July 01, 2008
高校の頃は、Login誌で見かけたX68000のアニキ分であるAmigaとキャノン販売が売っていたMacはポルシェやフェラーリみたいな存在だった。
しかも、あの頃持ってる人と言えば、デザイナーや、尊敬すべきインテリ系コンピュータオタク、Mathmaticaを使う東大の院に通う塾の先生とかそんな人しかいなかった。ブランドイメージとして憧れないわけないです。
Life is beautiful: iPhoneが作り出す「小さな現実歪曲空間」のレス欄を読んでいて、Macの魅力ってなんなんだろうって思ってみた。
僕は、結構合理主義者の方なんじゃないかと思うのですが、ハードウエアに対する許容度は高いと思っています。決してHHKキーボードしか使えないような人ではなくて、別に1000円のキーボードでも構いません。DELLのキーボード好きです。マウスも、マウスボールがひっかかるとか、光学式でマウスカーソルがワープなどせず、普通に動いてさえくれれば何でも良いです。
もちろん本体の大きさや重さ、無線のサイズなど合理的な理由で高価な製品を使うことはあります。純粋に付加価値となる性能が素敵であれば、そういうのを使った方が楽しいですから。
多くのマニアが、PCカードスロットにこだわる中、結構早いうちから不要だと思っていた方だと思います。(だから僕の意見はネットでは通らないことが多々ありました。)
Macに関しては、OS9には手を出しませんでした。OS9の安定度はWin95以下だし、IE6のようにまとまりよく、(当時は)優れた性能、安定度のブラウザはありませんでしたから、NTカーネルが載ったWindowsをずっと使い続けていました。
OS Xになって10.4からMacを使いはじめたのは、OSの安定度がまともになり不安がなくなったこと、ベースにはBSDが動いており、WebプログラマーとしてはUnix環境でApacheなどを動かせる直接的メリットがあること。そして、通常の文字フォントがかっこいいこと、などでした。
結局のところ「かつては、かっこよくても、役に立たなかったMacを使うメリットが出てきたから買った」が正解なのです。unixの豊富な資産がなければ、わざわざマイナーで、Winユーザーにとって不慣れなMacを使うメリットはなく、秀丸やFFFTPを使ってサーバにアップしておけば良かったのです。
何よりWebへの依存度が高くなってきて、Windowsアプリへの依存度が減ってきたことが挙げられます。別にWindowsマシンは常に持っていますから、メインで使わなくても何かあったときの緊急用途的にWindowsが存在していれば事足りるのです。
最終的にparallelsの存在は大きいですね。でも、そんなにparallelsのWindowsは使いません。結局FFFTPを使うときに使っています。しかし、何かあってもWindowsがあるから安心という抜け道は大事ですね。
ハードウエアに関しては、上記のリンク先のコメントにあるようなMac礼賛という人たちには同意しかねる点が沢山あります。
AIRが2GBしか増設できないことや、PowerMac G5以降のデザインがバカみたいに大くて電力消費が半端ないこと(電流消費量、最大12Aってなんだよ。ドライヤーか!)など、プロダクトしてどうよと思うところは結構あります。
同意できなければ買わなければ良いだけです。マカーという人たちが批判を浴びるのは、どんな製品でもMac最高と言ってしまうところなんでしょう。そういう人はきっと、コンピューター全般に対しては、そんなにこだわりがないんだと思います。(さらに言えば、その辺の素人っぽさが余計に反感を買う理由なんだと思う。)
しかし、Apple製品は面白いです。
一年に何回か、今度は何を削って、何を重視してくるのか?というワクワクできるタイミングがあります。とがったところを狙ってくるので外れることもあるんです。
アップル祭りに参加して、今回の提案はダメだねーって言っても良いし、良かったら側買いしてしまうことを悩むことが、平凡な日常の中でのささやかな楽しみというわけです。
ここに関してはオールインワンで全部入りになる多くのWindows機にはできないことです。
メインストリームのWindowsマシンが求められることは、比較表でどれだけ他社と並ぶか?というところだと思います。OSが同じなのですから仕方ありませんね。
とはいえ日本のパソコンメーカーは付加価値をつけなくては海外製品に勝てませんから、結構工夫しています。それこそ、VAIOのtype Uや、その昔だと、NECのSimplemなんてのがありました。シャープも液晶を軸に面白い機種が沢山あります。(ちなみにNECは昔から結構おもしろくて、水冷とかCanBeなんかも面白いですが、その昔、PC98NLという超軽量ノートPCがあったんです。あれはMacばりにとんがった機種でした。軽量だけどバッテリーが切れるとOSが消滅するという素敵な機種でした。それについてはまたいずれ)
Macを買う前は、VAIOの夏モデルとか春モデルは何がでるだろう?ってワクワクしていた頃もありました。
しかし、日本のメーカーの悪いところは、キワモノ製品は往々にして性能が悪いというおまけがついてくるところなのです。
出荷量的にメインストリームを置き換えるほどのコミットはできないという事情なのか、作るのにコストがかかりすぎるのか、オシャレ機種を買うのは、一部の人で、そういう人はスペックを気にしないと判断されているのでしょうか?
