February 10, 2008
マスメディアはネットの力を借りて、広くあまねく情報が伝わるグローバルなメディアを意識するべきだ。ニッチなWebメディアは、個人を主体とした、あらゆる情報の伝達力を下支えする立場と言える。
例の倖田來未の一件に関しての話。
以前の深夜のラジオが、奥座敷的役割を担っていたのに対して、ネットでの情報伝達力が、タレントの失言を増幅してしまう効果が出てきた結果、奥座敷的ノリは通用しなくなってきたという話。
以前、デジタルステージの平野社長に、オールナイトニッポンの第二部を担当していた時の話を聞いたことがあるが、当初はリスナーから叩かれまくっていたが、段々、一体感みたいなのができてきたような話を聞いたことがあるが、今だったら、ネットの方で大炎上していそうだ。(でも今なら、もっと聴取率聴視率が上がりそう。)
個人の情報発信が簡単にできる時代になったが故にマスメディアの存在は底上げされ、ニッチメディアの定義は、「タレント(のように極めて影響力の高い人)がいるかいないか」という基準に変わっているように思える。
テレビやラジオは24時間どこを切ってもメジャーコンテンツであると考えるべき。
タレントが出るメディアはメジャーメディア。芸能人ブログは、そこに紐尽く存在でメジャーの枠組みに含まれる。メジャーとニッチが、どっちもURIで表現できる時代。ものすごく微妙だけど大きなラインがそこにある。
個人ブログや掲示板は、ニッチメディア。芸能人が2ちゃんねるを批判すると妙に違和感があるのは、メジャーがニッチに悪口を言うというカッコ悪さがあるからではないかと。
タレントの場合は、ブログやラジオも含めて日常の発言が商売と見られる。なので場所に限らず失言は炎上の格好のネタとなる。
「存在そのものが商売であるあなたが、そんな失言をするなんてヒドイ!」
という理屈だ。そうやってタレントが発する何気ない一言が、インターネットの個人を通じて伝搬流通し、ネガティブは増幅される。
タレントは優等生的発言しかできなくなるだろう。それなりに経験を積めば、発言の制御は可能だが、若くて元気のあるタレントが、その魅力を発揮しにくくなるのは、ちょっと可哀想だな。知らなくて良い層に発言が伝わってしまったとも捕らえられるわけで。
芸能人ってのは情報浸透力が異常に高い。だからこそ存在そのものにお金を出す人がいる特別な商売。なので仕方ない。
番組は録音だったそうだから、結果的に編集の見込みが甘いということになるが、この程度の失言をしてしまうのであれば、遅かれ早かれ失言すると思うので、言葉を紡いで歌というアウトプットで商売する身としては、なるべく若いうちに痛い目に合っておいた方が良いのかもしれない。ビジネスのタイミング的には最悪だったようだが。
よく「インターネットに公開されている以上誰が見るかわからない」って言葉があるんだけど、その「誰か」に見てもらうのは簡単ではない。
情報ってのは置いてあってもすぐには誰も見ない。ポジティブにせよネガティブにせよ誰かがなにがしかの意図で情報を流通させないと、短期間の内に数多くの人に伝わることはない。
炎上という言葉にあるとおり、ネガティブの広がりが早いのは情報流通させたい人の感情の連鎖が起きるからだ。
そういう中で情報浸透力がものすごく高いタレント、テレビやラジオは自覚を求められる。
それまで視聴者の側が、場所や時間で断絶をしていたのに対して、もはやコンテンツそのものも動画や録音で流通してしまうし、視聴者の側がリアルタイムで繋がっているわけだから、そこへの意識は、コンテンツの作り手も意識せざるを得ないだろう。こういうことを言ったら、叩かれるんじゃないかな?みたいなのは、今まで以上に意識されるようになるだろう。失敗がお金に直結するからね。
もし優等生発言以外の発言をしたい有能なタレントは、ライブなどに回帰していくのではないだろうか。録画録音、ブログ禁止のような形もありうる。まぁそれでさえも携帯を介して簡単に流通してしまうと思うが。
(携帯サイトのフィルタリングでやりたいのは、情報の断絶を少しでも作ることってのはあると思う。自分は解除するからどうでも良い・・・という問題ではない。)
NRIが公開したコンテンツで、インターネットネイティブが成長した時代には、ユーザーとアーティストが直接的な繋がりを持つようになって、直接的なビジネスが成立すると言った予想のFlashコンテンツが公開されている。
NRIメディアフォーラム「2015年のメディア・コンテンツ産業」
この時代は、この時代の難しさってものがあるものだ。タレントやアーティストとなる存在の質も変わっていくんだろう。
上記の予想コンテンツによると、ユーザーの好みにあわせてコンテンツを自動的にプッシュできる仕組みができることが新時代幕開けのきっかけとされている。
しかしテレビは、「チャンネル」をブランドの最小単位とした番組の編成やお茶の間にウケの良いタレントによって、ユーザーの好みを扇動して教育する役目だから、好みありきで番組をフィルタリングされると話が進まなくなる。朝から晩まで番組宣伝のためにタレントが出続ける手法があるが、あぁいうのは成り立たなくなる。
「ユーザーの好み」の軸の置き方が大事だ。好みを扇動し教育する役割に、よりタレントという軸が重要視されるようになるだろう。SEOのビッグワードみたいなもんで、その人に顧客がつく。例えばタモリ倶楽部なら、全然興味のない鉄オタの話でも見てしまう、みたいに。「この人が興味あることなら面白い」と提案力の高いタレントがより活躍していくことだろう。
でもそれだったら、ほぼ日みたいにWebのような自由なメディアにタレントが直接メディアをもっちゃえば良いんじゃないの?という話もあるな。まさしくタレントの才能(タレント)に広告がつくという感じになる。
また、ダイレクトに繋がるメディアが故にできないことってのは、まさに今起きている炎上体験がベースになっていくことだろう。(トラウマになっていく?!)
テレビやラジオから影響力が失われるってことは全然ないと思っているが、インターネットが電波のスケーラビリティに打ち勝つより先に、インターネットからの個人の発言圧力が原因で、テレビが本当につまらなくなっていく方が先なのかもしれない。
細かい誤字で恐縮なのですが、
×聴視率
○聴取率
のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B4%E5%8F%96%E7%8E%87
「視」って、おかしいよなぁとは前から思ってましたが、さくっとググって検索結果が出てくる程度の確認で書いてしまいました。
ありがとうございます。一つ勉強になりました!