September 04, 2005
あくまで僕個人のトラックバックの使い方だが、自動とはいえわざわざ相手のウェブサイトにリンクを貼らせてもらうからには、それ自身は相手に対しコミュニケーションをしたい表明であるべきだと思っている。
コミュニケーションとはキャッチボールだ。何かをギブしあうことで、お互いの何かが昇華されていくイメージではなかろうか。
何よりトラックバックのリンクを踏んでくれるユーザーに対し、インターネットスコープでのコンテンツを提供するという意味でもある。そうでなければハイパーリンクを貼る価値はない。
エントリのコメントが相対的に深いコミュニケーションとして文脈にあわせる必要があるのに対して、トラックバックは、より薄いつながりであるが話の軸の違った意見をうまく連鎖させるのに向いていて、相手のサイトには「相手の意見にインスパイアされたので、こんなのを書いてみましたというコンテンツの存在表明」を送ることこそがトラックバックではなかろうか。
決してサイトのプロモーション機能ではない。Web2.0という概念や実装がコンテンツ単位の情報流通を促進するものだと解釈しているが、同様の概念でトラックバックのリンク元コンテンツが流通すべきコンテンツそのものである。そのコンテンツの中身に意味がないとすれば、トラックバック自体には何の価値もない。結果、インターネット上に無駄なリンクを増やし、コンテンツ構造だけが複雑になり、誰もトラックバックという見出しのついたリンクに興味を持たなくなる。ただ、それだけだ。
MTのトラックバックを見た時に、なんて賢い実装なんだと思ったものだが、なかなか生かされていないのが残念だ。インスパイア元の記事のレベルが低くて、他人をインスパイアさせることができず、バトンがつながらないと考えれば、自分も含めて、「この機能はユーザーにとってオーバースペック」という判断をするのが実装を検討する立場の見方にならざるを得ない。