February 20, 2005
タッチタイピングは文字を書くという行為から解放され、純粋にものを考えるという行為に専念できるようになった道具だと思っているのですが。
エエッ! パソコンのブラインドタッチは脳に良くない
パソコンでブラインドタッチができる人はダメ。電車の中でしょっちゅう携帯電話を見ている人も要注意だというのだ。
(本エントリでは、「ブラインドタッチ」を「タッチタイピング」という文字に置き換えて記述します)
逆に文字を書くという行為に力が取られてしまい、手書きで文章を考えるのは苦手だと言ってしまうのは、既にタッチタイピング脳なのでしょうか。
タッチタイピングによって入力するという行為は無意識でも、そこからフィードバックされて返ってくる画面の文字列を見ながらひたすらモノを考えているわけですが。それは凄く狭まった発想しかできないとかそういうことなのでしょうか?
まぁ所詮、本の宣伝に過ぎないから釣られないようにしましょう。
それに今更、キーボードを打ちながらモノを考えるというスタイルは変えられないし。
これは辞書をめくる行為が覚えるのに良いだのなんだのという話に近いですね。僕は子供の頃から辞書をめくる行為そのものは激しく時間の無駄だと思っていました。
何がしかの人生の制約を都合の良いように正当化するのは、あまりみっともいい話ではありません。
とか言うと自分の人生に対してもツッコミどころが満載なんですが、それはさておいて、往々にしてよくあるじゃないですか。ライブドアの買収活動に対する古い人達の感情的な反論(正当化)とか(森元首相の教育云々とか)、やれ負け犬だとか、あの時代は良かったなぁとか、いろいろ。
ところでタッチタイピングで文章を考えることを擁護するのは、純粋に自分にとって脳内のアイディアが最適化される手段を選んでいるだけに過ぎません。
逆に図面で物事を考えるときは手書きで書いています。これは単純に作業性の問題だと思っています。
例えば、VISIOやPower Pointなどのドローツールなどを使って絵を描くという処理は、決して直感的な作業ではないため、この作業を通じて発想や物事を整理するというのは向いていないと思います。これはUMLのクラス設計なども同様で、まず紙に手書きで全体像を描きながら情報の流れを整理することをオススメします。
ドローツールは、現在の操作性においては「清書用」のもの以上ではないと思います。
デザインにおいてのPhotoshopなどもそうだと思うのですが、こちらはデッサン力がないとどうしようもないのかもしれないので、デザイナーさんにとっては壁があるように見受けられます。