March 15, 2008
パラダイス鎖国とは何か?
1.日本は経済大国になって、ある意味世界中にその地位が認知された。しかし、その後伸びてきた中国などの存在によって、「クラスの中の目立たない優等生」になってしまったが故に、クラスで目立つ問題児中国の台頭なども含めて、アメリカなどから忘れられてしまっている。
2.携帯産業が代表的な例で、日本の国内需要が高まり、日本の大企業は積極的に海外展開よりも国内需要への対処にリソースを割いてしまった。その結果、海外での競争力を失っている。(ヨーロッパ勢がずっとブランドリーダーの位置に居続け、そこを追いつけ追い越せのまま製品を作り続けている自動車は除く。)
このあたりが重要なところだと思う。
そもそも何故、日本の存在感が弱くなってしまったか?
一番代表的なものは、かつての日本が経験してきた「追いつけ追い越せ」と言った目標がなくなってしまったからだと言う。
日本人は「議論の分かれるもの」への対処が苦手だ。
例えば著作権問題や乱立する規格の時代の進み方。
国内の著作権問題がすったもんだしているうちにYoutubeやニコニコ動画、または今後もっと問題になるであろうyourfilehostなどの海外ファイルサーバの存在が著作権問題を骨抜きにしていくものと思われる。
もはや若い世代は必要な音楽や映像はダウンロードするのが当たり前になっていて、もうこの流れを止めるのは不可能だという話もある。
こういう「議論の分かれるもの」への対処が必要な時代には日本人はめっぽう弱い。
誰も前に進む方向での道筋を決められないから。そして、誰もが誰かがやってくれるはずと思ってる。
外圧、黒船に負けるのは負けてしまうというのは、日本が黒船に弱いということが問題なのではなく、外圧や黒船がやってくるまで問題を抱えたまま悶々と停滞しているからであろう。その結果、市場のおいしいところを黒船に持って行かれるという状況となる。
それに対して秩序やルールが目の前にあり乗り越える問題がはっきりしているときの日本は強い。それが高度成長期の日本だ。
コンパックがHPと合併した時に日本の技術部隊がリストラされ、台湾あたりにアジアの中心を作りそちらに製品開発の主導権が移動したそうだ。先日、古川さんのblogでもマイクロソフトがMS IMEの開発が中国主導になって、日本では手が出せなくなっていると書いてあった。
中国の台頭、並行して起きた「ジャパンナッシング」は、もう何年も前から現実のものになっている。
そんな中でパラダイス鎖国を壊すとしたらどうしたらいいか?というと、日本人が海外に行ってなんとかするというよりも、海外から日本に訪れる人を増やすことではないだろうか?
よくアメリカはグローバルを意識してものつくりをしていると言う話を聞くが、本当にそうなのだろうか?
単純に英語だから簡単に世界に広がり普通に生きててもグローバルだから、というのと、それと同時に外国人が買い付けに来るから、というのはないのだろうか?
日本ではアメリカやヨーロッパで売っているモノを買い付けてきて右から左に流す差益で儲かるビジネスというのがある。テレビのお嬢様特集で、白金あたりの令嬢のお父さんが、輸入業と称して小さい会社なのに何十億円も稼いでいるアレだ!
日本では海外の商品がもてはやされ売れるから、そういうことになる。
今度は海外の人が日本の商品やサービスを買い付けにくるという流れは作れないだろうか?
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今のところ、まったくそんなイメージは沸かない。
むしろソニーがアップルに負け、スタバやアマゾンが特定層の支出を吸収し、どんどん海外企業に浸食されるイメージがある。
そこは「付加価値」の考え方が間違っているからなのかもしれない。
「世界の工場・日本」から脱皮しきれないまま大きくなったとしたら、次世代の世界の工場である中国やインドに足下をすくわれるのは当たり前のことだ。本当の意味で「世界の工場」から脱皮しなければ先はない。
WBSなどを見ているとよく出てくる「付加価値をつけなくてはいけない」という言葉は、日本においては「高度な機能を実現する」と言った意味合いで捕らえられていると思う。それだと、まさにイノベーションのジレンマそのもので、「議論のわかれる」時代にはムダうちになる可能性が高い。例えばブルーレイが、アップルの動画配信によって同じ道を辿るかもしれない。
まずそこから考え方を変えていく必要があるのではないだろうか?
そこで読むべきは、中島聡さんの「おもてなしの経営学」だ。
何故、ソニーがiPod+iTunesのようなサービスが作れなかったのか?、「User Experience」を「おもてなし」と読み替えるところから本書は始まる。
僕が「User Experinece」という言葉を初めて聞いたのはFlashの製品発表会でのこと。
数世代前のFlash MXの発表会でこの言葉を聞いた。当時は「リッチなユーザー体験」を実現するためにFlashコンテンツを作りましょうという触れ込みだった。
しかし、その結果は知っての通り。
「効果的ではないFlash」が量産され、skipボタンが押されるためのコンテンツが沢山存在している。それはまさに「User Experince」という言葉が飲み込めなかったからではないだろうか。
そもそも適切な「User Experience」を実現するのは技術的にも工数的にも簡単にできるものではないと思う。ビジュアルをよく見せたいからとかそういうことではないし、Flashという一プロダクトだけでできるものでもなく、継続するサービスのたゆまぬ改善プロセスの中で作り上げていくものだと思う。
ここで「真のおもてなし」に昇華させる力こそが、代替の効かない付加価値となり、世界の人から振り向かれる製品を供給できるようになると思う。
またもう一つ。日本人は言葉の面で不利なので、製品の多言語化は当たり前のようにできるように作った方が良さそうだ。
海外を意識するというより、コピーされる前に海外進出できるとか、海外のパートナーと提携するための手だてとして役立つのではないか。できれば海外でリリースして、コピーできないようにしておくのも良いだろう。
僕も日英中(簡体字)の三カ国語対応のシステムを作っていたので、必要な手間は把握できているつもりだが、単純に工数増になってしまうし、サポート、メンテナンスコストもかかるので、なかなかできることではない。戦略より前の理念の段階で必要性が想定できてないとノリだけでやるのは現実的じゃない。
そこは日本人が故の不利として認識しておくべきだろう。そのためスモールスタートで始める際にも、多言語化することを常に意識して物作りをしておくクセをつけた方が良い。Webの場合は、海外のソフトウエアフレームワークに頼ると多言語対応はスルーされているところだから、自分たちで設計指針は作った方がよさそうだ。
もしあなたが英語が話せないソフトウエア技術者なら、自分が英語を話せるようになるよりも多言語対応するソフトウエアの方が簡単に作れるハズだ。
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ちょい古い本だけど。なか見検索できます!!
> よくアメリカはグローバルを意識してものつくりをしていると言う話を聞くが、本当にそうなのだろうか?
アメリカはその中にグローバルを内包している(移民が多く、文化が異なる人がたくさんいる)から、ローカルに向けて作ってもそのままある程度はグローバルに通用してしまう、という面はあるんじゃないかと勝手に想像してます。
なるほど。確かに日本は、「こういうものは売れない」と言ったときのステレオタイプの幅が狭すぎるかもしれませんね。
同じような文脈で、そもそも人種が多様だから、ニッチっぽくてもニッチではないという意識も強いのかな。
ちなみに、古川さんのblogで写真映ってましたね!