January 31, 2009
桑田なんて、将来、スポーツ学の教授になって良い人なんじゃないの?
J-CASTニュース : 「高卒で大学院受かるのか」 桑田合格で早大に質問相次ぐ
元巨人の桑田さんや競艇選手が、高卒の学歴で早大大学院に合格したことが話題になっている。その反響で、同大には、「入学できる方法を教えて」といった質問が相次いでいるというのだ。一方で、大学の価値否定という批判の声も。どうして合格できるのか。
おまいは桑田と同レベルなんか・・・と小一時間。
大学だって、そもそも「大卒じゃない誰かが作ったもの」であることを忘れちゃいけないと思うし。つまり、この話で、こだわってるのは学歴という履歴の有無だけ。
必ずしも恵まれた体ではないのに日本のプロ野球の第一線に長くいて、大リーグでリーダー的役割を担ってきた(と聞く)という経験は、大学では到底、得られない実績と研究をしてきた人ではないのか?
そもそも学校というのは、常に「果たして教える人は、その道のプロなのか?」というジレンマがつきまとう。
学術的な権威と、その分野の履歴が一致する旧来からある古典的な学問の世界は、キャリアパスと大学の権威としての立ち位置が一致するので、「プロが大学にいる」という条件は成立する可能性が高いが、とりわけスポーツや、新しいジャンル(例えばアニメやWebなど)においては、学校で教える人が、必ずしも一線級のプロではないという問題はあるだろう。
それこそMOTやMBAの先生が、本当にビジネスの経験があるのか?という問題は、昔行った某大学のMOTの相談会で直接聞いてきた話。(大学院行きたいなぁ・・・・。)
少なくとも大学というビジネスで考えても、一線級の「お客を呼べる人材」については、人材難であることは容易に想像がつく。(アカデミックな機関もまたビジネスであることは忘れてはいけない。)
もちろん、「シーザーの気持ちを知るのにシーザーになる必要はない」というコトバがある通り、別に教える人がプロスポーツの一線を経験している必要はないが、それと同じだけ、プロスポーツの一線で活躍した経験を元に研究に生かせる素質を持った人材は貴重なのではないか?
ネタ元がj-castなだけに真に受けても仕方ないのかもしれないがアホかと思う話だった。
もし、こんな話が日本人のベーシックな部分にあるのなら、そりゃ日本のスポーツ環境が恵まれてないのは、なんとなく関連しているような気がする。10代20代を捧げなくてはいけないのだから、スポーツに優秀な人材にとって大卒の「履歴」を得ることが人生にとって高いプライオリティじゃないのに、数少ない優れた経験をしてきた人の発展について、ただの「18歳の頃の履歴の有無」だけでリカバーできないなんてのがあったとしたら、ホントにバカな国だ。
高卒でスポーツの実績を得た人が引退後に社会の中でもしかるべき位置になって、スポーツに還元するサイクルができることは重要だろう。タレントやスポーツコメンテーターにしかなれず、出世しても知名度だけを手がかりに参議院議員のone of themになる程度がゴールでは、同世代で世界で何人もいないハズの貴重な経験を「知名度」というコンテンツとしてしか生かしておらず、もちろん本人は、そこを元手にどう生きていくか?という話になるわけで、そこからまさしく第二の人生ということになるし、充実した人生への有利なパスポートを持っているわけだが、できることなら自分が育ってきたスポーツの世界を広げることに身を捧げたいと思ってる人も、沢山いるのではないだろうか。
もし桑田がそういうビジョンがあるのであれば、大学でしかるべき研究と学術的権威をつけて、プロ野球やその他のスポーツに関わる「沢山の人」に還元できるような何かを達成して欲しいものである。(妄想かも)