September 25, 2007
・ネットにある情報は限られている。そこにはない世界もあることを知ることも大事。
・高速道路は均等に与えられている。そこから先が勝負。でも、簡単に高速に乗れるなら、単純にその情報は、そんな価値しかなかったんだよ。それまで詰まっていたトイレのように水の流れが滞っていただけなのさ。
それってさ、エジソンやニュートンが考えてきたことを教科書で学んだのと何が違うんだろう。スピードの問題?それとも今まで閉鎖的な業界だっただけ?
や
から、古くからある
へ行ってみた。
なるほど。改めて考えるとインターネットという高速道路は、みんなに均等に与えられた高速道路なんだよね。
でも、それって「文献を読むこと」や「実体験をしてみること」と同じってことだよね。
要は昔は、一部のプロという権威だけが得られた情報が、将棋のソフトウエアを通じて、簡単に体験できたことによって、時間を短縮できた。
でも、その先にある、インターネットにもソフトでも得られない体験の領域になると普通の人間になるから、そこから先は生身の人間同士の対決となる。
それに結局、人間は経験を通じて学ぶ動物であることは進歩していないので、人間一人一人が、体験→成長→死というサイクルを通じて、得た体験を消滅させちゃってるんだよね。
そういうサイクルの中で失われるべき体験を残すための手段が、本であり、データであり、インターネットであり、ノウハウが流通しやすいものに関しては流通し、そうでないノウハウは失われる。
そんなものではないのかな。
例えば、将棋のやり方はソフトウエアの中にノウハウとして溜められても、もっとマイナーな競技はソフトウエアに蓄積されることなく消滅する。
それが、もし自然淘汰としてみるなら、その差はなんなのか?というと、「みんなにとって、コンテンツとしての価値」があるかないかだけなんじゃないかな。
それに将棋が高速道路で、弱いプロよりもアマチュアの方が強くても驚かない。
だって、技術の進歩でマラソンの記録も競馬馬の記録も、短距離走の記録も世界記録を更新されているんだから。みんなでちょっとずつ進歩しているのは、何もインターネットやコンピュータソフトウエアに限った話じゃない。
うちの奥さんが珍しくYoutubeを探したらしい。
ある回の、「愛の貧乏脱出大作戦」の動画ないものか?と探したが見つからないらしい。
まぁそんなのないだろうなぁと思いつつも、昔のアイドルの映像はたくさん見つかる。
昔、ためしに共有ソフトウエアを起動してみた時に、中にある音楽を調べてみたら、僕が欲しい音楽は全然なかった。でも、アニメなどの音楽はたくさん見つかる。あまり興味ある音楽がなかったので、すぐ飽きた。
多分、ニコニコ動画もそのノリだろうからと、アクセスする気は起きない。アカウントだけは勉強のために取っておいた。
ネットってそんなもんだ。
wikipediaも、アニメや映画、鉄道などの○○オタクが根強くいる情報は充実している。しかし、それ以外は、やっぱり見つからない情報も多い。
それを自然淘汰と言う生態系に当てはめてみるにしては、あまりにもネットは情報が断片的過ぎる。
だから、ネットだけを見て物事を考えてはいけない。
ネットがタチが悪いのは、ネットを踏み台にして、お金持ちがたくさんできてしまったことなんじゃないかと。だからなんとなく、世の中に認められた、ものすごい世界なんじゃないか?なんてついつい思ってしまう。
確かに間違いなくすごい側面はあるんだけど、それは物事の全てなんじゃなくて、世界の断片的な一部分がすごくなっただけ。
ものすごい乱暴に言うと、オタクにとってのパラダイスが生まれたのがネット。
でも、オタクの定義も人の趣味も時代によって変動するから、そういうのがものすごい便利になったりするのもネット。
だって昔はeメールもオタクの遊びだったんだから。
「なんで、そんなことをする必要があるの?」って言われてたわけ。
アニメオタクのおもちゃであったMADムービーなんかもYoutubeをきっかけに、ちょっと属性の違う人も普通に楽しんでるわけ。多分、ニコニコ動画も、要求されるセンスがMADの要素だったりするんじゃないかと思うわけだが。
それって人生の高速道路というよりは、単純に情報の流通経路の話。まさにWorld Wide Web。
そこで、うまく時代にマッチングした技術やサービスを踏み台にお金持ちが生まれるみたいだし、全然ダメな技術やサービスもある。
だから「三度目の正直」なんてのて、時代とマッチングしたら息を吹き返したりする。
車輪の再生産なんて当たり前のことだと思うけどね。
というか、前に車輪があったことを知らないんだよ。
知識はいつも断片化していて、数年前にネットの一部で話題になっていた技術が、新しい世代の人が、さも新しく考え付いたような顔をして感動していたりする。きっと、それは僕らの前の世代の人も、僕らを見て同じことを思っていたんだろうし、その前もそうなんだろう。
いくらインターネットに情報があったとしても、人間の理解力や情報処理力はたかがしれているから、常に断片化されたサイクルを描いていて、いつもどこかのタイミングで、誰かが同じようなことを毎回繰り返しているんではないか?ということ。
そうやって無駄なサイクルを描きながら、あるタイミングで多くの人の興味をつかんだ物だけがなんとなく生き残って文献に残ったり、歴史に名を連ねたり、大企業になって継続的なビジネスプロセスを得たり。
しかしそれ以外のものも小さな円を描いて、ぐるぐる生まれては消えていく。
その無駄なサイクルたるや、世界の生産性とか考えたら、頭が痛くなるぐらい無駄なことをみんなでやっているのではないだろうか?
そう考えると、はてなブックマークなどで多くブックマークされたものが注目されるというのは、その一つの真実を切り取っているんだろうし、winnyのようにみんなが興味のないものは、だんだん淘汰されていくというのも適切なんだろう。
逆に、文章力とか興味のタイミングでブックマークされなかった良質な情報もあって、ものすごくもったいないと思うけど、きっと、また数年後に誰かが同じことを考えてエントリー書いて、そのときはまったく同じネタがブレイクするかもしれない。
人間ってのはそういうサイクルを繰り返して、トレンドとしてヒットした技術をベースに生活が底上げされていって、徐々に徐々に進歩していく動物なのだろう。
ただ、その進歩が、「正しい」とか「適切」と決められるものとは言い切れないけど。
例えば、技術が進歩したが故に、中国で、昔の日本と同じような公害が起きようとしているわけで、それって技術が中途半端に進歩して、同じ過ちを繰り返す土壌を作っただけとも言える。
つまり輸送技術とか生産技術とか特定の流通しやすい技術だけが進化して、一番大事なところが進歩していない。結局、中国もまた、昔の日本と同じことを経験して学ぶことになるんだろうとか。
(技術の進歩で、確実に被害が拡大すると思うけど。)
うまくまとまってないけど、もやもやっとした頭の中をちょっとだけアウトプットしてみた。
p.s.かなり、どうでも良いというか知らない人も多いと思うけど「ヤマアラシとその他の変種」が欲しいです。金出して買うほどじゃないけど聞きたいです。ブルーライトヨコハマが頭に回って仕方ありません。
→追記:10月にリマスター版で再発売だそうです。システムがColor Me Shop!proだったし、思わず注文しちゃいました。
http://bridge.shop-pro.jp/?pid=5014957
爆笑問題が出ているぐらいは覚えてたけど、こんなにすごい面々が出ていたとは。