。
「昔からわかってるハズ」ですが、むしろやったことと言えば、海外市場を意識した車作りだったようにも思います。
今時、カローラも3ナンバーですよね。維持費を嫌がる人も出そうです。
もうだいぶ前から国内市場が冷え込んでいるバイクメーカーが上手く立ち回れていない状況を見るとちょっと悲観的になっています。ドゥカティやハーレー、トライアンフは活況のようですが、ドゥカティなどは300人くらいの企業規模だそうなので、世界を相手にすればそれこそニッチでストイックな方向でもうまく行くのでしょうね。
すいません。今朝のコメントを読まずに、トラックバックを送ってしまいました。少々、失礼な内容かと思いますがご了承いただければと思います。
>だから過剰に社員を増やさず、非正規雇用を活用して今までの好景気を作り出してきたんでしょうし。
「昔からわかってるハズ」ですが、むしろやったことと言えば、海外市場を意識した車作りだったようにも思います。
今時、カローラも3ナンバーですよね。維持費を嫌がる人も出そうです。
もうだいぶ前から国内市場が冷え込んでいるバイクメーカーが上手く立ち回れていない状況を見るとちょっと悲観的になっています。ドゥカティやハーレー、トライアンフは活況のようですが、ドゥカティなどは300人くらいの企業規模だそうなので、世界を相手にすればそれこそニッチでストイックな方向でもうまく行くのでしょうね。
blogは、一方通行のメディアなのですれ違いが起きても仕方ないので気にしてないです。
(というか、このblogにトラックバックを受け付ける方法がなくてすいません。拒絶してるわけじゃなくて、スパム対応できない古いシステムでして...)
で、まぁ言ってしまえば、昔は良かったなのですが、その時代の移り変わり自体が、いろんな人の気持ちや積み重ねによるもので、それは今の若い人がやってることの次にも同じことが繰り返されるので、学ぶものはあるのだろうなと考えて書いてます。
昔、小学生の時に広島に住んでいて、あそこは海の水による川の町なので、よく家の近くの川に釣りに行ったり、シャコを取りに川に降りたものですが、数年前に久々にいったら堤防が大規模な柵で覆われていました。
もう川に下りるのは難しい感じでした。
安全を考えてそうなったのか、子供が実際に落ちて死んだからそうなったのかわからないのですが、何かの事実と人の気持ちが社会を変えていくのだと思うと、それ自体は実は時代に無関係に不変なんですよね。当然、IT、インターネット社会にも言えることで。
そういう栄枯盛衰みたいな部分には興味があったりしてます。