January 25, 2004
iPodが売れてアップル黒字転換、HPにもOEM供給と絶好調ですな。
iPodの成功は、日本人が強烈に考え方を変えなくてはいけないことをあらわしているのではないだろうか?
ランダム再生にせよ再生ランキングを覚えるにせよ、音楽をラジオのように流しっぱなしにして使うということに的を絞り、UIを最大限シンプルに、高いデザイン性を実現し、HDDにすべての音楽を取り込ませるという発想は、日本人のコンピュータエンジニアには考えられないし、考えたとしても組織が実現させられないのではないだろうか?!
iPodにまつわる他社製品の議論を掲示板などで見ると、日本人の発想が見えてくる。基本的には「機能てんこもり、あれもこれもある方がうれしい」というのを潜在的に求める傾向がある。
これはいろいろな要因があると思うが、その中に一つ、ユーザーインターフェースに対する重要性がまだまだ低いということが挙げられるだろう。
メーカーに勤めてるわけじゃないので想像の域を超えないが、デザイン中心の設計ではなく、機能中心の設計をしているのでは?という疑問があって、ある機能を実現しようとして企画書を作るが、製品開発会議で偉い人と意見を出し合い、概略要件を決めた段階ですでに機能てんこもり。その後、デザイン依頼する段階では、もうどうしようもなく、デザイナーが頑張った結果、UIに無理が出て、デザイン的にも魅力的ではない製品になる傾向があるのではないか?
UIは魔法の道具ではないので、前提となる機能実現がややこしくなれば、必ずUIは実現までのステップが増えざるをえない、つまり使い勝手が難しくならざるを得ない。iPodのUI機能はシンプルであるが、シンプルが故に用途次第では使いにくいところもある。これを和をもって尊しとなす日本人の会社が捨ておけるとは思えない。
かと言って、デザイナーを開発プロセスに取り入れるのは容易ではないだろう。ソニーはなんとなく製品開発プロセスにおけるデザインセンターの権限が非常に高そうな印象があり製品は魅力的だが、同時にソニータイマーの源泉にもなっているようにも思える。あくまで偏見だが、デザイン>企画開発>機構設計という優先順位があって、良くも悪くも個性になっているのではないだろうか。
日本人って凄いなぁと思うのは、ポケベル文化や、携帯の文字入力、絵文字などで頑張れる若い世代を見たこと。ポケベルは印象的で当時、パソコン通信を知ってる自分からすると、あんな暗号でコミュニケーションをするなんて考えられないわけですよ。だけど、「器用な日本人」は賢くて頑張れるんですよ。数字という抽象的概念をうまく使いこなして会話をイメージする能力がある。DAノーマンなんかの認知科学系の本で書いてあることをまったく打ち崩すだけの器用さを持っている。
つまり機能てんこもりで明らかに使いにくくても使いこなしてしまう世代が存在する。この辺が機能てんこもりを要求し、UIの認知とシンプルな機能の要求の地位がいつまでたっても上がらない理由の一つではないだろうか。
確かに今、携帯では世界一だが、世界のメーカーが情報家電、リビングPC、ユビキタスにまい進したとき、今の日本の製品は、iPodに対する「その他のMP3プレーヤー達」と同じ存在にならないという保証はない。
さてアップルは「なんでもかんでも」のPC向きではないのではないだろうか?デジタル家電をアップルブランドで埋め尽くす方向に進んだほうがいいんじゃないか?とも思える。
リビングがアップル製品に埋め尽くされるという姿は個人的には悪くないと思うが。