December 25, 2005
内側感の源である実名公開、個人情報公開は、僕はあくまでOrcutさんへの信仰かなぁ。Orcutさんは、自分を出せば出すほど相手と距離が近くなる、そして面白くなる・・・的なことをorcut.comで唱えていた。僕はそれに乗った。
mixiという幻想の共和国、そこは内ではなく
それにしても、mixiの「内側」感の作り方、構造には興味深いものがあります(ビジネスである以上、意図して作り出しているのだろうし、
要するにgoogleブランドで培われたSNSへの実名公開(既存のネットでは絶対にやってはいけなかった)という新しい軸に乗ってるだけ。
その中で一番、手軽で使いやすくて、同時に人が集まったのがmixi。他のSNSと比べて、それ以上でもそれ以下でもなかったってのが正直なところ。
僕にとってのSNSが実名OKという概念は、あくまで外来モノですよ。結構、立ち上げ時には、そういう人多かったんじゃないですかね。で、ネットの早い人達が一様に実名、リアルの付き合いを持ち込んで、この感覚を立ち上げた。mixiとしては一度、良いスタートを切ったら、あとは人が人を呼び、スパイラル的に、ここちよい「中の世界」が形成されていったんじゃないかと思うんですけど。
もちろんそれが幻想という声はあるわけだけど、セキュリティホールと同じで、一度、見てしまった心地よい世界から、「こうなるかもしれない」で逃げちゃうほど頭良くないわけ。少なくとも僕は。その予防ができてたら、ウイルスやワームにひっかかりまくる人なんてもっと少ないハズですから。まだ、どこか「自分には問題ない」と思ってるところがあるわけですね。
でも、それを壊すも続けるもmixi次第だとは思いますけどね。みんなが一斉に、実名やべーじゃんってひき始めたらSNSの終演に向かっていくと思いますがどうでしょう?この世界観(幻想かも)をどれだけ長く続けられるか?ってのが腕の見せ所じゃないでしょうかね。
mixiって小さな小さなネットワークの集合体だと思うけど、それぞれのオピニオンリーダーがひき始めたらさーっと変わっていっちゃうと思うんですよね。ハブ理論で、エイズ撲滅したければ本当はハブとなってる「媒介者としてやりまくる奴」を先に治療すれば良いってのと同じく。
写真も載せない、実名も出さない人かつ、ネットで無名な人(ハンドルがネット上でパーソナリティを形成していない人)で、2ちゃんねるを含めた既存のネットコミュニティに慣れてない人・・・要するに、ここで初めてネットコミュニティに参加したけど、実名は出せない人で、mixiにハマってる人ってどれぐらいいるんだろ。僕は、経験的に名刺の実名で見つけられなかったマイミクの人のアクティブ率って相対的に低いと思ってます。200万人もいりゃぁ、いろいろあるとは思いますけど。
何せMIXIを使った、トラフィックの個人追跡システムなんて話も出てますからね。fladdict.netのtakaさんの見解では、通常のネットリテラシーと同じ行動すれば問題なしという見解を出されていますが、それじゃSNSは駄目なんじゃないかなぁ、多分。あくまでも「内側」として、人間関係を維持するようにしていかなきゃいけないと思うんですよね。
何故なら、ネットワークコミュニケーションに興味がない人達がmixiならOKを出したのは、はからずもリアルな関係がそこに持ち込めたからじゃないでしょうかね。コミュニティの特性は、電子メールの発展版。顔つきの住所録、グループウェアみたいなものだったり。
これが今まで通りのオオカミがいるかもしれないから、ちゃんと扉は閉めておこうねというネットリテラシーを通常のコミュニケーションに持ち込んだ瞬間に「じゃぁ面倒くさいからいいや」ってなりかねない。それに少なくとも小さな小さなネットワークから輪が広がっていくことは減っていきますね。
閉鎖的な草の根ネットよりはアクセシビリティは高いけど、確実に壁は作られ、活動に対する敷居が高くなっていくわけで、そうなったときにどうユーザーの自律性が維持、形成されていくか?ってのは、外野としては興味あります。内輪の草の根ネットって飽きてやめちゃうんですよね。その辺は、さすがに「歴史は繰り返す」だろうなぁと思っていて、やっぱりある程度は発展性がないとね。
でも、mixiやってもコミュには書けないって人もいて、そういう人はコミュにはインターネットの「面倒くさい」コミュニティ感を見いだしているみたいですね。知らない人の足跡つくのが怖い、とか。