December 02, 2007
僕が新卒で入社した会社がスゴイ。
もう僕が辞めて7年ぐらい経つが、なんとその頃にいた年寄りがほとんど辞めてない。
いわゆる2007年問題の直前に、ごろごろ定年になった人たちがいるハズだが、メンテナンス専門の会社を同じ敷地内に作り、今はそこで働いているから誰一人いなくなってないのだという。
しかし相応に当時の先輩にあたる人たちは出世していた。
まぁ言ってしまえば、いわゆる年功序列、終身雇用に近い。でも製造業は、そんなに甘くないところもあって、何せ国の保護政策なしに海外との戦いを強いられた業界なので、基本的にはシェイプアップを常に求められる体質。相応にリストラ的な配置転換レベルでの調整はされているようだ。
そんな中で、こういう会社は今を生きてるんだから素晴らしいケースなんだと思う。
やはり80年も会社が続いているってことは、それなりの変化をしながら生きているという部分で評価できることだと思う。
もちろん僕は、インターネットの世界に行きたくて転職した、もちろん仕事に対して物足りない感もあった。自分の未来を感じなくなった出来事があったのは結構大きかった。
その会社が良い会社だったんだなって実感したのは辞めてから。やっぱり古くからある会社は組織がしっかりしてるし、昇給、昇進制度も完成されてる。べらぼうにお金をもらう業界ではないが、平均給与の構成員として大卒以上なら全員、給料は安くない。高卒、専門卒も同じ年齢だと遅れてしまうが等級が上がっていけば給料は並ぶようにできている。適度な自由と適度な締め付けがバランスされている。上が辞めて無くても下はちゃんと昇進している。権限委譲はちゃんとしながら受け皿は適切に用意されてるってことだと思う。
沢山ダメだと思うところもあるけど、社員にはなんだかんだ言って居心地がよい。
今、現役でいる人曰く、「できない人ほど居心地がよい」
SIerの話で、全然プログラムがわかってない奴でも仕事ができてしまうことが問題、という話があるが、そういう人材でも仕事が成り立って、お客様から、お金がもらえるモデルは素晴らしいと思わない?もちろん問題起きるけど、経営判断が思いっきり間違えなければ大丈夫だし、案件のミスで赤字にはなれど潰れた会社は今のところないし。
会社というフレームワークがあったとして、一部の有能な人間しか使えないフレームワークでは、長持ちしないしスケールもしない。10人に1人の優秀な人材じゃないと一人前にならないより、残りの9人でなんとかした方が会社は大きくなるしリスクも低い。
もちろん9人でなんとかなるフレームワークを作るのは、10人に1人の優秀な人材がやることになるが、そこは排他じゃなくて共生。そういうことを作れる人材が本当のエリート。
「そんなエッジじゃなくても、そこそこ器用な人材なら、なんとかなる」ということで、文系卒、プログラミング未経験者の一流大学卒が重宝されるSIerなどは、こういうフレームワークの最たる例なのかもしれない。
もちろん、それに対する反論がどんなものか?なんてのはわかって書いてる。ベンチャースピリットでこれ書いてるわけじゃないし、そもそも現場は大変だしね。インターネットは、そこで生まれる矛盾に時間を費やしているプログラマーの不満で一杯。でもまぁ頑張るか、辞めるか、変えるか、だよね。売り上げも利益も下げずに。
ただ言えることは、こういう会社では、IT社長みたいななんかスゴイ人達は早々現れないわけですよ。頭が良い人を集めても、カリスマを持った人間に育てられるわけじゃない。むしろ、そういう人が社内で出てくるのはレアなケースだという前提で組織を作っていく必要があるよね。
そういうので企業が永続していくのって、なかなか記事に出てこない話かもしれないけど、結構スゴイんじゃないかなとは思ったりはする。
SIerに人が集まらなくなってきて云々なんて話はあるが、古くからの製造業はSIerのようなソフトウエア業界に人材を取られた業界だと思うんだよね。そういう意味で学ぶところは沢山あると思う。大事なのは、「変化」だろう。ものすごい変化には見えないハズだけど。
しかし年寄りはいなくならないが、僕の後に入ってきて、僕が知っている大卒、院卒の奴らが結構辞めてるという話を聞いた。
結局、僕の同期だった人間も辞めて次の会社にチャレンジしていく。
バブル崩壊後の就職氷河期の中入社してきた世代なので、結構な名前の大学を出た奴もいたが、やっぱり景気が良くなってきてチャンスが広がったが故に転職のチャンスも増えてきたのだろう。
聞いてみると転職先もまた、誰もが知ってる名前のつく会社ばかりだった。
しかし何故、彼らの転職がうまくいくのか?という部分においては、元の会社で培った「仕事の筋肉」みたいなのは確実にあると思う。
制度ではなくOJT的な社員教育や、「仕事を任せる」という部分がうまく働いていたように思える。みんな会社の悪口を言いながらも鍛えられてるような感じだ。甘やかされてはないし、失敗することに奔放だ。作ってる物がそんなに難しくないし、ソフトウエアと違ってタスクも成果物も可視化されてるから、間違ってることが早めにわかりやすいというのもあると思う。
「みんながなんとかしてきちゃってるから、この会社はダメなんだよ」
って愚痴は、どこ行ってもよく聞く話だが、そういう職場は、それなりに鍛えられてる職場なんじゃないかな。
でも、なんだかんだ鍛えられて強い体質になってるから、ステップアップにせよ関連業種にせよ、どの会社に行っても活躍できるんじゃないかと思う。
仕事ができるようになるってのは乱暴に言えば、
「今、一人で無人島にいったら、火がおこせるか?」
というところに繋がるのではないかと思う。少なくともエンジニアはそうあるべきだと思う。
って別に僕が火をおこせるわけではないけど。
そういうのはラインの一員ではなく、割と主体的にモノを作ったり、お客様と関わったりする仕事がオススメ。特に、お客様と直接顔を合わせて仕事をするとか、人に教えながら仕事をすると、ごまかしがきかないから体質がたくましくなるのと、できるだけ決断を自分でできる仕事は大事かも。
なんでも上司やPMの決済がないと自由に失敗もできない職場だと成長は遅くなる。
これは高卒も大卒も院卒も関係ないことで、どの立場にいたとしても、多分、内に入るライン的な仕事と、そうでない仕事を選ぶことは可能だと思う。
よくよく考えてみたら、定年になった人たちがやっているメンテナンスの仕事というのは、あの仕事の中で、もっとも泥臭いところ。誰もやりたがらない仕事だからこそ、生き残る隙があったと考えることもできる。
彼らがつぶしが効く理由は、泥臭いところを経験でカバーできる「仕事の筋肉」の強さがあるからこそかもしれないな。
彼らは上司になっても、イスに座って判子を押す簡単なお仕事です、ってな感じになったのではなく、現場の長なのに、あちこちに飛び回っていたからこそ、役職から離れた後でも現場感をそのまま発揮できたというのは彼らの強みだったと思う。
特別な会社だなんてまったく思ってないから、そういう会社は日本中にごろごろあると思う。でも、巷でよく言われている会社とはちょっと違うような気はする。そういえば、「ちょっと一杯」なんて夕方5時半から呑んでるような職場ではなかった。