July 08, 2007
オーガニックとか化学調味料とか、嫌う気持ちはわかるんだけど、世の中の「化学物質」とか、「界面活性剤」とか、「添加物」とか、極論すると「農薬」まで含めても、こういうものの素材もまた、この世の中に存在する自然な物質でできていることを認識できてない人ってのは多いと思う。
信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産で、子供を産むときに、自然分娩にこだわった結果、子供がお亡くなりになってしまった話を見ました。(省略しすぎかも。)
東洋医学とか西洋医学とか、そういう大きな枠組みではなくて、何故、そういう医学が必要とされ、それがベストプラクティスとされているのか?を適切に身につけている医者と話ができたら良かったと思う。
世の中に絶対はない。文明、文化、医学、学問、なんでもそう。長い歴史、経験則に基づき、「もっとも適切であろう解決法」に従って、体系化しているに過ぎない。
もちろん教科書に書いてあることもそう。そこにもっと早く気がついて適材適所のバランスが取れていれば..。
ふと、よくあるデジタルとアナログの話を思い出した。
デジタルとは、人間の側が「この電圧以上は1とみなそう。この電圧以下は0とみなそう」と決めただけであって、別に回路そのものが、1と0しかないわけではない。1と0をうまく認識できるように「人間が」作っているのだ。
デジタルの世界に向き合っている人ほど、デジタルの限界にぶつかっているはず。
コストの関係などで、「bit」で表現できない間の情報については、見なかったことにするしかないという限界。
ものすごく解像度を大きくしていけば、ある閾値を超えた段階でアナログデータをほぼ再現できているので問題ないでしょうと「みなす」。
わかりやすいところで、CDとアナログレコードの違いなんかはよく言われることではないだろうか。
オーディオマニアの言っていることが大げさ(自分が理解できるところと理屈をむりやり結びつけてしまうところとか)だったとしても、やはり、1bitと1bitの間の音のサンプリングはできないし、CDはその仕様として可聴領域外の周波数の音はなかったものとして、情報量に制約を持たせ、経済性と音質の両立を図る。だから、低価格にみんなが比較的高音質の音を聞けるようになり、音楽の可搬性も高くなり、オンラインで音楽を手に入れられるようになった。それが幸せなのかは人それぞれだが。
近代化された社会は、確かに何かのルールで決められた世界の上で生きている。
言語もお金も技術も医学も株式、法律、刑法などの仕組みも、人間が考え標準化され、人間がその仕組みを支持することでその存在価値が成立している。その標準体系を応用することで、仕事が生まれ、お金を得て、生活が豊かになっていく。キャリアとは、あるフレームワークを如何に使いこなすか?にすぎない。
その枠組みにおいて、お金持ちになったり、ホームレスから復帰できなくなったり、自殺したり戦争したりするわけだが、それを捨ててオーガニックでありたいというのは、やはりそれはそれで無理があるからこそ今の仕組みが存在しているというのは忘れてはいけないと思うし、極端にオーガニックを志向する人は、その状態においてもまた「物質」=素材ではなく、社会の仕組みや完成品としての「モノ」に束縛されてはいないのだろうか。
結局のところ、「健康に害を及ぼす食べ物」や農薬云々というのは、人間の知恵によって作られた、自然な物質と物質の組み合わせによる反応の結果でしかないと思うので、オーガニックかそうでないか、という文脈は「自然な物しか食べない、触れない」で済むほど、簡単な話ではないと思う。
僕としては、オーガニックか否かってのは、結局は「人、または、人の集合体である組織が信用できるかできないか」という話であって、じゃぁ、自分に耳さわりの良い人であれば、信用して良いのかというと、そこはなんとも言えないのが現実ではないだろうか。
ここはツッコミ所かもしれないが、「ふぐを食べて死ぬ」「ふぐの毒を除去しておいしく食べる」というのと、ある病気や状況に対して、西洋医学のベストプラクティスを元に適切な処置をするというのは、そんなに変わらないことなハズなのに、西洋医学=悪となった瞬間に、すべてを否定してしまうというのは、非常に勿体ない。結局は、自分が理解可能なことだけで、しかも「西洋医学」という記号に捕らわれて、すべての善し悪しを判断しているのではないか?という印象。
まぁそう思うことで、自分が幸せならすべて正義なのかもしれない。どっちにせよ、国のルールに従って生きて行かなくてはいけないのは変わらないのだし。
確かに、そういうのは大事だと思うし。僕は宗教は否定しない。
単純に僕が支持したいと思う宗教がないだけで。
[ヨタ話]