February 14, 2009
仕事しながら、勉強しながら、移動しながら、歩きながらツイッターをやると楽しい。
人はインターネットのコミュニティ「だけ」にどっぷり浸かっている人というのは意外と少なくて、インターネットを何かの補助ツールとして使う。
辞書やニュース、情報源としてのブログなど、仕事や生活の補助として使う。
ツイッターの場合は、生活の補助としてのネットコミュニケーションツールと考えられる。
しかも「今」「未来」「過去」に対してそれぞれ違う側面が見え隠れする。
「今」は、人と繋がっていることを自分が確認するために使うものではないだろうか。一人でいる時には孤独ではないことを確認するため、複数人でいるときは、同じ情報を共有する人数を増やすためにツイッターに書き込みを行う。
Ustreamの中継URL、写ツやイマココはここを支援するツールと言えよう。
「未来」は、イベントの告知をする、人を誘う、未来に対してのコミュニケーションにも使っている。これから何を食べると言って、他の人がそれに誘発されるのも未来なのかなと思ったりする。
さらに、購買行動も未来への誘導と見なすことで、ツイッターマーケティングの可能性を感じている。
「過去」となる情報は、しばしばblogやニュースのurlが投稿される行為にて現れる。投稿している人は「今」だが、そのURLをクリックする人にとっては「過去」のものである。
この情報は、ソーシャルブックマークのように使える。僕がツイッターを俗人的な情報ツールとして参考にしているところでもある。
・・・と書いてて、結局、けんすうさんの放電コミュニケーションのエントリーの言い換えではないかという気がしてきた。
一つ疑問に思ってるところは、ツイッターはリアル連動が楽しいわけだが、リア充と言われる人はツイッターを楽しいと思えるのかは謎だ。リア充の特徴は、一緒にいる人との間でその場の関係性が完結しているところに特徴があると思われる。要するに内輪という関係性で満足してしまう部分はあるのではないか。彼らにとってのツールはメール(メーリス)がベストなのではないか?!
mixiみたいに内輪をネットワークに持ち込めるようになればユーザーの数は相当増える可能性があるのだが、内輪を持ち込むメタファではないので、ただの「つぶやき」という汎用コミュニケーションではStickyさでは一歩弱いのかもしれないと、pixivやニコ動などのコンテンツ特化型コミュニティを見て思う。オープンなメッセンジャーやIRCの座というのはあると思うけどね。
どうなんだろうか。
まぁとりあえず言えることは、2007年の段階ではブームが年越しするとは思われてなかったのに、モバツイのユーザーは緩やかではあるものの増え続けているという事実には何かあるんだろうな。きっと。