November 12, 2005
ised@glocom 「情報社会の倫理と設計についての学際的研究」という会議のログを読んだ。いやー長くて大変だった。途中で違和感を感じて集中力がなくなってきたので最後は飛ばし気味だったけど読んだ。1時間以上読んでたかも。
なにが違和感だったかというと、社内の情報共有の仕方について。それは、みなさんを含め、周りのモチベーションと能力が高いからこそ実現できるんですよというのが何点かあって、このエントリは、決して上の議論の否定ではなく、現状の経験から思ったこととの対比である。
まず、
・電子メールが情報が限られた人にしか情報伝達しないリスクは前から実感していた。少なくとも個人のPCのHDDが壊れて大事な情報が消失してしまうなんてのは、もってのほかであろう。
→しかし、メールを強制的にMLで共有するようにしても見ない奴は全然見ない。
→プロジェクト管理システムとしてのコミュニケーションプラットフォームがあるのだが、それでプロジェクト毎にすべての情報を見られるようにしても見ない。自分に関係のない情報は無関係という発想の存在。
・「議事録ドリブンの会議」というのは、うちでも何年も前からやっていた。プロジェクタで議事録のtodoを作成するアプローチで会議を進めていくというもの。終了後、社内のblogとして常に公開していた。しかし、参加している自分自身を含む全体がそのログを見ることはなかった。議事録を作ることで満足してしまう危険性。肝心なのは、抽出されたtodoをしっかり伝え、実現していくマネジメント。ベタですけど。
・・・あれはあれで情報と会議のまとめ方としては良かったのかもしれない。でもその先にある「生きる情報共有」に必要な本質はそこではないと思っている。
信頼されているか、注目されている人が、しかるべき話をきっちり伝え、行動に持って行く。受け身ではない人望。いかに見てもらうか?聞いてもらうか?その努力をしていくか?そして実現していくか?結局、そこにつきる。マネジメントと個人の資質ややる気の総体、すべての立場に「自発的」というキーワード。
僕は、そこに重要なファクターとしてあるハズの、組織の雰囲気ってのは、まだ僕の経験では、なんとも言い切れないのが残念。でも絶対、そこに企業理念であったり「***らしさ」ってのがあるハズと信じている。
ベーシックなところではオフィスの作り方なんてのも絶対的に存在すると思うし、心が折れないマネジメントとか、そういうところも重要だし。