February 11, 2009
今月号のビジネスアスキーは、さまざまな商品やサービスの価格について言及した特集が組まれていて、なかなか面白い。
その中で、「ガラスと金で超高音質を実現」というタイトルで、ビクターが発売する18万円のCD(CDプレーヤーではなくメディアの方)の記事が載っていた。
基板をポリカーボネートからガラスへ変更し、反射膜を通常のアルミから金に変えた物だそうだ。
これにより読み取り時のエラーを減らすことで、音の伸び、艶、音場感、空気感が伝わるとのこと。
CDというのはデジタルメディアなので、単純にゼロイチのデジタルデータの概念を想像すると、何故CDの音質が再生機器や状態によって変わるのか?という疑問が生まれてくる。
パソコンのCD-ROMでソフトウエアが読み込めないケースはないのだから、CDの素材を変えたところで、音質が変わるなんてトンデモじゃないか!というのが割と自然な考え方だ。
どうも調べてみると、音質が変わる理由は、
1.CDから読み込んだデータを、実際の「音の電気信号」へ変換する際の回路性能
(加えてアンプを通じてスピーカーを駆動させ、耳に音が届いて、解釈されるまでの一連のプロセスもある)
2.CD-DAという音楽記録用のフォーマットが厳密性よりも一定の情報に沢山の音情報を詰め込んだ比較的緩いフォーマットであること。
この2つはありそうだ。
1番目はCDプレーヤーの質ということになる。例えて言うなら、同じ楽譜に同じアーティストが100%の再現性で音を奏でられたとしても、良い楽器を使うのと、安い楽器を使うのでは、どっちが音質が優れているか?というのと似たような話だろう。
ここでは2番目のフォーマットについて考えてみたい。
ここで思い出すのは、世の中の品質というのは「時間」に縛られているということ。
円盤CDから非接触で光ピックアップを通じてデータを読み出す際にエラーが発生する。CDが汚れていても、それなりに読んで音を再現することができるのだが、そのすべての処理が、「音の再生」という時間軸に間に合う必要がある。
そこでの仕様が、厳密性から見ると甘い仕様である、と考えるのが妥当なのかなと思った。
CDの素材を変えて、エラー訂正を減らすと音質が上がるということは、CD再生処理のどこかで100%の再現性の追求を諦めてるという理屈になるのかと思う。
必ずCDというメディアをそのまま読み出せて、音に反映できるCDプレーヤーがあれば、CDの素材の差で音質に差がでるハズはないのだから、きっと、そういうことになってるのではないかと想像できる。
参考:CD-Rに焼くと、やはり音は“変化する”
藤本健のDigital Audio Laboratory
音の再現性にハードウエアの性能は無視できないだろう。
音楽CDは、僕が中学生の頃には普及価格帯の単体プレーヤーが出ていたわけだから、それこそパソコンがまだ8bitの時代のころに存在していた規格だ。
例えばパソコン事情で当時と今を比較すると、その頃のハードディスクと言えば、たかだか20MBぐらいのものでも数万円から十万円以上したわけだが、今は、数百円の一欠片のUSBメモリで20GBというケースもあるだろう。
当時のパソコンで、JPEGの画像を表示するのはかなり厳しいというか8bitでは今のクオリティを再現するのはハード的に無理だ。
今から15年ぐらい前の大学生の頃に使っていたパソコン(X68000)で、オフ会で取った集合写真をキャプチャしたJPEGの写真を一枚表示するのに20分ぐらいかかった。
それでも、ようやくパソコンで写真が見られる時代になったのか!と感動した時代だ。
今では自分のPCで、ネット越しに動画中継などができる時代だ。
それだけ僕等の周りは進化しているわけだが、CD-DAの規格はそれよりも遙か前のハードウエアで再生させるために作られている規格だ。CDプレーヤーのようなデバイスの世界でも当時のハードウエアとは性能が違うのではないかと想像できる。
あらゆるハードウエアで再生されることを意識した規格だからこそ、僕等が直感的に思っている以上に厳密性は低いということではないだろうか。
