July 07, 2008
ついぞ先日、秋葉原の事件でのUStreamの件でも危うさを指摘されましたが、今度はニコニコ動画でも起きましたか。
「ひろゆきが質疑応答するとき、ステージの左右のスクリーンに、ストリーミング生中継してるニコ動画面が出てるんだよ、コメントとかもリアルタイムで表示されて。そんで、質問のときに、太ってる人が喋ったら、その人が見てる目の前で、『ピザwwwww』とか可哀想なことが流れてて」「みんな最初笑い堪えてるんだけど、次第にゲラゲラ笑いになって、ひろゆきも笑ってて、俺もゲラゲラ笑っちゃったよ」
「『ハゲwww』ってコメントが流れてきたとき、会場のあちこちから小声で『ハゲ…』『ハゲ…w』って聞こえてきてさ、画面のコメントを読んでるだけなのに、その人に直接言ってるみたいに聞こえちゃう不思議」
衝撃を受けた。すごい。すごいことだ。あまりにも斬新すぎるコミュニケーションの現場だ!!
さらにコメントの人
会場に参加した人です。 ズバリ! そういうキモチになりました。 まるでサトラレになったような気分でした。 「(あ、ハゲ・・・)」って思ったらそこに書かれてるんですよ。「美人だなあ」っておもったら書かれてる。会場2000人の誰かが思ったことは、12000人の誰かによって書かれてて、みんなの脳みそがゆるくふわふわとつながったかのような不思議な空間でした。
僕は秋葉原事件のUStream中継を見た人で、かつ、その後の批判の記事も読んだ立場として、なんとなく感じるんですが、こういうのって参加した人と、そうでない人で、問題への拒否反応度や感覚が全然違うんじゃないかと思うんですね。
経験した人は、「そんなことにはならない、大げさだよ」って、言われてるほど問題とは思わない。
経験してない人は、なんとも言えない恐怖が見えてしまう。
その違いは、当事者達の顔が見えているか見えていないか。その空気感を感じているか否か。秋葉原の件で言えば、雑踏の騒ぎを映していたのであり、被害者の姿を映していたわけではなかった。
しかし、後のネットでの反応は、後の週刊誌などで批判された、携帯カメラで被害者の姿を撮影するモラル無きヤジウマを非難するのと同じ視線での批判が目立った。
また当事者がblogに書く際に、そういう場を経験した、共有した感情が優先して、情報そのものが劣化したり、批判しやすい発言になっていることも否めません。
その差違こそがライブコミュニケーションの強みであることと、文字だけで気持ちを伝える限界だなぁと思いました。
ただ、本件に関しては、楽しさの高揚感の部分だけ見てると、やっぱりいじめっ子が教室で弱い子をいじめて高揚感にひたってるその論理とあまり変わらないように見えてしまって・・・。
コメントの人の意見で、ニコニコ動画であればカメラマンが場をコントロールできるとありました。カメラマンの感覚で空気を読んで、この被撮影者、この発言なら大丈夫だろう、でコントロールできるって話はありましたが、表面的には極めて社交的に振る舞いつつも、裏ではものすごく傷つく人もいますからね。
って、そんなことを言ってもキリがないんですよね。放送メディアでは多かれ少なかれよくありそうなことです。いつぞやの羊水発言が、この時間帯のラジオ番組では問題ないだろうと思ってダメ出ししなかったスタッフがいるわけですが、そういうのと同じですかね。
ニコニコ動画を利用することで、疑似リアルだけでなくリアルタイムでもコミュニケーションを共有できるすばらしいメディアである以上、こういうことが一定数起きうることは特性の一つだと思います。
それを前提条件として、いじめっ子がいじめてる意識がない、周りの人も遊んでいるようにしか見えなかった、そういう感情の擦れ違いや空気の読まなさみたいなのがニコニコのユーザー間で助長され、変な方向にエスカレートしないことだけを祈っています。(それ全然ニコニコじゃないから!)
(現象そのものは、この場で起きたことに限って言えば、例えば大学生のサークルなんかでは、極々日常的にありそうなことだと思うんですが、この問題にポジティブ方面で反応した人の発言が、無自覚ないじめを正当化してしまう危険性を内包しているように見えてしまったというのがポイントだったりします。2000人も集まって全員全員が同胞とは思えないし。)