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藤川真一について


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July 28, 2007

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いや、確かに都合良く使われるのが嫌ってのはわかるんだけど。

hemiolia.comさんの
そろそろWeb標準についてひとこと言っておくかより、

>と思ってたらなんかyuuさんの手による素晴らしい記事キター。

>ウェブ標準、それは状況や環境に左右されない情報伝達を
>実現するためのもの | Web担当者Forum
>今現在ビジネスとしてWebに関わる立場から認識すべき
>「Web標準」についての決定番的な内容と言ってもいいかもしれない。

yuuさんの記事は、誰かがぷくまってたのをmovatwitter経由で、電車の中から読みましたよー。

で、そこに対する反応の話で、

>ちなみにyuuさんの記事に対するはてブコメントをチェックしてみたら
>「これはひどい」タグを付きでこんなのがあった。
>「この記事を読むと「Web標準」というフレーズは「Web2.0」と
>同様に実像が曖昧なただの宣伝文句のように感じてしまう。」

Webの世界なんだから、言葉の対象が変化するのって免れないと思うんだけど、その対象がfixしてないと、どうしても嫌だって人は沢山いるんだよね。

ただWeb2.0とWeb標準が全然違うのは、Web標準はyuuさんの記事のタイトルに全て答えが書いてあって、

「ウェブ標準、それは状況や環境に左右されない情報伝達を実現するためのもの」

という考え方に対して、どういう標準的規格なら適切なのか?という話であって、中味が流動的なのは技術も時代も変化するんだから当たり前じゃん、と思うワケなのだが。

標準対象がfixしたら、それはもう進化しないってことだし、単純にW3Cが決めたものが標準だ云々とか言ってしまうと、現時点でsmilやsvgの実装はどうなのって話になって、現実と乖離してしまっても意味がない。

例えば、IEがsvg対応してなくてクソとか言ったところで、IEを無視してXHTML上にsvgを書いたって、ちっとも環境に左右されない情報伝達になったりはしないわけで、そんなのにWeb標準も何もないだろって話で、ビジネスマターなところも少なからずあって、「標準」という言葉から連想されがちな「真理」でもなんでもないように思える。

そう考えると「Web標準セット」みたいなのが変わりゆくことが非常にマーケティングな概念を内包しているようにも思える。そして、この「マーケティング的」なのが、イコール「うさんくさい」と、嫌う人が多いような気がする。

また、フルCSSのあたりにひっかかってる人も結構いるみたいだけど、事実上、全く色も装飾もないHTMLを制作の仕事で扱うわけはないので、テーブルレイアウトという「表」のためのテーブル要素を、文章のレイアウトに使ってしまうなどという「エクセル方眼紙」みたいなことをしなければ、CSSを使わないと適切な情報配置はできないわけだし。

そもそも大事なのは、例えばW3Cという組織は、別に教科書を作っているのでもなく、メーカー間の解釈の違いによって相互運用性を失うことを防ぐために間を取り持って調整するための組織としてあるわけだから、どこかが新しい技術を作ったら、それに対して、多数のデバイスが扱えるようにと標準化の調整をするんだろうから、その内容が変わっていくのは当たり前だと僕は思っているんだけど。

Web標準を「守らないといけない何か」として、まるで学校の教科書であったり、道路交通法や日本国憲法の第9条のように上から降ってくるもの的に考えちゃってるのって、日本人だけなんじゃないの?とか思ったりするんだけど、どうなのかなぁ。

標準は「守るもの」ではなく「作っていくもの」だと思っているんだけど。W3Cは政治闘争の場というのも納得で、Web標準の日々に出られた元W3Cの石川さんは、法学部出身とのこと。

スクリーンリーダーだって、仕様の進化に合わせて進化していけばいいんじゃないでしょうか?もちろん、それが儲かる世の中にならないとダメだけど。補助金にせよ、メーカーがCSRとしてのボランティアでも良いし、オープンソースでプロジェクトが成り立つなら最高だと思うけど、結果的に何かの形で儲かること大事。そして、そのスクリーンリーダーなどのツール自身の推進力に、「Web標準」という言葉が与えるものは無視できないと思う。

僕はそもそも、スクリーンリーダーに対応させなきゃいけないからって、クリエイティビティが制約されたりするような縮小均衡は違うと思うので、だからアックゼロヨンのコンセプトは好きだったんだけど。誤解を恐れずに言えば、健常者が過不足無く目的を達成できる環境の先に、インフラとしての譲り合いの世界が存在しうると思っていて、そこに障碍を持つ人が恩恵を受けられる世界が成り立つように進化するのが技術 vs 経済性のバランスとして健全だと思っている。

そう考えた時に「Web標準セット」である、XHTML + CSSは結構イケている方ではないだろうか。
あとは作る側が、そこをきっちり把握すること重要。


ちなみにWeb2.0の場合は、オライリーさんが言ったキャッチーなワードに過ぎないけど、「2.0がうさんくさい」というところで思考停止してしまうのも、なんか勿体ないと思うわけで。2.0が怪しいという前に、何故、アマゾンのアソシエイトなどもひっくるめて、2.0という括りのムーブメントになり得たのか?ということこそが、Web2.0だと思うワケなのだが。

こっちは準拠する意味なんてどこにもなくって、それこそ鏡面反射じゃないとweb2.0じゃないみたいな、バカな話になってしまうわけで。

これはきっと3.0だ、とか言ってるのもバカバカしくて、そんなことを言ってる前に、あなたが信じるコトで成功すれば、後から3.0って言われるかもしれないわけなので、それを頑張ればよろし。

まぁ、確かに言葉もまた一人歩きするわけで、「Web標準」にせよ、「Web2.0」にせよ、それに対応しておけば良いと言ったように、後追い的に、そこに乗っかるだけの「うさんくさい」人が出てくることが嫌だと思うのは凄く同意だけど、それ自体は、「Web標準」とか「Web2.0」自体には罪は無くて、人間というか商売なんて、まぁそんなもんだよ、という感想。だって、みんな生きるの必死だもん。

結局、お金を出す側が、本質的な面で判断することが大事なんではないでしょうかね。この人なら信じられる、とか。

ということで、Web標準って非常にマーケティングマターの話なんだなぁと書いてて思ったというのが、このエントリーの結論ってのと、結局、ネタ元の小久保さんの劣化版を書いただけじゃないの?という気さえしてきました。


今日はWebsigのMT4イベントなのにほぼ徹夜じゃないですか。あれれ。

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