April 22, 2008
新潮社
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SFという先例
老いたるオタクの大陸への賛歌(?)
■オタクについて
僕はオタクとしてはまさしく第二世代。
高校生の頃、宮崎勉の事件に対するテレビ局の扱いのひどさをパソコン通信に文句を書いて、自分たちの存在ってなんなんだ!と言ってた。まさに、「普通の人」と自分は違うと言うアイデンティティを持っている世代。
■Webでの世代について。
Webの世界も結構似たような分類ってあるかなぁと思っています。
1.学校を卒業した時に、今の形のWebがなかった世代
2.大学にいたときに今の形のWebが注目されて生かし始めた世代
3.中学生、高校生の頃から今の形のWebを普通に使っていた世代
今のところはここまでかな。今後は生まれたときから〜とか小学生から〜というのが出てくるから、日本でも12歳でベンチャー企業とかはあってしかるべきでしょう。
僕は1の世代。堀江元社長などのように相当先見の明があった人以外で同世代で新卒からネット業界にいるのは、DTPやマルチメディア系の流れを組んでいる人か、ISP、通信関係が多いのではないだろうか。まだコンテンツはなかった時代
最近、Webとかtwitter系で合う人合う人、みんな年下なんですよ。
僕の世代だと、新卒採用している会社に入るのに、インターネットのベンチャーという選択はなくて、通信系、SIerなのかなと思う。NECのC&C事業部に入ったらBIGLOBEになりました、とかそんな頃だと思う。少なくとも僕は不幸だなぁと思っていて、パソコン通信の経験、知識を生かす就職先がなくて困っていた前が見えない時代でした。
(今考えるとNiftyServeがありますが、ネットは趣味、お遊びで良いと諦めてました。)
そこからネットバブルになっていくわけだが、76世代の人たちは、多分、大学に入った時には、もうネットがかなりイケてる感じで大学生活を過ごしていたんじゃないかと思う。
そこでネットに興味を持ったところで良質な人材が集まってきたので76世代が目立ったのかなと。
で、その後で、86だの82だのもう僕にはよくわからないけど、もう最終学歴ではインターネットを指向していた世代なのかな?!
今、20代が非常に目立っているわけだが、そんな中で思ったのが、
「何故、世代で集まるの?」
という疑問。はてなグループの日記で、なんとか世代ってのがあったり。
僕の場合、周りが同じ年であることはレアなんですよね。そもそも転職組なので、年齢も世代も出自も違って当たり前。
同じWebという目的で集まることはあっても、世代で集まることはないなぁと。
さらに言えば同じ趣味、世界を志向していて、その世代に入ってない人ってのもいるだろうけど、そういう人はどう思ってるんだろう、とか。
自分が思いもよらない切り口で自分たちのクラスタを形成しているのはなんなのかなー?!と言う疑問がうっすらあったのですが、ひょっとしたら、それの回答になることが、本書には書いてあるのかも。(よくわかりませんけどね。)
あと、やっぱり違っているのが、当然あってしかるべきですがネットに対する感覚の違いですかね。
ネットと自分の距離がものすごく近い人達多いですよね。
そもそも思い出すと、自分と若い人のネットに対する感覚が違うって思ったのは、ネオ麦茶のバスハイジャック事件でしたね。
僕がパソコン通信やってた時というのは、そもそもリアルな自分とネットの自分は違う、という意識が強かった印象があるのと、さらに僕がいたネットのシスオペの人曰く、
「そんなに悪い人はいない」
という考えの元、いわゆる「荒らし」も容認するタイプでした。
例えばネットで、どんなにネガティブなことを書いたり、殺人予告みたいなことを書いたとしても、実際にやるわけがない、きっとこれは強がりやネガティブの現れであって、日常では普通に生きているに違いない、という認識でしたし、多分、その認識はあっていたんだと思います。
この本で言われてる、第一世代のオタクに近いのかもしれません。
しかし、ネオ麦茶は、2ちゃんねるで犯行予告をした後に、実際に事件を起こしました。
これはかなり僕にとっては衝撃の事実でした。
ネットにアクセスする人口が増えたというのもあるし、ネットへの自己の投影がより具体的な形で行われているということなんでしょうか。
あれをライブで経験した若い世代は、ネットはよりリアルな存在になっていったハズです。その例としての「通報しますた」などのネットの遊びの書き込みが、リアルを脅かす発言に繋がっていくような流れは一つの事例だと思っています。
■WebSig24/7はなんなんだ
