January 02, 2006
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
年末ぐらいから、はてなブックマークのネガティブコメントつけられるとやっぱりウザイと思うことに対する論争が再燃していたんですが、下記のコメントは納得ながらも、それで結論づけられるとそれはそれでっていう気がしたので、エントリーを書いてみます。
「世界」は「ワタシ」と違う - ブログが教えてくれる当たり前のコト
すごくポジティブで、良いご意見だと思いますので、ネットコミュニケーションをする人もしない人も是非読んでみてください。
要するに違う価値観の奴がたくさんいるから、ネガティブコメント気にするなってことだと思うんですが、ただし、これは発信者側がネットを生き抜く処世術としては、結構、高度なんですね。
どうしてもネガティブコメントに我慢できない人ってのが、やっぱり存在していて、かつてのパソコン通信においては、そのネットワークを退会するという行為で最後の抵抗をしていたわけで、それを評して「ネットは弱肉強食」と言われていました。
すごくポジティブな説得を試みておられますが、これは「弱肉強食」の世界で「強くなれ」といってるのに近いかなぁと。
でも、それがblogで発言するのに本当に必要なスキルだというのなら甘んじて受け入れましょう。
しかし僕自身は、Web2.0時代には、少々、それではマズイと思っています。
blogの良さやWeb2.0は、コミュニケーションが特定のサイトから解放されるということを意味していると思っていました。最近、ようやく、はてなブックマークが、多くのユーザーニーズとして、コメント主体のコミュニケーションサイトになっているということで気がついたのですが、結局のところインターネット上のそこらかしこのサイトが総2ちゃんねる化する可能性を秘めており、その第一号というか最初の成功例が、はてなブックマークであったと考えることができます。
パソコン通信や2ちゃんねるであれば、そのホストにアクセスしないことで逃げることができます。しかし、パーマリンク時代においてblogというのは、メールアドレスと同様に移行することに対し損失が発生します。(少なくとも僕はそう思う。別に逃げたって良いですが、googleのSEOなどがリセットされたり、なにがしかは、しがらみはあると考えて良いと思っています。)
そう考えると、パーマリンクにおいて束縛されたネットワーク社会の構成員として、悩み苦しむ人も出てくることでしょうって、これはかなり大げさな表現ですが、要するに、Web2.0によってもたらされたネットコミュニケーションの結果が、「書き手側よ強くなれ」では、なんの進歩もないなぁと思うばかりなのであります。
システムだけがWeb2.0だなんだと言って進歩しているのに、書き手と読み手の関係は全く進歩せず、あぁ今年も引き続き弱肉強食なのか。えぇ・・・それがWeb2.0なの?って。
何故これを書く気になったのか?というと、はてなブックマークの上記日記のコメントで
>はてブ論争はそろそろまとめのフェーズに入った.
という言葉があったこと。この議論は結局10年以上前から繰り返されているネットリテラシー議論の再生産に他ならない。昔から、一度掲示板に書いた書き込みは「おまえのものじゃなく、みんなのもの」とか言われてたし、掲示板に書く以上は、反論を含めて受け入れなきゃ駄目ですよ・・・と全く同じような話が繰り返されていました。
当然、僕もそう思っていたから、未だにこうやって生き残って、駄文を書いてるんですが、はてブの議論を見てると、インターネットで言論が分散化して変わったのは、共同体幻想が、「なんとかネット」からインターネット全体、または、blogとはてなブックマークというスコープに変わっただけのことなんだなぁと。
そして、なにより今回見ていて、感情論を正当化する屁理屈に対して、頭の良い人のこねる屁理屈がアウトプットされてたりして、あぁ不毛な・・・人って変わらないのね・・・・と、ウォッチしながら、ちょっとためいきをついてしまいました。
頭のいい人って、いくらでも理屈こねられるから、本当の意味で不毛なんだよね。感情を言葉で正当化する力を持ちすぎ。こういう人に理屈で対抗しても辛い。(その昔TVでやってた、西部邁 vs 宮台真司で、西部邁が帰ってしまった後に、宮台に対して感じた違和感と同じ。)それが議論とかディベートとかいうのなら、くだらないなぁ。今回のやりとりでは、blogで表明したオマエには反論する権利はない・・・みたいな話まで出てましたよ。もし泣いてる奴を目の前にしたら、そんなことを言えるのか?とか思ったり。たかだか通信の議論でも、ホントに泣く奴はいるんだぞ。
システムやサービス開発手法としてのWeb2.0があるなら、それを使う側のネットリテラシー2.0を作っていかないと、こういう話は繰り返されるだけ、そう確信しました。
また、日々生産され続けるログの海の中で、一時期に起きた議論など何の蓄積にも経験にもならずに消費されていくだけ。過去ログ嫁と言われても読む資産はどこにもないし、まとめられてもそれ自体が埋もれてしまうことだろう。
結局、同じようなことが永遠と繰り返されるだけのような気がする。少なくともまとめの結論が、「書き手よ強くなれ」では、結局、慣れない人、弱い人が同じことを繰り返すだけのような気がする。Web2.0,Web3.0とかネットアクセシビリティの垣根が一つ取り払われるたびに、こういう議論を繰り返していくのだろうか。そのうち、googleあたりに情報を集約されることで、社会で生きていくことと同等のスキルになっていくわけですかね。まぁそれはそれでアリなのかな。
エントリを書くきっかけにはさせていただきましたが、決して、上記エントリの否定しようとか、説得しようとかそういうことを思ってはいません。単純に、そういうWeb2.0時代のネットリテラシーを改めて考えたいな、もしサイトの設計や運用で解決するならその手段を考えてみたいなという意味で、エントリを書いてみました。