January 25, 2004
今、TVで年金のススメという年金奨励番組をやっている。良い番組だ。
年金制度がマズイのは確かだと思うし、資産は自分で形成していかなければならない部分があるのは事実だと思うが、メディアにとって楽しい意見=ネガティブな意見が多すぎる半面、「当たり前のこと」を語る場所が少なすぎるせいで若者の年金不振、強いては若者の社会不振に繋がっていると思われる。
この番組で主張する「当たり前のこと」
・年金制度はどんな国でも潰れたことがない(そういう国は制度がないだけだったらごめん。)
・年金が潰れる国は、預金も社会も潰れる。(国内の金融機関に預金してても消滅するリスク)
・年金を払わないと損をする。
メディアや学者が社会に果たす役割という意味で、政治を監視するために極論を語るのはわかるが、この声の影響が大きすぎて、にわかマニアも素人も含め視聴者が引いているという状況だ。
身の回りでも年金を払わないという奴がいたのだが、他の言論から想像するに、あまりにもメディアによる目の前の空気に流されすぎている印象。お金にケチという性格が災いしている印象だった。ある意味、目の前のデータを処理する能力・・・「頭が良い」んだと思う。
とりあえず正しい資産形成法は、年金も払い、自分でもちゃんとお金を貯めていくことだと思う。そしてそれをやっていける生活をするか、収入を得ていくことではないだろうか。とにかく、僕は経済も政治も専門ではないので、年金がもらえるのかもらえないのかはわからないので、「バカになって」払っている状況だ。サラリーマンだし(w
しかし、一つだけ最近わかったことは、りそなへの資本投入を見るにつけ、ニュース番組で経済評論家が語る論理は、政治の論理とは全然、違うということを認識してTVを見なくてはならないだろう。
きっちりとした学問の世界でありながらも、まるでプロ野球評論家や競馬評論家がいくら予想しても、現実とは違うというのと同じレベルにさえ見えてくる。
そもそも、評論家の意見もなんらかの政治的野望を狙って言ってることもあるかもしれないということも含めると、真実は自分で判断するしかないのである。
年金がもらえるかもらえないか?は、僕には到底わからない世界なので、単純に「undefined」=「よくわからないこと」への対処法に落とし込んでみる。競馬なんかを予想するとわかるが、「undefined」な状況に対し「妄想をいだく」と、大体、失敗する。あのレースに勝ってるから強いだろうとか、休んでいるから復活しているだろうなどといった「深読み」をすると、勝手に結論を決め付けてしまい、結局馬券は外れてしまうのだ。
わからないことをわからないまま素直に予想する「ビギナーズラック」が存在するのは、こういうところに起因するだろう。また、馬券を買わないと競馬の予想が当たるというのも同じ論理で予想できる。人間、金が絡むのと絡まないのでは真剣度が全然違うものなのだ。(だから、ギャンブルは楽しいわけだが)
ということで、わからないことは妄想を抱かず素直に乗っておくのが無難だと考える論。ただ、もちろんバカを見るのは嫌なので、評論家の意見はリスクヘッジの一つとして利用するのが一番良いのでは?
この番組によると今、42歳以上の人は60歳から年金がもらえるそうな。このエントリ書いてて詳しいことは見損ねたが、そういう情報を収集するためにメディアを見たりするのは重要だな。バカはバカでも違うバカになってはいけないということだろう。