December 18, 2008
最近、渋谷の駅の看板で見たsoftbank携帯のタッチパネル機の宣伝を見かけて、これって本当に意味あるのかなぁと疑問に思った。
UIだけiPhoneを超えるとおっしゃるんですか?:DESIGN IT! w/LOVE
にインスパイア。
iPodからiPod touchに変わったときに、それまで本体を見ることなく曲を止めたり、次の曲にジャンプしたりできたのに、タッチパネルになったせいでできなくなった。
iPhoneの日本語入力は、「不便なタッチパネルにしてはよくできている」が、その使いやすさは、手慣れた人の携帯にかなうわけではない。
文字入力をiPhoneでやる面倒くささは時を追うごとに大きくなってきてしまった。やっぱりモバツイでつぶやきを入力するのは、iPhoneより携帯の方がやりやすい。それが故に、iPhone対応のモチベーションが上がらないというのは否めない。
途中まで作ってるのがあるので、それはやりきるつもりだが、ホントは全く違うコンセプトでキー入力なしのアプリを考えた方が良いと思ってる。
タッチパネルがUIとして優れている点があるとすれば物理的なボタンの数が少ないため、最初の一歩を踏み出しやすいこと(こういうのをロー・ボール・テクニック、とか言うらしい)。
それともう一点は、画面表示と押すものとの対応関係が取れていること。ボタンの側で、今は、ここを押してください的なプレゼンテーションができること。
確かに携帯はボタンのお化けでわかりにくい部分があるのはあると思う。
よくあったのが留守電が聞けずに苦労したこと。ezwebや僕には不要なアプリなどのビジネスメリットが優先されて、最も古くからある基本アプリケーションが見つからないという状態。
iPhoneのアイコンのお化けでは、少なくともそういうことはないだろう。
それが故に1度目はわからない人も、1度学べば忘れないという容易性に繋がっていることはあると思う。
以上はUIとしての話であって、iPhoneとしてのメリットは、タッチパネルの特性であるプログラマブルなUIを生かした、ゲームやさまざまなアプリによる、App Storeの存在が重要だ。
結局、iPodという音楽再生デバイスから脱皮した先に、マルチユースの携帯デバイスというコンセプトを実現するために、タッチパネルを採用したと考えてみる。
もしそれが正しければ、携帯電話が携帯電話のスキームのままでタッチパネルを採用するというのは、まったく本質的ではない選択ということになる。
単純にキャッチーなデバイスという意味でタッチパネルを採用しても、コストが高いだけで意味がない。そもそもプログラマブルなこと以外は、UIとしては退化である可能性もあるわけだから。キーボタンがついている機種にタッチパネルをハイブリッドに載せても、中途半端にしか使われないわけだし。
せっかくタッチパネルを採用しているデバイスは、iTunes App Storeに負けないだけの、自由な世界、プログラマブルな世界を作って欲しいものだ。
かつての職場で、半導体系の生産設備を開発していたときに、ボタンUIから、プログラマブルのタッチパネルを制御に利用していた。
産業用装置の世界の方がもっとわかりやすくて、タッチパネルのメリットとは、レシピ(装置の動作プロファイルのこと)を持つことができることや、コントローラーのメモリのパラメータを調整しやすいというメリットだった。
そもそも生産設備に、カッコ良いとかは無縁なので、そういうのそぎおとしたところに、メリットが存在しなければ、わざわざ高いコストをかけて採用する必要はないのだ。
とはいえタッチパネルは実は誰かに言われて、かっこいいから的に採用してた。それが商品性の追求の仕方でもあった。ボタンUIは標準機種で、高級機種はタッチパネル的な感覚。合理性はないが、「何かが違う」という意味で。日本の携帯にも同じ感覚があったりするのだろうか。