May 15, 2004
自由の楽園は、自分達の手で崩壊の一途を辿る。コミュニティは、その参加者自身によって寿命を迎えうる。
2ちゃんねるのスレに感化されたが、最近何か法律に触れそうな発言があると、すぐに「通報した」という野暮な発言が出るのは前々から感じていた。
その発言の対象は多種多様あって、「通報した」という発言は、多くの2ちゃんねる用語同様ブームの様相を呈している。
どんな時に、このレスポンスが帰ってくるかといえば、
・本当に法律に触れる発言(例:大使館に爆弾を仕掛ける)
・ある業界の暴露発言をする(例:大物芸能プロデューサーとHをしました)
・製品やメーカーの批判(例:***社は、人殺しである)
最後は乱用だと思っているが、この発言の意図するものは、「オマエ、そんなこと言うと訴えられるよ」という意味であり、最初はギャグであったり、目障りな発言に対するツッコミだったのではないかと思うが、昨今の動きに連動し、その発言は洒落にはならなくなってきており、結果、対象の発言者が発言を止めてしまったりして影響を与えている。
それ自体はどうでも良いのだが、以前の「所詮、ゴミ溜め。否定発言を言うのは野暮」という雰囲気から、「発言にはある程度気をつけなきゃいけない」という場に変化しつつあるのは事実であろう。
これは純粋に、つまらない奴が騒ぎ始めたと考えることも可能だし、好き勝手やっていた暴走族のメンバーが「そろそろオトナになろうぜ」って言い始めたようなものと同じかもしれない。いずれにせよ、2ちゃんねるを好きな奴らが、自分達でそのように発言し始め、自らの場に変化をもたらせていることは注目すべきであろう。
自分が考える、2ちゃんねるの素晴らしさとは、人の流動性に基づく意見の多様性であると前から思っている。直接、私欲がからまないフラットな話題で、人の循環が見込める話題に関しては、良い意見も悪い意見も十分に出て、なんとなく一つの方向に向かっていく、そのやりとりを見ているのが好きである。
同様に、2ちゃんねるがもう自由の楽園ではないと知った人達により、今までの「何でもあり」の自由な世界から、社会秩序を取り入れつつ共生していく社会に移りつつあるのが「通報した」という発言ではないだろうか?
その時に魅力が失われ、多くの利用者が離れてしまうのか否かは見ものである。個人的にはオトナの年齢層が期待する2ちゃんねるとは、そんな子供なやりとりではないと思ってるので、特に魅力が失われるとは思わないのだが、いろんなバッファがある中で今の発言があるうると考えれば必要悪を最適化してしまうと、ホンネを語るコミュニティという魅力は失われてしまうかもしれない。(その可能性も高いだろう。)
いずれにせよ匿名性コミュニティもまた人の作りしものであるからして、その栄枯盛衰は、基本的にコミュニティの中でのみ遷移していくことを希望する。
国家権力や大企業の圧力で潰されてしまうようなことさえなければ、社会との関わりあいにより、そこそこのバランスに自浄作用で変化していくものと考える。
また、2ちゃんねるをビジネスにするなら、いつまでも子供の社会では都合が悪いだろうから、運営側のいろんな野望も含め、なるようになっていくんだろう。