乱暴に言うと、僕等が使っているCDプレーヤーでは音楽CDの再現性は100%ではないということ。
参考:同期がとれないオーディオCDのリッピング
藤本健のDigital Audio Laboratory
だからこそ「CDに記録された情報を適切に読み取って再生する」には、ハードウエアのアナログ的な性能で実現するクオリティに差が出てくる。
それこそが18万円のCDの音質の要因であろう。
そう考えるとCDも限りなくアナログレコードに近い存在に見えてくる。違うのは、デジタル信号に符号化、シリアライズされて記録されていて、それを読み込む仕組みが安く作れるので、多くの人が「音質が良い」と感じるためのコストがCDの方が圧倒的に安いということだろう。
今ならマスターデータをwavの形で配布した方が、余計なオーバーヘッドが低くなるハズなので、iTunesの非圧縮版を作った方が良いような気がするし、ネットを介するなら、仕組みを作ってしまってもそんなにコストもかからないと思うのだが、そこにあえて旧式の規格に引きこもったままハード側で工夫するというのが、どこかバカバカしさを感じる(人間的だ)
この話を見て思い出したのが、魚の鮮度の話である。
流通が高度に発達した今、日本中、世界中の魚が東京に集まってきてるので、さまざまな魚を食べることは可能だ。
しかし、刺身は現地には絶対に味で勝てない。同じ値段なら東京の刺身は確実にマズイ。
魚自体の細胞組織の構造は変わらないわけだが、味の差とは結局は鮮度の差であり、それは「時間」というパラメータによってのみ支配されている。
もしこれを解決したければ、自分が現地に飛んで、魚が収穫されてから口に入れるまでにかかる時間を短くするだけで、おいしい魚を食べることができる。
18万円のCDによって高音質が実現できるというのは、技術的には「CD-DAという規格で音を再生させるためにかける処理時間を最小化すると高い再現性を得られる」ということなのだから、
音を奏でる1秒に対しての高いクオリティ(再現性)の追求
ということだろう。
全てのオーディオ機器はそもそも不完全な存在である。どのように音源に記録されている音を再現するか?・・・というのが基本的なオーディオにお金をかける考え方なのだろう。
無論、圧縮してiPodに入れて持ち運びましょう、というのもその実現方法の一つだ。いたずらに高音質を目指すことだけが有意義な利用法ではないと思う。
##開発の仕事でも、納期を短くしすぎるとバグが増えて品質が安定しないってのと同じなんだろうな。
##レガシーな世界に捕らわれているという現状と考えられるが、SACDに興味を持てないのもCDの音質は十分に高いからというのもある。
##皮肉にもCDヒットチャートでは、今の携帯音楽配信のニーズが見えないってのと、どこか重なって見える。現在の音楽配信は圧縮音楽だが、高音質な音楽配信を解決する仕組みでもある。そこが見えてきたら明確なCD終焉に引導を渡す驚異となるかもしれないね。
##余談だが、「時間」に対する品質実現というのは開発者は意識すると良いと思う。UIの場合は時間とは目的達成までの手順の数とも言える。(人間が最短で理解できるステップというのが正解、急がば回れ、もある)。わかりにくいシステムを作ってしまう人は、使用優先で人の理解への配慮が足りないことが多い。
時間に縛られないように何度もエンコーディングしたりゆっくりエンコーディングしてwavとして管理しておける音楽プレイヤー(PCのソフトじゃなくてオーディオ機器)ってあっても良いですよね。あるのかな
CDの媒体で音が変わるのはある意味当然でして
ジッターという問題がCDにあって、これが音質にダイレクトに響くと。
だから、媒体をよくしてジッターをすくなくすると音質はよくなります。
これは、プレイヤー側でもがんばれることなので、どちらかといえばプレイヤーでがんばったほうが合理的ですね。
媒体でがんばろうなんていうのは、どちらかというと、不経済な発想なんですよね。
金メッキぐらいなら理解できますけどね。コスト対効果の判断は重要だとおもいます。