僕がモデレータで参加しているWebSig24/7で集まっている人たちは、この本で言うなら「貴族」かもしれない。
本書によると貴族とは、「高貴なる義務」を持った人達ということです。
そもそも経営者が多い集まりなのに、各週で集まってmtgをこなし、隔月でイベントをやっている。
そこで、自分たちがやろうとしていることは、
「Webをもっとよくできる」
ということを当たり前に考えていることだと思う。そして、それをみんなに広めることで、世の中が便利になるという「高貴なる義務」を負っている人たち。
他のWeb系イベントと比べると敷居が高いと言われます。結構、これについていろいろ考えていたんですが、本書を見て、それで良いんだと確信しました。
何故なら、WebSigでやるべきことは、
「みんな、もっと勉強しよう!」
ということなんだと思います。第一世代のSFマニアは、勉強するのが当たり前だということが書いてありました。WebSigも「自分で」勉強するために集まるんです。だから必ずしも甘くないと思います。
昔はWebSigで話を聞くと、あまりにも自分たちの「日常業務でできていないこと」とのギャップにためいきをついて帰るよね・・・なんて夫婦で話していたものです。
多分、最近はイベントそのものを、いろいろ工夫してるし、「かくあるべき」に圧倒されるイベントも減ってきたとは思いますが、それでも割と耳心地の良いtipsとかテクニックとか、そういうことを志向するのではなく、それこそ「クライアントとのハッピーな形はなんぞや?」とか、「自分たちが当たり前のように身につけておくべきこと」を考えています。
それが「セカンドライフの可能性」だったり、「Webディレクターにとってのセキュリティ」など、ターゲットユーザーを常に意識しつつも、決してターゲットユーザーに身についていないような話題も扱っています。だから、別にプレゼンターに何もお願いしなくても「IAは職能である」って言うプレゼンになるんだな。うむ。
これが、いきなり「ワイヤフレームの書き方」とか始めたら、それはWebSigじゃないわけです。
よく、エッジな話題が多いですよねって言われるんですが、本当にエッジな話題ならギーク系イベントの方が絶対エッジだと思う。そうではないのにエッジと評されるのは、「こういう属性の人たちに必要なのではないか?」という視点でイベントの意義を考えてから動いているからなのかもしれない。だから、「こういう属性」の人にはエッジなわけです。
明後日ぐらいから募集を開始する5/24のイベントも、「クライアントのハッピーな形とは?」ということで、アクセス解析の話をやります。
アクセス解析のベンダーを読んで話を聞くのではなく、実際に現場でちゃんとアクセス解析をしながら施策を立てている人にスピーカーをお願いしました。
アクセス解析から、「クライアントとのハッピーな形」を志向するのはWebSigしかできないと思います。多分、そこがWebSigのウリなんだろうなと考えています。
WebSigは集客がなかなか厳しいなと思っていたんですが、こんなことを求めるのがSFオタクにあてはめると第一世代だけだと考えると、母数が少ないんですよ。だって休日費やして、ちゃんと勉強しようなんて奴どのぐらいいるか?って話ですよ。しかも、来週役立つtipsやテクニックを教えてくれるわけじゃない。
どちらかというと転職したり、会社起こしたり、自分が偉くなったときに役に立つような話もあります。自分達の現場変えろよ、という内容も少なくない。
だから母数が少なくて当たり前。別にそれだけをやってるわけじゃないけど、「みんな、もっと勉強しよう!」というスタンスは貫くべきなんだろうな。
楽して学びたいという人たちには、WebSigイベントは多分向きません。そういう話題は取り扱わないから。参加費はもらってますが、お客さんという意識も持っていない。
なにより「クライアントとのハッピーな形」が楽なハズがない。でも、それをチャレンジする人たちだけが集まればいい。ネガティブな言い方かもしれないし、決してモデレータの総意ではないと思うけど、そんな気は僕はしています。
何故、そう言い切ったか?についての真意は、本書を読むとわかるかも。オタク第二世代、かつ中途半端なオタクである僕としては、せめて本業のWebだけはオタク第一世代が持っていたメンタリティを持っていけたら良いなと確信しました。
と、長文すぎて最後まで読む人はそんなにいないと思ってますが、機会損失とか気にせず、no 推敲でpost。この話を短くまとめるのは僕には難しいわ。ごめん
先見の銘->先見の明 では?
thanks!直しました。
なんかプチDanKogaiみたいになってますね。