NECのSimplemは当時買わされたので、今でも家に置いてありますが、当時、まだ高価だったXGAの液晶に、ワイヤレスマウス、ワイヤレスキーボードを搭載した省スペースの機種で、26万円ぐらいしました。しかし、肝心の本体のスペックは、セレロン 466MHzの機種で、同時期に出ていたゲートウエイの10万円PCと同じぐらいの性能でした。
それに対して、アップル製品は製品ラインナップが数少ないこともあり、製品コンセプトでチャレンジをしている機種でも、性能の手抜きも比較的少ないし、意外と安いのがあったりします。
Mac miniは、インテル化するまで一世代前のG4でしたが、CubeはG4で当時のPowerMac G4に必ずしも劣る機種ではなかったし、MacBookの高性能っぷりは記憶に新しい。Mac Book AIRもCPUなどの性能自体は悪くない。
さらに国産PCが及び腰だったBluetoothも積極的に標準搭載していたりと、純粋にイケてるところも少なくありません。
更にiPodの成功も無視はできません。iPod方面から、Appleデザインに慣れていくと、iPodはMacと繋ぐのがもっとも統一感があることに気がつきます。別に実用的価値においては、Windowsでもなんら問題ないのですが、iPodと繋ぐ白いケーブルが似合うWindows PCはそうありません。
製品には、「機能的価値」と「精神的価値」があると言われます。
「機能的価値」は、まさしくスペックそのものの善し悪しということです。定量的に計れるところです。それに対して「精神的価値」は、その名の通り精神的な満足感に繋がるところです。よく言われる質感やブランド、デザインなど、所有する喜びを満たす、広義のユーザーエクスペリエンスと言ったところでしょうか。
この「精神的価値」を満たせるのがApple製品には多いです。別にWindowsマシンでもそういうマシンはあると思います。昔のDellのOptiplexなどは、「枯れたパーツを使って安定性が高い」という文句が、精神的価値に繋がっていたと思います。実際はそんなに安定性は高くなかったです。
Thinkpadのキーボード使いやすい、も、一見機能価値に見えますが、結構、精神的価値なんじゃないか?と思っています。僕にはThinkpadのキーボードの魅力がわからないからかもしれません。ある種の男っぽさと、変わらないというコンサバティブな魅力が価値だと思います。僕は、それよりThinkpadはパーツの交換などの体制が優れていることには興味があります。
精神的価値と言っても、別にユーザーを洗脳するわけではありませんから、さまざまな企業活動の先に作られるものだと思います。そういうのを「ブランディングが優れている」と言ったりします。
また、コンピュータの機能の進化が途上だった時代よりは、ある閾値を超えて、一旦ライバル機種の性能向上へのニーズが踊り場になったからこそ、アップル製品は受けるのかもしれません。
コンピューターの機能向上が課題の頃は、
機能的価値 > 精神的価値
というプライオリティですが、十分に機能が向上すると、機能的価値は相対的に力を失い
機能的価値 < 精神的価値
というプライオリティで求められるようになるのではないでしょうか。先の日本製品のキワモノはスペックがしょぼいと書きましたが、対するアップルは、ハードウエアのコスト低下をうまく精神的価値でまとめていることと、時代のタイミングを突いてくるセンスは見逃せません。
それがまさに今と言ったところでしょうか。
また、そんな中でアップル製品は、精神的価値を充足させるような演出以外に、機能的価値のバランスを取ることを忘れていないので、コンピューターマニアの心をも掴む製品作りをしてくるのでは?というところかと思っています。