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Webを中心とした、ビジネス&テクノロジーに関する思いつき
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藤川真一について


初代モバツイ開発者
想創社再創業 / KMD博士課程
著書〜100万人から教わったウェブサービスの極意―「モバツイ」開発1268日の知恵と視点 [Kindle版]
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November 27, 2007

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昔、ドリコムのmy profileに書いた内容がgoogleで探したら見つかった。
ある日突然、ドリコムなんとかに変えなさいと言われて、プロフィール内容も消えたもんだと思っていた。

他人のサービスに大事なデータを置いておくと、いつ消えるかわからないので、ここにもミラーリングしておきます。

二卍的なメンタリティで楽しく書いたら、超オタっぽいところばかりでてしまったプロフィール。


多分、2003年ぐらいに書いたバイオグラフィ

■小学生4年生
パソコンサンデーというTV番組でパソコンを知って、広島の第一家電でMZ1500を見ながらパソコンに憧れていた。

■小学校5年生
ファミリーベーシックを買ったけどマリオを動かすプログラムでドハマリして飽きた。この頃から微妙にプログラムに向かない自分がいつつ、小学校6年生に PC6001Mk2SRを買ってもらって、いじってはみたものの、やっぱりまともに使わなくて、中学に入ってから、パソコンサンデーの影響でX1を買って、その後、個人経営のソフトのレンタル屋さんに出入りしたのが運のつき。どうも自分のいる組織とは違うコミュニティにいりびたるというのは、この頃からだったかも。一時期は、毎日のように居心地の良いレンタル屋さんに通ってた。

■中学生の頃
今で言うならヤフオクにハマる少年で、ゲームやパソコンの売り買いをしてた、PCは3年間でMSX2台、PC88、2台、X1 2台買い換えて、でも、別に何をするでもなく、ただただゲームをやるだけの使い方という中途半端さ。

■高校受験
ソフトのレンタル屋さんで見せてもらったX68000のゲームのキレイさに憧れて、高校入学は親から支援金がもらえる公立高校を選択。88MAを友達に売りつけて、はれてX68を入手。

■高校1年
パソコン通信初めた。チャットして、狭い部屋の鉄の箱から、全然知らない人、まして日常出会えない大人の人としゃべることが出来るという世界の広がりに感動した。当時は1200bpsの時代。初めてチャットした日は朝のバイトをすっぽかした。

しかし、そのままパソコン通信にはまって夏休みに10万円以上の電話代を使い、まるで元祖ダイヤルQ2少年みたいなことをやらかし、親に味噌汁かけられ殴られて、家電屋でバイトして電話代を返すことに。この頃に、宮崎勉事件が起きた。

■高校バイト
バイトは家電屋の倉庫番仕事だったが、暇な時間は接客していいことになっていて接客が楽しくて、普通に高校生がビデオとかオーディオを売ってた。当時はミニコンポブームで、ROXYが飛ぶように売れてた。丁度、その頃、店でパソコンを売り始めて、当時はエプソンの互換機ブームの頃。98で言うならRXの時代。パソコン知識があるので重宝された。あの頃は一太郎が10万とかしてた時代。でも、営業の人の「パソコンなんか知らなくても物は売れる」という言葉に共感。

この頃はまさにオタクなガキだったので、今だに後悔するのが、一生懸命プレゼンしてFM TOWNSを売ってしまったこと。おばさんが、こちらの一生懸命さで買ってくれたのが余計、申し訳ない。多分、何言ってるか意味不明だったと思う。

■大学入試
高校3年になると、どーしても車に乗りたくて、とにかく現役で大学に行かないと18で車に乗れないので、とにかく行けるところを選択。バイトして買った最初の車は日産パルサーの中古。

■大学時代1
ただのオタク少年から、もうちょっとまともな考え方ができるようになったのは、バイト仲間と遊ぶようになってから。車で走りに行ったり、夜景探したり、廃病院に幽霊探しに行ったり、ドリフト見に行ったり。夜遊び癖と、夜景好きはここで培った。高校、大学の人間とは全然違う人種だった。親に言わせると「明るくなった」

■大学時代2
大学に入って金稼ぐようになってからネット復帰。サンデーネットという草の根ネットで、本当にいろんな人に出会って、いろんな経験をした。すごく楽しかった。おそらく考え方も人生も変わった。大人になることを求められた。ちなみに今の奥さんと出会ったのもここ。ネット恋愛の比較的さきがけの方かと。

■就職活動
問題だったのは、ここらで完全にインターネットに出遅れた。就職時はシステム会社でビジネスアプリ作ってもつまらなそうだし、自動制御の研究室だったが、まだロボットという時代でもないし、完全に自分の行き先を見失っていた。

なにはともあれ就職したところが、パトレイバーで言うなら特車二課みたいな部署。元不採算部門で、子会社化され切り離された会社。

■最初の会社
でもその選択は結果的にラッキーだった。ここでの人間関係には恵まれていた。何よりエンジニアとしてのプロ意識はこの現場で培った。尊敬できる人とも出会ったし、2年目から新規開発もやらせてもらった。パソコン搭載装置の開発ということで駆り出された。ここでもパソコンの知識が身を助けた。

■ネットバブル
ネットバブルが始まってみると、そんなことで何故、金儲けできるのか?と言うのが不思議でしょうがなかった。と同時に、その場にいられないのがなんか悔しかった。イチローが大リーグに挑戦するというのに影響され、新しいチャレンジをすべくデジハリへ。

■今の自分(2003年ぐらいの自分のことです)
幸運にもデジハリに行ってる時に今の会社の社長に拾われ、ベースはシステム開発の仕事でFlash開発,ブロードバンド、動画CMSの開発もやりつつ、今のメインの立場は情報設計という状況。

地味だが基本的に幸運である。あまり努力をしたことがないのが今までの生き方。とりあえず目標としてることは、「人の生活スタイルが代わるようなものを作ること」

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