January 26, 2004
最近、ニュースで取り上げられている、「百ます計算」に対する批判意見が出ているらしい。「計算の意味を考えなくなる」という指摘だ。
人間は、これしかないと思うと発想の幅が固定されて頭が悪くなる。それ以前に、すぐ「かくあるべし論」に走る悪い日本人の典型だな。肯定的な人は、これにどういうメリットがあるかを考える。批判的な人は、これのダメな点は何かを考える。
今の算数についてこれない生徒がいるから出てきたやり方なのに批判することに何の建設的意味があるんだか。
そもそも僕らが使う1,2,3といったアラビア数字は、I、II、IIIというローマ数字と比べて数値という概念や足し算を覚えるのが難しいと言われている。
アラビア数字のそれは、エクセルでグラフをかかないと、量の比較がわかりにくいというアレだ。数字のわかりにくさをいかに簡単に表現するか?というのは、いわゆるプレゼンテクニックの王道であり、ビジネスマンなら数字表現の難しさを誰でもなんとなく実感していることであろう。
それに比べ、
I+I=II
というローマ数字の理屈は足し算の理屈を覚えたり量の比較は簡単だ。この計算例ならIよりもIIの方が大きいというのは視覚的に理解できる。1と2はどちらが大きいのか?は、完全に数字の大小ルールを覚えるしか判断する手立てがない。
ところがローマ数字は視認性が高い反面、デメリットとして桁が増えたときや掛け算割り算などの高度な計算表現が難しい。
それに比べ、アラビア数字は掛け算などの高等な計算表現に向いている記述言語である。99のような計算の基本的ルールさえわかってれば、桁数の多い表現はローマ数字よりもはるかにわかりやすいのだ。
つまり、近代国家にとってアラビア数字を使うのは高度な文明社会にとって必要な道具だからにすぎず、同時に、算数という量、数の表現のメタファーの理解は、数学の理屈の問題以前にアラビア数字の大小関係規則と四則演算という計算言語を
「丸暗記するしかない」
これをクリアするための「百ます計算」というのなら、立派なものじゃないか。
計算を暗記的に覚えることを無視するのは、算数というメタファーを簡単に理解できた奴の「エリートの論理」に過ぎない。これを乗り越えられなければ、いくら頑張っても先はありえないのだ。数学が「センス」といわれる所以である。抽象的概念をいかに速く理解するか?が数学の本質であろう。(オトナになってから、中学の時の塾の先生に言われたことの意味にようやく気がついた(笑))
まったくプログラミング言語を理解してない奴にクイックソート作れよ、アルゴリズムの本質を理解しろよ!という理屈が、どれだけ意味のない指摘かどうか、ここのエントリを見る人ならわかってもらえると思うが。
何が教育の本質なんだか。このままじゃ技術立国日本は世界に取り残される。間違いない。(長井風)